今月の9冊
シリーズ牧水賞の歌人たち Vol.5『小高賢』 青磁社
「GANYMEDE」60 銅林社
中澤百合子『青き麦なり』 ながらみ書房
森安千代子『苺にミルク』現代短歌社
林和清『日本の涙の名歌100選』 新潮文庫
千葉聡『今日の放課後、短歌部へ!』 角川学芸出版
水原紫苑『桜は本当に美しいのか』 平凡社新書
嵐山光三郎『年をとったら驚いた!』 新講社
吉岡太朗『ひだりききの機械』 短歌研究社
4月某日
シリーズ牧水賞の歌人たち Vol.5『小高賢』
小高賢は、2000年(平成12年)に『本所両国』で第5回若山牧水賞を受賞した。
高野公彦、佐佐木幸綱、永田和宏、河野裕子、小島ゆかりに次いで6冊目となる本シリーズの目玉は、監修の伊藤一彦によるインタビューのページなのだが、今回は、歌人・小高賢の他に、もう一人編集人・鷲尾賢也がインタビューに答えている。
わかりにくい言い方をしたが、小高賢はペンネームで、鷲尾賢也が本名。講談社の編集者として、現代新書、選書メチェ、現代思想の冒険者たち、日本の歴史に関わった。
歌人・小高を語る上で、編集者・鷲尾を抜きにすることは不可欠だ。それは仕事の歌が多いというだけでなく、人生を詠んだ歌、家族を詠んだ歌の端々に現われる一人称の「われ」が小高ではなく鷲尾であるからだ。
歌を作るのは小高であったが、歌に登場するのは多くが鷲尾で、ペンネームが本名を詠んでいる。だから小高は二通りの「われ」を持っていた。
小高の「われ」と、鷲尾の「われ」。時に熱く、時にクールに、悲観的にあるいはユーモラスに「われ」を詠めたのは、二つの「われ」がいることと無関係だったとは思えない。
小高への伊藤のインタビューが行われたのが2012年の12月5日とあるから、1年半前のこと。伊藤にこれからやりたい仕事を問われて、小高は次のように答えている。
「僕はやはり歴史に興味がある。だから、例えば、戦後なら戦後、あるいは、敗戦なら敗戦で、なぜこうなった、なぜこういう文学になったのか、なぜこういう短歌になったのかということを、もう少し流れとして位置付けたいという気持ちがあります。昔、やっていた近代思想史への本卦還りかもしれない。せっかく歌をやったのだから、それとうまくドッキングできないかなということを考えることがあります。つまり、ある意味では、文学史の書き換えみたいなことはやりたい」。
短歌史ではなく文学史を語るところが小高の視野の広さであるし、その広い視野も、鷲尾というもう一人の人物が居るからこそ得られたものであるし、やってみたかった仕事も鷲尾が居なくては成し得ないものであった。
妻の鷲尾三枝子が夫を詠んだ歌を挙げて、伊藤は小高の(鷲尾の)人となりを紹介している。〈人生を節目節目と叫びつつ家中のカレンダー剝ぐはわが夫〉〈モーニングコール十分前から待つ夫とローマ二日目諍いをせり〉。
「オーバーだよ」と小高は照れて答えているが、真面目で、几帳面で、頑固な男の姿が顕ちあがってくる。
本書は他に、日高堯子による「代表歌300首選」、坂井修一、伊藤一彦、大辻隆弘、栗木京子の小高賢論、加藤典弘、中嶋廣、神崎宣武のエッセイ、小高自身の散文を収録。詳細な著書解題と年譜が付いているので資料としての価値も高い。
インタビューの最後で小高はこう話している。
「歌人に筋の通っていない人が少なくない。どうもイヤだなあ。出処進退は大事ですよ。そういう精神が歌人に問われていませんか。(中略)まずいことはまずいと誰かが言わないと、どこかおかしくなる。それが子どもっぽいと言われてしまうところですね。でも、最近はかなり年下の歌人から、連れ合いは「小高さんも、もう少し大人になってくれればいいのに」と言われたそうです。」
4月某日
「GANYMEDE」60
詩歌文芸誌ガニメデの60号。創刊されて20年になる。
詩・俳句・短歌、多くの評論と作品が掲載されている。50首詠に名を連ねているのが、川田茂、和泉てる子、中川宏子、駒田晶子、光森裕樹、大津仁昭、谷岡亜紀、一ノ関忠人、佐々木六戈、佐藤弓生、森井マスミ、尾崎まゆみ、中津昌子、なみの亜子。ここでは、光森裕樹の「其のひとを」と、なみの亜子の「五新鉄道2013 ―私小説のなかに―」を紹介したい。選んだ理由はテーマに惹かれたから。ある意味で、そのテーマはストーリー性と呼び換えてもいいのだが、50首を貫く太さと支える確かさを持ったテーマが、この2作品にあった。光森は父になる思いを、なみのは怪我を負った夫との日々を、ある部分では生々しく、ある部分では婉曲に、歌っている。
さみどりの胎芽が胎児に変はりゆく秋を一貫して吾なりき 光森裕樹
おなじもの食みつつ吾の身のうちに育つものなし昼すぎて雨
其のひとのうまれ故郷をぼくたちは風の離島と許可無く決めたり
其のひとの髪しろき冬、よかつたと思ふにいたる名はなんだらう
其のひとの靴をおく日がくることを思へば狭き玄関である
陽のあたる柱にきざむ其のひとの最初の背丈六コンマ一
十月十日おくれて父となる吾に梅雨あけのちの島しづかなれ
3首目には「里帰り出産はしないと決めた」と詞書がある。
繰り返し使われている「其のひと」はもちろん、これから生まれてくる子どものこと。
自分の子どもとして生まれてきてくれる命を、敬意と畏れを持って「其のひと」と呼んでいるようだ。
身ごもった妻は既に母であるが、自分はまだ父になれていないという感覚が繰り返し詠まれている。その感覚は極めて普通なので、どのように表現するかが短歌としての捉えどころであるのだが、「吾の身のうちに育つものなし」「十月十日おくれて父となる」と静かに穏やかに表現した。
「ああ、父の歌だな」と、その順当さに少し拍子抜けしたりもしたのだが、歌としては悪くないと思う。
4首目は、子どもが老いたときに「よかった」と思える名前を考えている。名前は一つの例であって、要するに、親になることの責任の重大さに慄(おのの)いているわけである。
5首目の靴の歌、6首目の柱の歌、特にいい歌だと思う。
なにものも渡らぬ鉄橋このようにさびしきものを渡す山合い なみの亜子
車椅子で自宅でできる仕事ですか、と尋ねられしをひとには言わず
すばやく強く「脊損ではない」と否定して今朝の排便の困難をきく
窓の遠くに稲の刈られて田の枯れて目に追うのみのきみの秋冬
車椅子でどこかに行きたくないひとの車椅子押して自販機までを
平行棒に手ふるえつつ立つきみはまだ樹には及ばずぷるぷるとせり
ぞっとするぞっとするわと自が下肢の薄くなれるをひとは見るたび
*「自」に「し」のルビ
新緑のころのグリーンの膝掛けをあなたにあなたと呼んで渡そう
山を背にとんびのめざせる次の山五新鉄道ゆっくり越えて
5首目には「二〇一三年初冬 リハビリテーションセンターへ 転院」と詞書がある。
なみの亜子は常に何か不幸を背負いながらも、希望を失わず前向きに歌い続けている歌人だと思っている。
だが、今回の50首、背負ってしまった不幸があまりにも大きすぎて、ここに希望は見られない。
過酷な運命に立たされた時、どう詠むか。
なみのは悲惨を訴えるだけの連作にはしなかった。それが、なみのの凄いところだと思う。
奈良県の五條から和歌山県の新宮まで鉄道が走る予定だった。五新鉄道。大正8年に議決され、断続的に工事は続けられたが、平成元年に建設は断念された。
その〈幻の鉄道〉が遺した路盤、鉄橋、トンネルを歌い、夫を詠んだ作品と照らし合わせた。
まるで夫が建設が断念されて遺された鉄橋やトンネルであるかのように。
4月某日
中澤百合子『青き麦なり』
「塔」に所属する中澤の第1歌集。「あとがき」によれば、2004年4月に市民講座で短歌に出会い、そのとき60歳を過ぎていたという。だから今は70代なのだが、それにしては歌が若々しい。短歌を作るのが楽しくて仕方がないという気持ちが、弾むような表現として現われている。
ここはいつもボタン押さねば渡れない〝寿交番〟前の三叉路
江の島の〝お天気カメラ〟は映せるか橋の上にて手を振る吾を
軒先に西陽さしいる「扇屋」にバターナイフを一つ購う
小走りに会いに行くなどもうなくて駅の階段ゆっくり上る
1首目、歩行者用信号であるが、他の場所では、つまり交番前でない場所では、ボタンを押さず、車の来ないスキに、赤でも渡ってしまう。でも、交番前だと、さすがに気が咎める。ここまでなら何でもない歌、というよりも歌として成り立ちがたいのであるが、この歌の優れているところは「寿交番」を持ち出してきたところだろう。寿町にあるから寿交番なのだが、栄交番でもなく、富士見交番でもない、交番には似つかわしくない「寿」という名前が、1首に「おっ!」と思わせる捉えどころを生み、ユーモラスな味わいを醸し出した。
2首目、ニュースを見ていると、しばしば登場するのが「江の島のお天気カメラ」からの映像。「人が出てますね」などとアナウンサーがコメントする。「橋の上で手を振っている女性がいますね」とアナウンサーは言っただろうか?
3首目は「バターナイフ」という小物の選択が成功したと思う。我が家では有りあわせのスプーンを使っているので、バターナイフを使っていると聞くだけで「おしゃれな家庭」と思ってしまうのだが、確かに、一家に一つあればバターナイフは十分なんだよなと納得しつつ、庶民的な「軒先に西陽さす」光景とオシヤレなバターナイフのギャップに惹かれた。
4首目はユーモアとして読みたい。小走りしたいような、あるいは、駅の階段を駆け上りたくなるような「ときめき」は、おそらく今でもあるのだろうが、いかんせん体がついていかない。体力の衰えを直接言うのではなく、「ときめき」が無くなったと遠まわしに老いを歌っている。
わが母に真夜徘徊のありしこと知らず過ぎたり十七回忌
お孝さんと兄は呼びたり出奔の父と暮らせし女の人を
この墓に父は入れぬと言い張りし今亡き姉を思いみるなり
静かなる春の墓苑に亡き父は在りし時より吾に近づく
明朗な歌だけが魅力ある歌集ではなく、次のような父と母を詠んだ歌が心に沁みる。
歌集に入れる歌を選ぶ際に、おそらく迷ったのではないだろうか。歌集はあとあとまで残るし、多くの人に読まれる。普段、歌に関心のない家族や親類も読んだりする。肉親の確執を詠んだ歌の取捨に苦慮するとよく聞く。だが、よくぞ作者がこれらを残してくれたと思う。
最後に歌集の主流となっている嘱目詠と旅行詠の中から数首あげておく。
「迷ったらマジョーレ広場に出てください」広場は町の真ん中にある
国境を示す小さな看板はブナの林の中に立ちいる
指先にシャープペンシル遊ばせてこの人はまた話をそらす
さりげなく席をゆずりて青年はアタッシュケースを足下に置く
縁側は西瓜を食むるに良きところ板目の間に種一つ落つ
4月某日
森安千代子『苺にミルク』
「朔日」に所属する森安の第1歌集。短歌を始めて16年。始めたきっかけは幼馴染から届いた歌集を見て、自分も出したいと思ったからだと「あとがき」に書かれている。
職業詠が面白かった。店頭に立って、和菓子や豆腐を売る仕事である。正社員でなく、パートであるようだ。
明後日までは日持ちしますと答ふるに客に名札を確かめられつ
新年の明けを待ちゐる福袋社員用通路をふさぎてをりぬ
終日を地上は雨かしづくする傘を持ちたる客の行き来す
Aランチの卵豆腐がすくへない立ち仕事の疲れは手元までくる
タイムカードを押したる友ら日の長くなりしことなど言ひつつ帰る
1首目に特に注目した。店員と客とがやりとりする場面が見えてくる。名札を確かめた客の気持ちもわかるし、確かめられた店員の気持ちもわかる。
販売員としては「日持ち」期間を決めたのは自分ではないだけに(製造担当の社員が決めたのだろう)、名札を確かめられて、「いざという時は、責任とれよな」という態度をされても困るのだ。それでも自信持って「日持ちします」と言わねばならない辛い立場。
2首目、社員でないとわからない現場感覚がうれしい。3首目、いわゆるデパ地下勤務の人ならではの天気の見方。地下に終日過ごすことの屈折も表われている。
4首目、立ち仕事の疲れが手に現れるという経験者だけに言える現象。しかも「卵豆腐がすくへない」ほどになって現われる。具体的表現が持つ説得力だ。5首目は一日の仕事が無事に終わった安堵感。「日の長くなりしこと」という日常の何気ない挨拶を掬い取った点がお手柄。
当面は心配ごとのなき日なり今日の卵は色濃く見ゆる
はづしたる指輪が指にあるやうで夕べ帰りてくすりゆび見る
右左の無きスリッパが時を追ひわたしの形にをさまりてくる
可にあらず不可にもあらず無花果の半透明はてのひらにある
髪を洗ひつつ考へる癖のありてリンスとシャンプーをまた間違へる
これらは感覚的な歌。とは言っても、感覚だけで世界を作り上げているのではなく、現実にあるものを、読者にも分かる範囲で提示しているので、作者の感覚が把握しやすい。感覚が上滑りせずに、すとんと読者の感覚に落ちてくるのだ。
とても読みやすい歌集であったが、その理由の一つが、動詞で終わる歌が多いこと。助動詞や体言で終えて、余韻を生む作りがされていないので、すいすい読める。1冊を通して、とてもリズミカルだ。ただ、それゆえに、1首に立ち止まる時間が短く、やや単調な感じを受けた。
また、動詞で終わる歌はどうしても散文的になりがちなのだが、本歌集のいくつかの歌にも、そのことが当てはまる。例えば、最後の歌は、かなりの字余りもあるので、余計にそう感じた。「ありて」の「て」や、「シャンプーを」の「を」を取るなどして、定型になるべく近づける方法も可能ではないかと思った。
4月某日
林和清『日本の涙の名歌100選』
レジで、「カバーしてください」と聞かれる前に言っていた。
この本は2011年に淡交社から刊行された『日本のかなしい歌100選』を新潮文庫に収めるにあたって改題したもの。
どちらも編集者の意向があってのことだろうし、出版業界の傾向でもあるのだろうが、売らんがための安直なタイトルに最初は引き気味だった。
だが、古典入門の書としては大変よく出来ていて、歌の解説だけでなく、歌が詠まれた背景にまで説明が及んでいるので、とてもわかり易く、夢中になった。
この本を読む数日前、落語会で柳亭こみちの「崇徳院」を聞いていた。百人一首の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」を手掛かりにして、恋わずらいに罹った若旦那を救おうとする噺だが、崇徳院という人物について、わたしはまったくの無知だった。
崇徳院について、林の文章がとてもわかり易いので、長くなってしまうが、引用させてもらう。
「白河院が孫娘ほど年のはなれた愛人の璋子(しょうし)を、実の孫の鳥羽院の結婚相手としておしつけたうえ、その後も愛人関係をつづけていたときに生れたのが崇徳院だったのです。鳥羽院は、自分の子ではない、祖父が生ませた子だからと「叔父子(おじご)」とよんでいみきらったといわれます。」
「この因果が、保元の乱の遠い火種となってしまいます。崇徳院自身のあずかりしらぬところで、悪しき運命ははじまっていたのです。鳥羽院の死後、崇徳院は自分の子を皇位につけ、みずからが院政の主となるために、実の弟の後白河天皇とたたかいます。そこへ摂関家の相続あらそいと武士の覇権あらそいがからみあい、ついに戦の火蓋がきっておとされることになりました。」
「たたかいはあっけなくおわり、崇徳院方は敗北、おおくのものが処刑され、院は流罪になります。帝であったものがながされる、それは想像もつかぬ屈辱であったでしょう。わかれのときに、『われても末に』と再会をちかった相手とはだれなのでしょう。」
なるほど、「われても末に」には、そういう深い因縁があったわけか・・・落語のスジそのものには直接関係ないが、崇徳院の人となりを知って、歌への思いが強くなった。「この歌、なんとなく好き」じゃなくなった。
林は更に崇徳院の「夢の世になれこし契りくちずしてさめむ朝にあふこともがな」(契に「ちぎ」、朝に「あした」のルビ)を解説しながら、「逢はむとぞ思ふ」の相手についても筆を巡らすが、それはぜひ本書を手に取って読んでください。
本書は3つの章に分かれている。「かなわぬ恋」「わかれの歌」「世は無常」。時代は万葉から平成までと幅広い。
一番新しいものは
終止符を打ちましょう そう、ゆっくりとゆめのすべてを消さないように
笹井宏之の歌が『えーえんとくちから』から採用されている。
この歌だけをとって、「涙の名歌」と呼べるのか、いささか疑問であるが、笹井を知って、他の歌を読んでいる者にとっては、限りなく切なく哀しく寂しい歌である。
林は笹井の特徴を「彼の歌に特有の感覚は、つよいはじらいだと思います。強烈な思いをひめながら、それを声高に主張することにはじらいをおぼえて、もっとも透明な詩の言葉でいたみをあらわした、というような、どの歌もそんなつつましい抒情が感じられます」と書く。笹井の良さを端的に言い表していると思う。
短歌の定型はそもそも、しめやかな雰囲気を醸し出す形式であるから、涙が似合う。だが、果たして、1首だけで泣けるかというと、いささか疑問で、連作であるとか、詞書があるとか、涙の呼び水となるものが必要だと思う。あるいは作者の人間像や、歌の背景を知っている必要がある。
本書における林の解説が丁寧かつ適切であっただけに、読者を泣かそうとする編集の意図(タイトルも含めて)に疑問が残った。
4月某日
千葉聡『今日の放課後、短歌部へ!』
帯では「青春短歌エッセイ」と名乗っているが、「あとがき」によれば第4歌集である。
ただし「第四歌集とした」の直後に(エッセイの分量が多いので「エッセイ集」と銘打ってもいいのかもしれない)と断り書きがついている。
歌数が158首と少な目で、200ページの3分の2がエッセイなので、短歌入りエッセイとして読んでいたが、エッセイを長い詞書として読めば、確かに歌集である。あるいは、エッセイを五七調ではない長歌ととって、短歌を反歌と読めば、やっぱり歌集である。
正直言うと、エッセイが面白く、印象が強いので、「エッセイ集」だとは思うが、歌集であろうとエッセイ集であろうと、十分に楽しめる本であることには違いない。
短歌とエッセイは、中学校から高校に転任した中堅国語教師が新しい学校に慣れるまでの奮闘記でもあり、教師としてステップアップするまでの成長記でもある。
今の学校の在り方や高校生の姿がつぶさに見えてくるので、ルポルタージュとしても読みごたえあるし、「ちばさと」と生徒に呼ばれる千葉聡の体当たり教育論としても興味深い。
以下、千葉の歌を引用する。
格助詞を「格助」と略し「水戸黄門だね」と言ってもノーリアクション
「文学を楽しめと言った先生が、なぜ助動詞を丸暗記させるの?」
ツイッターで生徒が「ちばさとインフル」と書く 学校に電話して二十分後
「では今から文化祭を始めます」校内放送はなぜかちばさと
「学校のことばっかり」と君は言う 食いながら手帳開いただけで
「これからもペンを持てよ」と熱く語る 国語表現の最後の授業
「あざーした」は別れの言葉 今、風に真向いながらここを出てゆく
4月、まだまだ固い雰囲気の教室。生徒の気を引こうと発したダジャレが見事にスベッタ。格さん、助さん、二人合わせて「格助」。まあスベルのも仕方がないか・・・
2首目は生徒から投げかけられた厳しい疑問。辛い立場の「ちばさと」は何と答えたのだろうか?
3首目と4首目、インフルエンザで休みもしたが、少しずつ学校に慣れてきた「ちばさと」。開会宣言の大役を任せられた。
5首目は、校門の外の出来事、学校一途の日々に君から出た不満。
6首目と7首目は卒業式シーズン。卒業生を送り出す寂しさと充実感が表現されていて、印象的だ
こうして見て来ると、セリフを使うことで、その場の雰囲気がリアルに生き生きと描かれている。現場の生の声の強みである。セリフの多用は表現を表面的に浅くしがちである。同時に、セリフの使用は表現の工夫といった労力を省けるので、案外癖になりがちである。短歌におけるセリフはもろ刃の剣と言ってよいだろう。
やや安易に使い過ぎる傾向を憂いながらも、現場の迫力を写し取るためには効果的であったと思う。
セリフのない歌もあげておこう。セリフ無しでも、現場の雰囲気が十分に伝わってくる。
この窓が今日から俺の窓 椅子にちゃんと座れば見える薄雲
一面に風のかたちを抱きしめてすぐに手放す春のプールは
約束は果たされぬまま約束を信じたころのかたちで眠る
歌に詠み続けよう 今ここにある光、ため息、くちぶえなどを
さよならの練習 春になりかけの空の白さにただ手を伸ばす
巻末には、千葉、穂村弘。東直子による座談会〈短歌には青春が似合う)が収録されている。
東 それにしても今回の本は、嫌な人が一人も出てこなくて読後感がいいです。
千葉 ふりかえると、思い出はみんな不思議なくらいあたたかいです。
東 「ちばさと」先生は愛されて天国へ行けるって感じがする。
穂村 いや、案外地獄だったりして。一体陰で何やってたんだろう、みたいな。
一同 (笑)。
4月某日
水原紫苑『桜は本当に美しいのか』
〈美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない〉という小林秀雄の言葉があるそうだが、花は美しいものだと既成概念に凝り固まってはいけないという戒めであろう。
水原紫苑は桜の美しさについて次のように疑問を投げかけている。
「桜は本当に美しいのか。花であるからには、相応に美しいかも知れない。しかし、ここまで人間が傾倒するほど美しいのか。」
短歌をはじめる前、少女の水原は桜をさほど美しいと思わなかったという。「春の花なら、椿や牡丹や薔薇のほうがずっときれいなのに、と私は思っていた」。
その思いが一変したのが、学生時代の終わりに「現代短歌の世界に飛び込ん」でからだ。
師の春日井建の影響で現代短歌とともに古典和歌にも触れ、「空恐ろしいほどの桜の歌の集積」に出会った。
「私も桜を詠まなければならないという焦燥に似た思いの中で、いつか桜は美しいという結論が導き出された。花見客はやはり不快だったが、なるべく見ないことにした。そうなると、物にこだわる気質で、ささやかな庭に三本の桜を植え、純白のトイプードルの仔犬を「さくら」と名付けて伴侶に決めた」。
ところが2011年3月11日の大震災ののちに例年と同じように咲いた桜を見て、桜への思いに変化が生じた。
「私は、その桜の姿を美しいと感じることができなかった。あまりにも非常に見えた」。
本書は、「万葉集」、「古今集」、「枕草子」、「源氏物語」、和泉式部、「新古今集」、
西行、定家、世阿弥、芭蕉、「忠臣蔵」、「積恋雪関扉」、「桜姫東文章」、「春雨物語」、宣長に詠まれた桜を丁寧に追いながら、近代、現代に至る。
近代文学の章は「近世までの文芸に現れた桜の豊饒さと比較すると、近代文学、とりわけ小説に登場する桜は、影が薄く寂しい。」の一文で始まる。
近現代の桜の短歌の章は「ここから、私としては少々憂鬱な話題に移る。」で始まる。もちろん、戦争と短歌の関係を言っている。
近代現代短歌の例として与謝野晶子、斎藤茂吉から斉藤斎藤、永井祐まであげているのだが、水原らしいと思ったのが次の2首だ。独自の美を生み出す二人の世界で、桜は美しいだけの存在としては描かれていない。桜イコール美しい、桜に潜む幻影を見るべしといった既成概念を捨て去らなくては、もはや桜の歌は作れないのだろう。
いつまでもいつまでもとはわらふべきわれにて候 桜に病めば 紀野恵
ユニコーンの角のようなる独身のわれは桜並木をあるく 大滝和子
巻末に「桜ソングの行方」という章が置かれていて、水原自身も書きながら何故書いているのかに迷っているようだが、この章だけを更に深めて1冊にできれば面白いと思う。
「あとがき」によれば桜論を書こうと決めてから本書を実際に書き始めるまで、10年かかったそうだ。
「今年、急に書く気になったのは、タブレットや新しいパソコンを購入して、手書きより、長いものが書きやすくなったせいもあるのだが、最終的に背中を押したのは、桜ソングのところでも書いた藤圭子の自死である。一九五九年生まれの私は、社会の記憶が七〇年から始まっている。とりわけ、十一月二十五日の三島由紀夫の自死と、十二月三十一日紅白歌合戦の日本人形のような藤圭子のどす黒い歌声は忘れられない。あの呪いは本物だった、振り返れば、三島由紀夫と藤圭子、二人の自死の間を生きてきただけの人生だった、という戦慄の中でひたすら書いた」。
4月某日
嵐山光三郎『年をとったら驚いた!』
本書も藤圭子の死に触れている。
「六十二歳は若すぎた。浪曲師だった両親につれられて全国を巡業し、中学を終えると浅草界隈を流した。ドスのきいた声で「私の人生暗かった・・・」と日陰者の怨み節を歌った。藤圭子は七〇年安保世代の偶像であった」。
嵐山光三郎は近くの公園で拾った約100個の松ぼっくりを、一つずつ七輪にくべて燃やしながら、死んだ人を思い出すのだという。松ぼっくり供養と名づけたそうだ。
谷川健一はかつての上司だった。平凡社に嵐山が入社したのが昭和39年、「出版社というより、ならず者の砦といった気配が濃く、奇人怪人変人極道秀才社員が二四〇人いた」。
谷川は『日本残酷物語』シリーズをベストセラーにした編集者で、月刊「太陽」の初代編集長。
「おめえは生意気で威勢がいいらしいが、俺を知っているか。酒を飲ませてやるから、ついてこい」と声をかけてきた。
最初のうちは和やかだったが、柳田国男と折口信夫の評価で対立し、「バカ野郎」とコップ酒をかけられ、「表へ出ろ」の騒ぎになった。
騒ぎから3カ月後、谷川は会社を辞め、執筆に専念した。
新しい本が出るたびに嵐山は買い、「ケンカの仲直りをしたい」と念じ続けた。
年をとることについて嵐山は次のように書いている。
「年をとることは年表のような一本の時間軸ではなく、エリアの拡大とみるのが正しい。
私を例にとると、七十二歳の肉体のなかに、十代二十代三十代四十代五十代六十代のときに吐いた言葉の泡(気体)が、大小のポップコーン状になってまとわりついている。ある泡は消え、ある泡は大きくなり、ブクブクと動いている。それが生きていることの証しである。はてしない旅の記憶、命がけの格闘、古書への耽溺、狂おしいほどの饗宴、忘れ得ぬ友人たち、平凡社での編集修業、青人社熱血社員との連帯、坂崎重盛氏との三十年余にわたる義理人情出版渡世、赤坂八丁目の野望、神楽坂の月、など数百の記憶が、虹色の球体となって、そのどのひと粒も「ああ驚いたア」とつぶやいている」。
嵐山は俳句を作る人であるので、俳句について書いた文章も面白い。とりわけ「海程」創刊50周年記念祝賀会の模様を記した「92歳の野生・金子兜太を見よ」は何度読んでも笑える。
4月某日
吉岡太朗『ひだりききの機械』
第50回短歌研究新人賞を受賞した吉岡太朗の第1歌集。
空想力の所産により生まれた歌が並び、正直言って、わからない歌が多いのだが、次のような歌は、なんとなくわかるような気がする。
ごみ箱に天使がまるごと捨ててありはねとからだを分別している
ローソンとファミリーマートとサンクスとサークルKのある交差点
プールサイドをバスに揺られて半時間プール建設予定地につく
ローソンを出るとガストでガストから出ようとするとローソンである
1首目の天使を、たとえば解雇された若者たちの投影として読んでみた。
天使のように優しくて、悪ずれしていない若者ほど、捨てられやすいのかも知れない。しかも捨てる時は羽を分別されてしまう。天使が天使であることの要件までもぎ取られてしまって。最後まで天使でいることを許されずに。
痛ましい歌だ。
2首目は一見すると嘘っぽい場面である。いくらなんでも4つも揃わないだろうと思うのであるが、実は結構見かける光景だ。4つもあると「便利」と考える。だが、考え直してみると、結局4つともコンビニであり、弁当の品ぞろえは多少変わりはするが、ローソンが4つあることと、そう大差はないのだ。便利のようであって、ちっとも便利じゃない。
しかも、この交差点には肝心のセブンイレブンがない。別になくても良いのだが、コンビニの老舗セブンイレブンがないのは、やっぱり奇妙である。違和感がないようであって違和感がある光景に違和感を感じなくなっていることへの違和感。
3首目と4首目、先行きがまったく見えないにもかかわらず、日々を過ごさねばならないことへの苛立ちと不安、そして虚脱感。やっとたどり着いた先が脱け出せない現状の地続きであり、しかも予定地であったことの失望。ローソンとガスト以外は行けないジレンマ。読めば読むほど重い空気が垂れ込めている歌だ。
昨日よりみじかくなったキッチンを磨く いままでありがとう
店員と土手をあるいて手をつなぎこころをかよわせあってレジまで
両手とも左手なのでひだりがわに立たないとあなたと手をつなげない
お客様がおかけになった番号はいま草原をあるいています
前の4首が歌集前半の歌、この4首は歌集後半の歌。比べれば、後半の歌に希望が見えてきているのがわかる。ただ、まだまだ希望への対応の仕方がギコチナイ。希望に慣れていないのだ。
水鳥がとびたつように抜くんやと教わりて抜く口から匙を
全身をゆびさきにして指はただ一本のストローを支えとる
ありがとうございましたは変やろとおもえば思いに濁ることばは
ささやかな夜間飛行の右向きに眠るからだをひだりにむかす
作者は介護職に就いているようだ。数は少ないが、どれもいい歌だと思う。
2首目、指先に神経を集中させている場面がリアルだ。
3首目、介護職の人が利用者(=お年寄)の世話をさせてもらった後(お風呂に入れたり、オムツを交換したり)、「ありがとうございました」と言うことへの違和感。
4首目、浅い眠りにいるお年寄の体を、床ずれ防止のために、体位変換するところ。
本書の介護の歌を読んだあと、わたしは1冊の詩集をひろげた。齋藤恵美子の『最後の椅子』。2005年に出版されたもので、ずっと知らずにいたが、最近読む機会を得た。
父の介護を詠み、介護職の経験を詠んでいる。1冊が介護の詩で埋められている。
私自身、両親の介護を少し長めに経験したが、この詩集を読んで、「報われた」とまず思った。
癒されるではない。共感でもない。
理由は説明できないのだが、ただ、報われたと思った。
詩集の中の一編をあげておく。
齋藤恵美子『最後の椅子』より。
個室で
立たせて、オムツをはずしたとたん
待ちきれない重さが落ちて
あ、てのひらで、受けてしまう
証拠のようなあたたかさだ
こんなこと、あなたにさせて、すまない、ほんとに情けない
親御さんに申しわけない
なんども、詫びを言うひとがいる
ありがとう、大変ねえ
ねぎらいながら、両手を合わせ
仏さんを拝むみたいに、深いお辞儀を
繰り返すひともいる
あんた、こんな仕事してて、いったい何が、面白いの?
哀れむような視線を向け
あきれかえるひとも、いた
面白い朝、もあるし、そう思えない夜、もある
他人のお尻に、自分のお尻の、ゆくえを眺めた午後、もあった
わたしはけれども、どんな思いも、ここでは
声には吐かせずに
ささえたものを便器へ流し
静かに、うんちを、ふいてゆく