歌の生命力

今月の8冊

 

大松達知『ゆりかごのうた』 六花書林

松村正直『午前3時を過ぎて』六花書林

岡部桂一郎『坂』青磁社

梶原さい子『リアス/椿』砂子屋書房

大衡美智子『光の穂先』 現代短歌社

植田美紀子『ミセスわたくし』 ながらみ書房

小川靖彦『万葉集と日本人』 角川選書

高橋順子『水のなまえ』白水社

 

5月某日

大松達知『ゆりかごのうた』

 

大松は「コスモス」に所属、選者・編集委員を務める。

『フリカティブ』『スクールナイト』『アスタリスク』に続く第4歌集。

大松の歌は常にわかりやすく、一切の謎が無い。

謎を拒否するように歌われている。

だから、わかる度数がかなり高い。

「わかる、わかる」の歌だ。

そういえば私も同じことしている、同じこと考えていると、共感度も高い。

意外性がない代わりに読者を置き去りにするようなことはない。

通常、「わかる、わかる」の歌は、言葉があっという間に流れて行って、読後なにも残らないということがあるのだが、大松の歌は「わかる、わかる」のもう一つ奥にある「わたしも同じ」の共感のレベルまで達していくので、ことばが残る。

言葉が上滑りしてゆくことなく、読者の心の襞にひっかかって止まってくれる。

だから、残る度数も高い。

わかって、共感して、残る、それが大松の歌だ。

 

むらさきの御守りひとつ月曜のカバンに戻し旅を終へたり

〈終〉の字がせり出して来る小津映画〈冬〉の最後の点が上向き

尖りたる熾が見えたり隠れたりしてゐるうちに帰らなくては

それは君の個性のひとつ泣いて泣いて泣いて明くる日宿題忘れる

過去形を使つた文を作らせて母の亡きこといまさらに知る

きんつばのきんつばによるきんつばのためのわたしの夜のきんつば

嫌ひつて三回言へば好きになるまじなひは効かず蕗の土佐煮に

ビール飲んでもうまさうな顔しないこと身ごもりびとの妻と約せり

拭きたくてそのままにしてゐた眼鏡 残んの月に照らして拭けり

 

1首目、週末に旅行をした。いつもは通勤カバンに入っている御守りを旅行カバンに入れて行った。歌は、ただ、そのことだけを言っているのに、歌としてちゃんと成立している。

なんでだろう?

「むらさきの御守り」の厳粛で、おごそかなイメージが、「月曜のカバン」という短歌的に省略され飛躍した言い方と衝突することで、詩花(火花ではない)が散っている。

だが、その詩花を結句に来て「終へたり」の旧かなと文語助動詞が鎮火させる。

展開した上で収束した歌の作り方が、成功して、短歌として成り立ったのだと思う。

2首目は発見の歌なのだが、小津映画であることが郷愁を醸し出す。「そういえば、そうだったような?」と共感に似た様な感情が起こり、「小津映画をしばらくぶりに見ようかなあ」という気分にさせる。

3首目、怒りが爆発寸前の心理状況を歌った。場面は職場であろう。

この次に紹介する松村正直の『午前3時を過ぎて』にも心理状態の揺れを詠んだ歌が多く出て来るが、松村は微妙な揺れを歌い、大松は大きな揺れを歌う。

そこに二人の作風の違いが出ているように思う。

繊細と豪快とは言い切れないのだが、火がついた寸前を歌うか、ある程度燃え広がってから歌うか、そのような違いかも知れない。

4首目と5首目は職場での歌。5首目には「英語の授業。」と詞書がある。

大松は英語の教師。4首目はユーモラスに、5首目はやさしく静かに生徒を歌っている。

6首目から9首目は仕事を終えた後の自分の時間。大松には食べ物の歌が多い。たいがいが好きな食べ物を素材にしているが、嫌いなものを読むときの苦々しさがユーモアを引き出す。

 

巻尺をもちて計れるその体、声だして指の数は数へる

生まれたる日の体重の四ケタをアマゾンの暗証番号にせり

吾子のため、否、吾子に会ふわれのため乾杯のみで帰る宴席

〈ゆりかごのうた〉をうたへばよく眠る白秋系の歌人のむすめ

木偏まで書いたところで子の泣いてそのまま朝になつた〈松〉の木

にんげんになりつつあるか二ヶ月の吾子の足指ときに臭へる

春の日のトンネル過ぎて振り返る吾子にもすでにすぎゆきのあり

ベビーカー先立ててゆく秋の野のわれに差す陽が赤子にも差す

 

1首目には、「助産師さんたちは手際がいい。」と詞書がつく。

本歌集の一番の特徴はいわゆる育メンの歌が多いことだろう。

妊娠中から始まり、出産に立ち会い、1歳になるまでの歌が約140首ある。

444首中の140首、3分の1。

いまの大松には歌わなくてはならないテーマなのだろうが、やや多いような気もした。

だが、可愛いだけの我が子として詠まずに、人格を持った一人の人間として子を見つめていることは、とても清潔な感じがして、好ましい。

今後成長するにつれ、さまざまな局面が出てくる事だろう。

子育ての葛藤が、もっと深く詠まれたりもするだろう。

 

 

5月某日

松村正直『午前3時を過ぎて』

 

松村は「塔」に所属、編集長を務める。

『駅へ』『やさしい鮫』に続く第3歌集。第2歌集から8年空いているが、その間に評論集『短歌は記憶する』と評伝『高安国世の手紙』を上梓している。

この評論集と評伝はともに切り口が斬新で、「わたしも、こういうものが書きたい」と思わせるほど刺激的だった。

変な言い方だが、前を行くランナーの松村の背中を常に見ながら、わたしは書いていると思う(私のほうが10歳年上にもかかわらず)。

 

それとなく言われていたと気づきたり黒きサドルを跨がんとして

相槌に勢いづいて踏み込めば話半ばにてその動き止む

耳の後ろがほのかに寒いあの後が大変だったんだよと言われて

当日のわれの些細な不機嫌もうつりていたり写真の隅に

叱責に慣れぬわが身はくらぐらとかたむいてゆく月照る道に

優越感のごときものあり知る者が知らざる者に伝えるときの

 

大松達知の『ゆりかごのうた』にも書いたが、微妙な心理のゆれが歌われた作品。

そのときは気がつかないでいたものに、後になって気づくことがしばしばある。気づいた瞬間を詠んだ1首目。自転車のサドルを跨ごうとした瞬間という具体性に説得力がある。

相手と別れて、しばらく時間が経っていることもわかる。

言われた内容について触れていないのも、歌に普遍性が生まれて成功したと思う。

2首目もよく経験する事。相手の興味を「動き」と捉えたところがリアル。

3首目、気恥ずかしさを「耳の後ろがほのかに寒い」と肉体感覚で表現したところが評価できる。この歌も「あの後」と場を曖昧にすることで、箴言のような重みを持つ。

4首目、写真の不機嫌も、その日の不機嫌をあとに引きずっているから、不機嫌な顔に自分では見えるのだろう。「写真の隅」という微細な表現が不機嫌に相応しい。

5首目と6首目で歌われている心理表現にも惹かれるものがあるが、5首目は上句と下句が付きのような気がする。6首目はやや露骨すぎる感じがしないでもない。

 

あなたにはがっかりしたという顔で十字路を行く猫が振り向く

サラダには手をつけぬまま海に降るあかるき雨をこの人は言う

先に来て水のほとりに待つことの不安を言えばふかくうなずく

別れ際に十万円を包みたる父にいかなる思いありしや

窓ガラスに映るあなたはあなたよりやや年老いて全集を読む

日のあたる河原の小道かなしみは明日の方が濃いかもしれぬ

 

心理描写は更につづく。

1首目は、作者が自分自身に「がっかり」しているのであろう。自己嫌悪感を猫の顔に託した。

2首目、相手の不満を相手の言葉に見出した作者。目の前のことよりも海に話を転じた相手の心理を読み取って、作者はどのように対応したのだろうか?

聞えぬふりをしたか? 相槌を打つしかなかったか?

3首目、不安を言ったのが相手か、作者か? うなずいたのは相手か、作者か?

どちらで読んでもいいように、読者に投げかけた歌い方がされている。

4首目、父の心理を思いやる。「か」と疑問で終わっているが、詠嘆に近い意味を持っているようだ。作者には父の「思い」がわかっているはず。

5首目は「あなた」を詠みつつ、結局は自分の、そのときの心理状態を詠んでいるわけだし、6首目は上句の舞台設定が、明日くるべき深い悲しみの序曲として働いている。

 

ピオーネの皮を十指に剝きながらむらさき色に染まりゆく子よ

自らを叱るがごとく内気なる子をしかりたり夕食のあと

一字だけ漢字まじりとなりし子が声出して読む春の教科書

書き取りを子にさせており宇治川の花火の音を遠く聞きつつ

 

松村も育メンの歌を詠んでいるが、大松よりもパパとして数年先輩であるようで、子との間に、喜びだけでは済まされない複雑な感情が発生している。

 

 

5月某日

岡部桂一郎『坂』

 

平成24年に97歳で亡くなった岡部桂一郎の遺歌集。3部に分かれていてⅠ部には『竹叢』以降の作品が収められている。

年齢を詠んだ歌が何首かあり、嘆息のような歌い方をする独自な表現方法は健在。というか、ますます嘆息に近づいた。にもかかわらず、韻律の確かさは崩れていない。

日常を描きながらも、日常を超越してしまうように思えるのは、岡部の歌だからと思って読むからだろうか。

うまく説明つかないが、平明な表現であっても深淵な世界に到達できることは確かなようだ。

 

窓越しに竹を見ている九十まで生きれば長い今日の夕ぐれ

青梅のひと日ひと日を太りゆく九十を過ぎて判ることある

九十三歳指折りかぞえひらきたる右のてのひらしまうポケット

ぼんやりと九十三歳近づくか右往左往の雪の降りつつ

九十五か 歌をつくれというけれど 餌を欲る雀窓に来ている

 

2首目の「九十を過ぎて判ること」とは何だろうと興味はあるのだが、歌は何にも答えてくれない。

「君も九十になれば、わかるんだよ」と言われているような感がある。

4首目、「右往左往の雪」をどのように読めばいいのだろうか?

人々を右往左往させている雪? 吹き荒れる雪? それとも昔の雪を思い出しているのか? 雪は比喩で何か右往左往するような出来事が起きているのか?それとも幻覚なのか?

これこそ、93歳になればわかることなのかも知れないが、93歳の思考能力が、幻覚に近いものを見ている状況と取りたい。

そう読んで行くと、5首目の95歳が見ているスズメも幻覚かも知れない。

雀の本当の正体は、95歳になればわかるのだろうか?

 

捨てられしトラック除けてここよりは坂となる道 暗く続けり

わが歌よどこへ行くのか雨のなかくら闇坂をゆく人のある

人ゆかぬ細き坂みち風たてりわれの眼のかげりゆくとき

疲れたる自動車日ぐれの坂のぼる一息つきてまた登りけり

あの坂を登って由紀子が帰るなり枯れたすすきが揺れいるところ

あの坂をのぼって家に帰りたい 汽笛がぽーっと鳴っている坂

傘さしてくらやみ坂をのぼりゆく男とおんなしばらくつづく

 

さらにⅠ部の作品より。

『坂』というタイトルが示すように、坂を詠んだ歌が多い。

どの坂も実景でありつつ、なにかを象徴している。

なにを象徴しているのかは本当に今の私にはわからなくて、1首1首の生命力の強さというのだろうか、何度読まれようとも、わからないけど、それでいて読者の中に生き続ける歌だと思う。

わかったつもりになってしまってはいけない歌とも言える。

岡部の歌を読むとき右往左往しているのは読者であって、でも、その右往左往が楽しいから岡部の歌を読むのだろう。

「やられたなあ」と思える歌集は滅多にないが、この1冊に私はやられてしまった。

妻の岡部由紀子による詩のような「あとがき」が収められている。

全文を引用したいところだが、それはやめよう。

3行だけ書き写すことにする。

 

歌たちの貌がこちらを向いた

「俺はまだ生きていたのか」

そこにあなたが佇っていた

 

歌の生命力だ。

 

 

5月某日

梶原さい子『リアス/椿』

 

「塔」に所属する梶原さい子の第3歌集。梶原は宮城県大崎市に在住。

実家は気仙沼市唐桑町にある神社と「あとがき」に書かれている。

歌集は「以前」と「以後」の2章に分かれている。以前と以後を分けるものは2011年3月11日に発生した東日本大震災である。

 

泣きながら焼きそばを食ふ いつもいつも定期健診の後のこころは

水色の釦ひとつをくぐらせて少しいびつな孔でありけり

はぐれてもどこかで会へる 人混みに結び合ふ指いつかゆるめて

皆誰かを波に獲られてそれでもなほ離れられない 光れる海石

満ちて干る時間のなかに薄らげる傷はも海にいくすぢの傷

 

「以前」から5首。

目次を見て、「以前」のあとに震災が来ると知って読んでいるから、すべての歌が、これから起きることを象徴しているように、どうしても読めてしまう。

「以後」の最初の連作のタイトルが「その時―二〇一一年三月十一日 東日本大震災」というのだが、「その時」だけにしておく選択もあったような気がする。「その時」の意味を多くの読者がうすうす気付くであろうが、ある程度の謎が残るまま「以前」の歌を読んだとしたら、「以前」の時間の中だけで歌を読めたと思う。

とは言っても、それは一度目だけのことで、二度三度と読むのが普通な歌集の場合は、さほど重要ではないのかも知れないが。

4首目の「海石」に「いくり」のルビがある。海石とは海の中にある石、暗礁のこと。漁業で生計を立てる人々を詠んでいる。この歌と5首目を含む「舟虫」の一連27首で「以前」が終わり、「以後」に移ってゆく。

 

誰かゐないかあ叫びつつ駆ける廊下なりガラスを踏んで下駄箱越えて

ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを

水なくて雪食ひし日々放射性物質が降り積もるも知らず

あらかたを流されながらそれでもなほ人ら喪服を調へんとす

容れ物の欲しかりし日々水を灯油をガソリンを汲む大き器が

何見でも涙出るのと言ひながら母はまた泣くつるつると泣く

 

「以後」の前半部分から6首。

震災の日と数日間を詠んだ作品。

1首目、叫ぶ、駆ける、踏む、越えるの畳み掛けで一首にスピードは生れたものの、「廊下なり」の「なり」の緩さと、「踏んで~越えて」の言い差しが緊張感を削いでしまったような気がする。

2首目、誰が言ったのかはわからないが、特定せずに、多くの声と読むべきだろう。極限状態にあっても、何かに感謝する人間の哀しくも優しい一面を切り取っている。

3首目、批判と読むよりも、人間が生きてゆくことの哀しさと読みたい。雪で救われたと思ったときもあった人間が、雪を畏れる気持ちになるまでの時間が歌われている。

4首目と5首目、被災地で生きる人々の姿を描き、印象に残る。2首とも第3句に字余りがあり、作品としてはまだ推敲の余地があるのかも知れないが、ため息がふと洩れたような「それでもなほ」、涙があふれたような「水を灯油を」が強く訴えてくることも確かだ。

6首目、「何見でも」の方言が、その地に生きる人の生の声として力を持っている。「つるつると泣く」は自然と涙が流れてくる様子をイメージした。

 

震災前のものですからと言ひながら折り畳まるるこんぶを渡す

雑食の蛸であるゆゑ太すぎる今年の足を皆畏れたり

気仙沼の仮設市場を母とゆく遮るもののなき風のなか

「震災の時に貢献したことは」面接質問集に加はる

原発に子らを就職させ来たる教員達のペンだこを思ふ

三度目の春の早蕨 ふたたびを食するものの増えてゆきたり

 

「以後」の後半部分より。震災が起きてから、時間が経過しての作品。

1首目は風評被害が騒がれる中、何かをあげるにしても気を使わなければならない辛さ。昆布という生活に密着した品であるだけに、辛さが一層重くのしかかる。

2首目、「皆」とは誰なんだろう? 当然「われ」も含まれているのだろうから、

「われ」あるいは「われら」を使って、歌の内容に責任を持つ方向に行ってもよかったのではないか? 「皆」という言葉に、わたしは作者の腰が引けているような感じを受けてしまった。

3首目、具体的な場面ではあるが、とても象徴的な歌だ。「ゆく」「遮るもののなき」「風のなか」がという言葉と、震災以後という時間が合わさったことにより、これからを生きてゆく困難さを象徴する場面として読めるようになった。

4首目、作者は教諭である。歌集の構成からいうと、歌は震災から1年半後に詠まれているので、昨年の就職試験において、このような質問があったということであろう。作者の感情をあえて切り捨てた歌い方に、言葉にならない空しさを見る。

5首目、「思ふ」の「思」に「も」のルビあり。結句の「ペンだこ」が無性に切ない。生徒のことを思い、いいところに就職させようとしたことは果たして正しかったのか? 作者の自問自答がある。

6首目に見える希望。そして作者の願い。「春の早蕨」も今後を思わせて象徴的である。

3年が過ぎ、さまざまな形で歌われた震災が1冊の歌集になって読まれることが多くなった。

「震災を詠んだだけの歌集ではない」と書いて書評をまとめることが妥当なのかもしれないが、あえて「震災を詠んだ歌集である」と書き終えたい。

すべての歌が震災を詠んだにつながり、水準が高い。

震災を中心に据えた歌集として、評価され、残されるべきだと思う。

 

 

5月某日

大衡美智子『光の穂先』

 

現代短歌社が募集した「現代短歌社賞」の第1回受賞作品。応募は新作旧作を問わずに300首、賞品が歌集出版という、新しい形の賞だったので、募集開始時から注目していた。

その歌集が届いて、読み始めたら止まらなくなった。

表現に難があると思う歌もあったが、読ませる力を持った歌集だ。

大衡美智子は「橄欖」と「音」に所属していて、これが第1歌集になる。

 

すんすんと雪割草の芽が伸びて歓喜の歌を歌ってる ほら

折り畳み傘に折られて畳まれて来たる昨日の弘前の雨

母とわれの手首を繋ぐ紐すこし弛めて茣蓙に体横たう

雑魚寝する頭跨ぎてだれかまた棺の傍に泣きにゆくらし

ぶくぶくぱーぶくぶくぱーと呼吸する度にプールにこぼるる涙

 

初めの方の歌をあげてみた。

1首目は巻頭歌。巻頭に相応しい、明るさ。これから何が始まるのだろうと期待を持たせてくれる歌いっぷりだ。

「すんすんと」も「歓喜の歌」も決して新しい表現ではないので、巻頭に置くには冒険的であったと思わないでもないが、結句の「ほら」が歌に芽吹きを与えている。

2首目、旅行カバンから折り畳み傘を出して広げたところ。「折り畳み」を分解してリフレインとした「折られて畳まれて」が楽しい。こういう表現に作者の語感と音感の良さを感じる。

3首目は入院している母に付き添う場面、4首目は、その母が亡くなって通夜の場面。「手首を繋ぐ」「棺の傍に」といった冷めた表現が歌を支えている。

5首目、オノマトペの長さが、泳いでも泳いでも気持ちの整理のつかない状態を言い表している。溺れそうな、苦しそうな息継ぎであるところが、歌の内容に合っている。

 

総務班われの預かる鍵三つ食料庫のプールの緊急車両の

震度6強にどこかが壊れしか食べても食べても甘い物欲し

水道の蛇口ひとつが残りたる区画の隅に咲ける昼顔

復興の砂煙立つ女川のうみねこの群うみねこのふん

 

仙台に住む作者の震災の歌。

「われ」を主役にしながらもドキュメンタリー風に描いた1首目、笑っている場合じゃないのに何だか可笑しくなってしまう2首目。

その場を体験した人でしか歌えない作品のリアルに注目した。

3首目と4首目は時間の経過した街をスケッチしたもの。

街から喪失された人々の暮らし、暮らしがあったことの証拠としての蛇口、復興を願って作者が描いた昼顔の花。

4首目の「うみねこのふん」にも作者の願いが込められている。生きる証しとしての「ふん」。意外な結句への展開に驚きながらも、納得した。

 

「頸髄損傷頸椎骨折顔面外傷四肢麻痺」妻なるわれは告げられており

面会の用紙に記す患者との関係は「妻」これからも「妻」

手も足も動かずなりし人の顔に蒸しタオル乗すピンクの花の

知りながらおそらく夫も言わずいる今日が結婚記念日のこと

食べさせて歯磨きをして否させてもらいて帰る夕星の下

北へ行く高速バスが停まってる ふらりと乗ってしまうなよ足

 

事故の知らせを受けて救急救命センターに駆けつける場面から始まる歌集後半部の歌から引いた。

歌わずにはいられないことを歌う作者の精一杯の気持ちを受け入れてくれる短歌という定型詩の受容力を思いつつ、歌集を読み終えた。いい歌集だ。

 

 

5月某日

植田美紀子『ミセスわたくし』

 

「心の花」に所属する著者の第1歌集。ユニークなタイトルは巻末の

〈いつの日も分別くさくそばにいて私と生きるミセス私〉から(結句の「私」に「わたくし」のルビ)。もっと自由に活動したいと思ってはいても、歯止めをかける自分がいる。それを「ミセス私」と名づけて、私の見張り番をさせている。歌集を開いてみたくなるタイトルだ。

 

蟻なれば旅に出ますとリュック背に出かけるほどの橅の大木

用水路を流れる水はことごとく米だ米だと叫びつつゆく

繭玉のごとくふくれて雀らが柳にとまる精米所の前

岩盤浴終えて帰りのうどん屋にすっぴんのわれの啜る素うどん

三秒を踏ん張るのちにすっとくるすっとがよくて大根を引く

 

歌集の最初の方には、このような楽しい歌が並ぶ。

大きなブナの木を前にして作者は途方もない発想をした。わたしが蟻だったら

リックを背負って、この木を旅したい・・・

木に登るのではなくて、木を旅する。なんて自由な発想なんだろう。

何泊くらいの旅になるのだろうか?

2首目、田に放たれた水の様子を、水の歓喜と捉えた。水の音を水の叫びと聞いた。ここでも発想の自由さが活きている。米作りに役立てて水は「米だ米だ」と叫びたくなるほど嬉しいのだ。

3首目も米にまつわる歌。精米所の前だから、米がこぼれているのだろう。おこぼれにあずかるスズメはふっくらしている。

4首目、すっぴんと素うどんの洒落ではあるのだが、うどんの白さが岩盤浴後のつるつるの肌の白さと重なって妙に艶めかしい。

5首目、最初のうちは何のことだろうと思って読んでいると、結句に「大根を引く」。意外な展開が待っていた。リフレインを使ったリズムの良さが心地よい。

 

この家には誰もいません息子などましていないと鍵かけて出る

子について語ればいつもお互いを責める気配に夫は立ち去る

夫より大きなシャツ着て眠る子を心の腕にゆったりと抱く

窓からみる新緑きれいと子はいいぬ半年ぶりに髪切りやれば

 

たのしい歌がしばらく続いて、このままずっとこの調子かと思っていると、40ページを過ぎて突如、歌の内容が一転する。ひきこもりの息子を歌った一連が待っていた。読ませる構成が考えられている。

どの歌も切実な内容だが、客観的な視線が保たれている。崩れそうなところで、ぎりぎり表現の節度を保っているという感じがする。

それは作者が、ひここもりの息子を持つ母だけでなく、ひきこもりの相談を受ける支援もしているからだろう。

「ミセス私」が私の見張り番であったように、「相談員私」が母の私を見守っている。

 

きのう東北きょう東京が夏日という マンゴー王国やけにすずしい

名を呼べばシッポで返事する猫と止まぬ時雨の庭をながめる

目玉焼きの手も足もない淋しさにバジルとトマトそっと添えたり

大声で泣きしゆうぐれおき出でてすっとんすっとん蓮根を切る

サミットの国旗たなびく街中をコトコトと行く仮設のトイレ

行く先を探しきれずに泣きはらしくたくたになってわが文もどる

キラキラと絡まりあいて子どもらが通りし辻に八朔ひとつ

 

歌集後半から気になる歌をあげた。たのしい歌がどうしても多くなるのだが、他にも自身の病気を歌われた作品がある。だから、たのしい作品を読むと、敢えてたのしく歌いたくなる作者の深い悲しみを感じてしまう。

笑い顔の奥に仕舞われた泣き顔を意識しながらも、作者の笑い顔に私もつられて笑う。

 

 

5月某日

小川靖彦『万葉集と日本人』

 

「読み継がれる千二百年の歴史」とサブタイトルが付く。

完成してから今日まで、『万葉集』が1200年の間に、どのように筆写され、読まれ、解釈され、受け継がれ、利用されてきたか?

現在われわれが『万葉集』を読めるのは何故か?

時代時代の『万葉集』の姿を作者は丁寧に追って行く。

本書は、万葉集が人々と社会に受け入れられていった受容の歴史であり、万葉集に関わった多くの人々の人間ドラマでもある。

『万葉集』というと天皇から庶民まで、あらゆる階層の人々の歌が集められた「国民的な歌集」というイメージが強いが、それは違うと小川は次のように書く。

 

「あくまでも天皇・貴族を中心とする歌集です。『万葉集』の半数を占める作者未詳歌も、その中心は平城京に暮らす中・下級官人が作者です。東歌にしても、東国の有力な首長層の歌や、首長層のもとで歌われた歌を短歌形式に整えたものです。」

「それに、東歌も防人歌も「一般庶民」の素朴な歌として集められているわけではありません。農民出身の兵士にいたるまで、中央の文化である「やまと歌」が浸透していることを示すことで、本来中央とは言語や文化が異なり、なおかつ、大きな軍事力の供給地であった東国を、政府が掌握していることを示そうとしたのです。もちろん、『万葉集』の時代には「国民」という概念はありませんでした。」

「『万葉集』は「国民的な歌集」ではありませんし、また、純然たる「抒情詩集」と捉えるのも違っています。『万葉集』は舒明天皇に始まり聖武天皇に至る皇統の〈歴史〉を、「やまと歌」によって描こうとした歌集なのです。」

 

このような性格を持つゆえに、『万葉集』は、天皇を中心に政治と文化が繁栄し、統制が取れた時代の象徴とになった。

古(いにしえ)の良き時代を求めて、混乱期の人々は『万葉集』に拠り所を求めた。

数が少なかった『万葉集』の写本を持っていること、読んで歌を知っていること、また『万葉集』の写本や研究を命じることが、政治の権力を持ちそして文化の中心にいることの証しとなったわけである。

権力者に利用されることで『万葉集』は現在まで生き延びたともいえる。

 

本書は時代を六つに分けて、各時代の最大の功労者(あるいはもっとも特徴的な人物)をあげている。

平安前期・・・紀貫之

平安中期・・・紫式部

平安後期・・・藤原定家

中世  ・・・仙覚

江戸  ・・・賀茂真淵

近代  ・・・佐佐木信綱

 

最初、『万葉集』は全てが漢字で書かれていたわけだが、仮名に書き換える段階で、さまざまな表記に分かれた。

それぞれが書写されて伝えられていくわけだから、平安の後期ともなると、何種類かの『万葉集』の写本が出現した。

それらを比較対照した『万葉集』を作ろうとする作業が行われるようになったが、一つには歌合の参考にするためであった。

歌合では『万葉集』を参考にした歌が多く作られたために、情報をたくさん集める必要があったのだ。

もう一つの理由は、宮廷の権威拡大のためだった。

写本の比較対象は、宮廷が所有する写本に摂関家が所有する写本を取り入れる形で行われた。

宮廷は自分の写本に摂関家の写本を取りこむことで、写本の権威を高めると同時に、宮廷の権威をも高めたのだ。

また、平安後期には、今までの巻子本の他に、冊子本が登場した。

歌合の参考資料にするには、検索がたやすい、巻物よりも、冊子のほうが便利だからだ。

 

鎌倉時代の中期、学僧仙覚による大規模な本文校訂によって誕生したのが、「仙覚文永三年本」。これを写本したものが「西本願寺本」で、現代の『万葉集』の底本になっている。

この「西本願寺本」が底本として最善であることを立証したのが、佐佐木信綱なのだが、そのあたりのことを小川は次のように書いている。

 

「近代の大学教育によって登場した「国文学者」たちは、「国民精神」を明らかにするための確実な基礎を求めて、〈原文〉に可能な限り近い、「国文学」の本文整備に努めました。」

「その先頭に立ったのが、佐佐木信綱らによる『校本万葉集』の編集事業でした。信綱が新たに発見した貴重な古写本も含め、その当時に現存していた写本を詳細に調査し、本文の異同を網羅して一覧できるようにした、空前絶後のこの編集作業は、『万葉集』はもちろん日本古典の研究を近代的なものに飛躍させました。」

「今日の『万葉集』の底本となっている西本願寺本が、最善本であることが判明したのもこの『校本万葉集』の大きな成果です(ただし、〈原文〉というものが果たして存在するのかが、今日では大きな問題となります)。」

 

太平洋戦争の時も国威発揚のために用いられるなど、純粋な文学作品から逸脱して利用されることの多かった『万葉集』の長い歴史であるが、現代においては、「常に知性的に捉える目を持ち、普遍的な文学として『万葉集』を読んでゆくこと、それによって世界の文学や文化に貢献してゆくこと」が必要であると小川は述べて、本書を終えている。

 

 

5月某日

高橋順子『水のなまえ』

 

詩人の高橋順子には『雨の名前』『風の名前』『花の名前』『月の名前』といった写真とエッセイがコラボした著書があるが、本書は写真なしの純粋なエッセイ集で、短歌・俳句・詩が多く引用されている。

水が出てくることわざを集めた「水のことわざなど」の章がとくに面白かった。

覆水盆に返らず、上手の手から水が漏れる、魚心あれば水心、年寄の冷水、このあたりのことわざは知っていたが、たとえば、水に絵を書く、水の月取る猿、水の中の土仏、塩辛を食おうとて水を飲む、このようなことわざがあるとは知らなかった。

「水に絵を書く」は努力する甲斐のないこと、「水の月取る猿」は、めっそうもないものを欲すれば失敗するといういましめ、「水の中の土仏」は水に入れると土の仏は崩れてしまうから、長続きしないこと。「塩辛を食おうとて水を飲む」は、塩辛いものを食べる前に水を飲んでおく、前後が逆で、ちぐはぐなことを言う。

高橋は水を使ったことわざが多い理由を、このように分析している。

 

「水ほど、私たちに必要で、また身近なものはない。飲み水のほかにお湯とか氷とか、雲、雨、雪、霧、霜、露、また川や海、涙や汗まで含めると、私たちの体の内外で水がひしめいている。私たちの行動をたしなめたり、しつけようとする水のことわざが多数あるのは、誰もが水に親しんでいるゆえに、言いたいことが伝わりやすいからだろう。ことわざからは、誠実に、だが賢くふるまって、非常識なことや目立つまねはせず、周囲と波風たてず、野心をもたず、ほどほどの望みをもって努力するのがいいという庶民の身の処し方を説くものが多いようだ。」

 

もしも、「水のことわざカレンダー」なるものを年末にもらったとしたら、わたしは絶対に壁にかけない、という自信はある。

 

牧水の「みなかみ」、斎藤史・濁流のゆくえ、万葉の海、雅語の川、といった章があり、短歌和歌を引いている。

芥川龍之介の俳句「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」や、北原白秋の詩「水ヒアシンス」に触れた文章もある。

 

高橋は「水を好きだった文学者といえば、すぐに思い浮かぶのが歌人・若山牧水である」と書いているが、現代短歌で水を歌って印象的なのは高野公彦だとわたしは思う。

最後に、わたしが好きな「高野公彦の水の歌」を何首か紹介して、今月の「本日もカフェ」をお仕舞にする。

 

ダイバーの沈める水の底ひより泡はしきりに連なりのぼる『水木』

水飲みてまた入りゆきし夢のなか旗なびきつつ燃ゆる苦しも『汽水の光』

水をわたり花に近づく蟻のあり時間かけて濃くなりゆくいのち『淡青』

*「時間」に「とき」のルビあり

流水に素足を入れてあそぶ子の向脛ひかりをり青四月『天泣』

*「向脛」に「むかはぎ」のルビあり

〈自然水〉買ひて巷をあゆむとき西方十万億土赤しも『天泣』

*「十万億土」に「じふまんおくど」のルビあり

風呂の水落せるあひだ部屋に戻りイエスを読めり死の前後あたり『水苑』

野も山も水も汚すな この世とは亡きひとびとのふるさとなれば『渾円球』

語尾のサは南島の語彙「台風が宮古に水を呉れるサ」と言ふ『甘雨』

わかき人乳房ある人恋しけれ年初の水に射し入る日の矢『甘雨』

会はぬ人はおもかげ若し水道の蛇口の下の水滴のおと『天平の水煙』

「盥」とは両手で水を掬ふ皿その字思ひぬ人を待つとき『天平の水煙』

あめんぼの踏みゐし水にあめんぼの影なく水の底まで冬日『河骨川』