漱石の握力

今月の9冊

『ダルメシアンの壺』 日置俊次 (短歌研究社)

『穂水』 山口智子 (現代短歌社)

『月と水差し』 和田沙都子 (砂子屋書房)

『明治短歌の河畔にて』 山田吉郎 (短歌研究社)

『漱石「こころ」の言葉』 夏目漱石 矢島裕紀編 (文春新書)

『ネバーランドの夕暮』 桃林聖一 (短歌研究社)

『主婦ふふふ』 石田恵子 (邑書林)

『青き鉢花』 福留佐久子 (ながらみ書房)

『亀のピカソ』 坂井修一 (ふらんす堂)

 

6月某日

『ダルメシアンの壺』 日置俊次

 

「かりん」に所属する著者の第5歌集。

作品はおおむね3つの傾向に分かれる。

第1は愛犬のダルメシア(名前をルメという)との交流を詠んだ作品。

第2は夏目漱石や志賀直哉など文豪をテーマにした作品。

第3は教師として過ごす日々と体の不調を歌った作品。

わたしとしては第3の病の歌、特に鍼灸師が出てくる歌が好きだ。

病の歌と言えば低温で低音が普通なのだが、本歌集の病んでいる歌は妙に明るくて、だが、明るさが空まわりしていて、それが妙に痛々しくて、見ていられないのだ。

 

ダルメシアンの片眼青きは「失格」と定めたりいつかたれか知らねど

漢字なら「留女」なる白き犬を抱き書きつがむながき志賀直哉論

ルメとゐるけふは参らず水に浮く弁天の島は女体なるゆゑ

ルメと歩むリズムでひとり歩みをり花びらながるる石の林を

 

1首目、「失格」であることが、余計に愛おしくてならない。お互いの傷を舐め合うような感覚を作者は持つ。

愛犬を詠んだ歌は、偏愛が強く出過ぎているので、読者の中には拒絶反応を示す者も多いだろうと思う。

わたしも若干引き気味であることは確かだ。

2首目、本歌集にはエッセイが数編挿入されているので、「読み」の参考になる。留女とは志賀直哉の祖母の名で、「直哉を溺愛し、いつも抱いて眠っていた」そうだ。

直哉の初めての作品集は『留女』であり、次女を留女子と名づけた。

日置は大学で文学を講じている。「心こめて直哉を語る教室に立ち見の学生まだ湧きやまず」という歌がある。

3首目と4首目、歩いている歌が多いのも歌集の特徴だが、ルメを連れているときと一人の時の歌から、それぞれ。

「石の林」とは墓地のこと。

 

自らも鬱におびゆる漱石は駆けだしぬ操自殺の報に

同級生茂吉は記す分らずに生きて居て「何ノ不都合カアル」

龍之介にヴェロナアル、ヌマアルを処方せし茂吉に「電話ノ鈴」響くとき

龍之介の死骸には「門歯ノ黒クナツタノ」が生前の如く見えてをりけり

眩暈して患者の柩につきてゆく茂吉の道をけふもたどりぬ

*「眩暈」に「めまひ」のルビ

 

1首目、藤村操の自死に取材した作品。

この歌の前に「漱石は火曜の授業で叱りつけ金曜に操は滝へ身を投ぐ」という歌が詞書のように置かれている。

2首目、操が投身自殺したとき、茂吉も一高の一年生だった。

エッセイによれば、操と茂吉の墓は青山霊園にあり、冬ならば見える位置にある。「夏は木立が茂ってみえない」そうだ。

3首目から5首目は医師である茂吉の姿を詠んだもの。

「晩年、神経を病んだ龍之介は、青山霊園に近い斎藤茂吉の病院に通院していた。ほとんど墓地に通っているようなこころもちであった。睡眠薬を何種類も処方してもらった。」

「その自死の報は斎藤茂吉にも届いた。茂吉は田端の芥川宅に急いだ。茂吉は医師の眼でその「死骸」を見つめた。」とエッセイに書かれている。

 

わが体には壺がひしめく眼と臍を除きて打つと鍼師は断ず

先生をいぢめてるひとがゐますねえと鍼師がわれの背に触れていふ

滝行を終へしばかりといふ鍼師ふふと笑ひぬルメの話に

背中には涙の壺があるといふわが掌ではつひにさすれぬ場所に

*「掌」に「て」のルビ

 

最後は鍼灸の治療を受けている場面。

本歌集のひとつの特徴でもあるのだが文豪以外の人間はあまり登場しない。家族も出て来ないし、勤務先の人も出て来ない(意地悪教授陣として一塊で歌われてはいる)。

その中で唯一繰り返し歌われているのが鍼灸師である。

歌集構成上、かなり意識したのであろうが、作者が心を開くのは、ダルメシアのルメと、文学史上の故人と、鍼灸師だけ。

絞られた世界(言い換えれば狭い世界)を、他のことには目もくれず、掘り下げようとした歌集である。

いろいろな歌があって読んでいて楽しいとか、意欲的に広い世界を歌っているとか、歌集の決まりきった褒め言葉の対極をいく一冊である。

 

 

6月某日

『穂水』山口智子 (現代短歌社)

「心の花」に所属する著者の第1歌集。智子と書いて「さとこ」と読む。

岡山県瀬戸内市で夫と農業を営む。

「あとがき」によれば著者は農家の跡取り娘として若い時から農業に従事していて、夫は定年退職後に携わることとなった。

「あとがき」の次の文章を読んでおいたので、農業に疎いわたしも作品を理解しやすくなった。

 

「自然米を作っていると、稲を育てるものは土と水と光といった所謂自然であり、農作業といわれるものは、ほんの手伝いに過ぎないこともわかって来るのです。穂が出て、花開く時、たっぷり引き込む水を穂水といいます」

 

田に撒ける六百キロの米糠に雪はこんこんと降り積りゐむ

稲もまた手の温もりを喜ぶと勝手に思ふ糠を撒きつつ

二百枚の苗箱ならべ腰伸さむと畦にあがればすぐには伸びず

ラブシート剝ぎたる真夜に苗代の苗思ひをり大雨の音

代掻けば田は鳥類図鑑 薬撒かぬわが家のトラクターの音覚えゐるらし

 

自然米だから化学肥料ではなく、自然の肥料を与えている。

米ぬかが600キロとは想像を絶する量である。余談だが、お正月に食べる田作り(ごまめともいう小魚の佃煮)も昔は小魚を田に撒いて肥料としたから田作りと呼ぶのだそうだ。

その600キロを手で撒くというのだから大変な労働量である。

腰がすぐに伸びないという感覚は、とてもわかりやすい。わたしなどの思いもよらぬ痛みを伴うのだろう。

ラブシートとは水稲育苗用被覆材、ポリエステル製の不織布で、苗床に被せておくと発芽を促進させる効果があるそうだ。

だからラブシートを剝いだ直後の苗はまだまだ弱く、作者は突然の大雨に心配でならない。

自然農法の田には除草剤や農薬をまかないので、おたまじゃくしなど鳥の好物がたくさんいる。

さまざまな鳥が集まるさまを「田は鳥類図鑑」と表現し、しかも鳥が「わが家のトラクターの音」を覚えているようだと言う、実に愉快だ。

 

夫の田植機ますぐに走れと念じつつわれ畦に立つ目印として

軽トラックに夫と草刈り機二台のせ青田のつづく道を走れり

何としても抜かねばならぬ草合歓がはや実を結ぶみどりの莢に

選挙カーに「麦わら帽子の奥さまー」と呼ばれてゐるはわれのことらし

コンバインの吐き出す籾を受ける時運転席の臀しづむ

あと五年米を作ると言ふ夫よあなた九十わたし八十

 

妻はベテラン、夫は新米、だから妻がコーチ役。目印として立ちながらも不安でたまらない。

時田則雄の『北方論』に「トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ」があるが、こちらは軽トラックを妻が運転して、なんとも微笑ましい。

かわいい花をつける草合歓であるが、稲の生育の為には抜かなくてはならない。自然農法の辛い一場面だ。

「麦わら帽子の奥さまー」と呼ばれたり、収穫の時尻が沈んだり、臨場感のある歌がたくさんある。女性による農業の歌がこれだけ一冊の歌集に並ぶのは本当に珍しい。

あと5年、米を作り続けて、農業の歌を更に詠み続けて欲しい。

 

 

6月某日

『月と水差し』 和田沙都子 (砂子屋書房)

 

「短歌人」に所属する著者の第1歌集。「栞」は小池光、鷲尾三枝子、内山晶太の3人。

小池は「観念とかイメージではなく、これらはみな「リアリズム」である」と言う。

鷲尾は「詠う視線のむこうに、ふかくしずかな思索を感じとることができる」と書く。

内山は「和田さんは、ある作中主体像を置いて安易にそれにものを語らせることをしない。机上のもろもろによって歌の言葉に遭遇するのではなく、より生身に近いところで言葉を扱っているのが分かる」と論じている。

 

ゆづり葉にゆづり葉の影濃きまひる郵便受けにことり音する

大揺れにゆれる船底ゆれながら吹けば横笛川面にひびく

熊蟬のさなぎ葉うらにひそみゐる月夜の庭に笛を吹くなり

五人囃子がケアーハウスを作らむと立ちあがる夢におどろきて覚む

ゆきだるまころがるやうにわが文字が大きく大きくなつてゆく夜半

 

1首目は巻頭歌。なるほど巻頭に置くだけあって、とてもうまい。

作者の力量が巻頭にしてわかる現代短歌らしい一首。

視覚から聴覚への移動。微細なところに目と耳を持ってゆく。上句と下句をつなぐ「まひる」の使い方。さり気なく自然体のオノマトペ。ゆずり葉による名詞2回のリフレイン。やや舌足らずな動詞「音する」など現代短歌の結実を吸収している。

しかし、あまりにも現代短歌らしい表現を揃えているがゆえに、「ああ、またか」という感想も受ける。

だから、この一首は没個性だ。この作者でなくても、よい気がする。

上手いけど、確かに第1歌集の巻頭に置くにはふさわしい歌かも知れないけれど、逆に、ふさわしくないような気がしないでもない。

あまりにも決まり過ぎてしまった。

作者は笛を吹く人らしい。2首目のような歌は作者にしか作れない歌で、読者をぐっと引きつける力を持っている。

3首目も同様。上句は視覚ではなく、想像で熊蟬のさなぎの存在を感じとっているのだろう。胎教のようなもので、笛を聴かせておくと、蝉の鳴き声もきっと美しくなるのだ。

4首目、夢の話として、これだけで十分に面白いが、作者が笛を吹く人と知れば一層愉快だ。

5首目、葉書を書くと、はじめは大きくて、次第に文字が小さくなってゆくのだが、作者は逆。おそらく「夜半」は一夜ではなく、若い時からの長い年月のことを言っていて、目の衰えで文字が大きくなって来たのだろう。

 

下の句を得たりとおもふ一瞬に手の甲が熱きフライパンに触れつ

薔薇といふ字は手で書くものよ、窓辺より黄のつる薔薇の明るいこゑす

けさの落葉特選五枚を拾ふときおのづとはづす右手袋を

頭ぶつけ胃はおどるとも砂漠ゆくバスはうしろがいちばん落ちつく

おびただしい旅の写真よ未整理のままに私はまた旅に出る

「こはくない、これはおまへの影だから」四歳の姉がおとうとを抱く

 

生活の歌、自然とのふれあいの歌、旅の歌、孫の歌。それぞれ味わい深い世界だ。

たのしい歌い方ながら、ちょっとだけ恐ろしいもの、畏れが潜んでいる。

それは詩的なレトリックなのか、作者のうちにある生の声なのか?

 

 

6月某日

『明治短歌の河畔にて』 山田吉郎

 

明治時代の短歌を論究した評論集であるが、今まで論じられることの少なかった落合直文、正岡子規、佐佐木信綱、与謝野鉄幹以前、つまり明治の前半にも焦点を当てていることが本書の第1の特色である。

その時代についてはⅠ章「旧派和歌と近代の足音」にまとめられていて、「薩長の歌人たち」「旧派女流の光芒」「開化新題和歌の流行」といった文章が収められている。

本書の全体の構成を見ておこう。目次イコール明治の短歌の大きな流れでもある。

 

Ⅰ章 旧派和歌と近代の足音

Ⅱ章 落合直文とあさ香社

Ⅲ章 正岡子規の軌跡

Ⅳ章 「明星」の台頭と明治三十年代

Ⅴ章 夕暮・牧水・啄木の地平

Ⅵ章 明治の終焉と近代短歌

 

Ⅰ章に戻って、「薩長の歌人たち」。

明治維新が起こり、新政府が樹立されたとき、その中枢を薩摩と長州出身の者たちが占めたのは周知のとおりである。

その傾向は和歌・短歌の世界にも及んだ。

歌道御用掛、文学御用掛、御歌掛長、御歌所長などの役職を務める薩長出身者が多かった。

 

最初に取り上げているのは八田知紀(はつた とものり)。

八田の最も知られている歌

 

よしの山かすみのおくはしらねども見ゆるかぎりは桜なりけり

 

正岡子規によって、旧派の歌として批判された歌である。

山田は八田について次のように書く。

「八田知紀は、明治の旧派歌人の要の位置にいる歌人である。それだけに、正岡子規の「歌よみに与ふる書」の中で痛烈に批判されることにもなるが、しかしながら、要の位置にあった人にふさわしい風格のある歌も少なくない」

 

山田は八田にものすごく好意的である。と言うか、旧派イコール古臭くてダメという既成概念を捨てて、直に歌と向き合っている。

 

うぐひすの花のねぐらに宿かりてともにおきつる朝ぼらけかな

大空のかげはわすれて水底の月もてあそぶよはにもあるかな

たらちねの袖にすがりてをりたちし昔こひしきはや川の水

花をのみあはれと何に思ひけむ蛙なく夜のありけるものを

書の上にみゆる昔の人ならで友こそなけれともし火のもと

 

山田が引用している八田の歌である。

1首目~3首目については「伝統的な和歌をふまえながらも、その心の動きは意外なほど無邪気であると言ったら、言いすぎであろうか。こうした生き生きとした心の動きに、八田知紀の歌の特色の一つがあるように思われる」と解説している。

さらに「こうした心の動きは、ある意味で明治の正岡子規の率直さにもつながるような作を生み出している」として、4首目5首目を例にあげて、「「蛙なく夜」に美を認め、書の中にのみ真の友を見出そうとする偏屈さは、ある意味で近代の抒情である」と書く。

八田が死んだのは明治6年、これらの歌がいつ作成されたかは本書に書かれていないが、晩年の作であるにしても、明治初期の作。

わたしが良いなと思った点は、重厚な言葉遣いで凛とした歌い方ながら、言っていることは大したことではない、ほとんど無内容に近い、どうでもいい内容だということである。

いわば、料理を楽しむのではなく、器を楽しんでいるようなところに魅かれる。

現代短歌にかなり通じる部分がある一方で、現代短歌が忘れたものを多く持っている。

あることは知っていたが、知ろうともしないで来た旧派の歌や明治前半の歌、本書がいい機会を与えてくれた。

ところで1首目の「うぐいす」の歌。自分がホトトギスの雛になって、うぐいすに育てられているような幻想を詠んでいるとわたしは読んでみた。

八田知紀という歌人は相当な進歩派。

もしも時代がもう少し遅かったら、正岡子規の短歌への出番を奪っていたかもしれないと思った。

 

 

6月某日

『漱石「こころ」の言葉』 夏目漱石 矢島裕紀編

 

親の代から名言集の類は苦手である。

特に帯に「辛くなったら漱石先生に聞こう!」「泣ける名言、心に刺さる金言」なんて書かれていたりすると、絶対に買わない。

先祖代々へそ曲りときている。

でも、漱石だけは別である。

しかれども名言を読みたいわけでなく、漱石の文体に魅かれるのだ。

軽やかな、それでいて重々しい文章のリズムが心地よいのだ。

なかんずく短いセンテンスで、トントントンと行くところなんぞ、名人の高座を聞いているようであり、ハードボイルドの名品を読んでいるようである。

たとえば、こんな感じ。

 

「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである。

諸君のうちには、どこまで歩くつもりだと聞くものがあるかも知れぬ。知れたことである。行けるところまで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってるものはない。自分に知れない寿命は他人にはなおさらわからない。」 『野分』

 

「人間は、自分の力も自分で試してみないうちは分らぬものに候。握力などは一分でためすことができ候えども、自分の忍耐力や文学上の力や強情の度合やなんかは、やれるだけやってみないと自分で自分に見当のつかぬものに候。古来の人間は、たいがい自己を充分に発揮する機会がなくて死んだだろうと思われ候。惜しいことに候。機会は何でも避けないで、そのままに自分の力量を試験するのが一番かと存じ候。」 書簡

 

内容は説教っぽくて、いただけないが、このトントン感が好きなのである。

書簡の「握力は一分でためすことができ候えども」など実に傑作ではないか。

この手紙が書かれた明治39年には、握力なるものがあり、測定していたのだ。

ぐっと力を入れて、顔を真っ赤にして、握力を測っている漱石を想像するだけで楽しい。

 

「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛そのものは避け難い世であろう。しかし拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日、七日に延長する苦痛である。いらざる苦痛である。避けなければならぬ。」  『野分』

 

「これからいつまで生きられるか、もとより分らない。思うに一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。その上頭が使えたら、なおありがたいといわなければなるまい。」  『思い出す事など』

 

「見つゝ行け旅に病むとも秋の不二」 俳句

 

「とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ。」  『心』

 

「君は気が弱くていけない。いっしょになって泣けば際限のない男である。ちとしっかりしなければ駄目だよ。」  書簡

 

こんな手紙が漱石から届いたら、ちっとはしっかりしようと思うのだろうか?

「駄目だよ」なんて、優しい言い方からして、書いている漱石も自分がしっかりしているのかどうか、自信なさそうだ。

そんなにしっかりしなくても良いようにも思えてくる。

しかし、明治の人のしっかりと、我々のしっかりでは、しっかりの度合が違う。

断然明治の人の方がしっかりしていた。

やっぱり、ちっとはしっかりしよう。

 

漱石の言葉の最後はやっぱり、これ。

予想通り、すみれの句でした。

 

「菫程な小さき人に生れたし」  俳句

 

 

6月某日

『ネバーランドの夕暮』 桃林聖一

 

これから紹介する3冊は結社に属していない歌人の第1歌集。

 

桃林は昭和27年、長野県生まれ。

県内の公立高校で社会科教師として勤務。

地元の結社に所属している?(していた?)らしいが、結社名は明記されていない。

「短歌研究」や角川「短歌」に投稿していたようだ。

「短歌研究」投稿欄の選をしている高野公彦が「序」を書いている。

 

「あとがき」によると、若いころから表現への欲求はあったようだが実現しないでいた。

だが「定時制高校に勤務した頃、学校の子供達のことなどを歌にしてみたら、急に歌が作れるようになった」と「あとがき」に書かれている。

 

生徒らも同じ視線に耐えたるか定時制職員蔑視されたり

ブラジルの子に教えんと九九言えば早口言葉の練習となる

元彼に元元彼に元祖彼そのたびメールのアドレスが変わる

ある時はピンクレディーを真似ていた少女迎えに警察へ行く

 

定時制高校勤務のときの歌から4首。

1首目の「蔑視」という言葉がストレート過ぎて、たじろぐが、そういう事実を突きつけられて、なるほど有り得ることと納得。

2首目、ブラジルと定時制高校という場が結びつくことで重みが生まれる。日本では小学校で習う九九を高校生に教えているという事実もまた重い。

3首目は現代の高校生像を軽やかに歌う。4首目は「ある時」と今のギャップがテーマ。明朗だった少女に何が起きたのか?

このような現場を詠んだ歌は、やや素材によりかかり過ぎ、生生し過ぎる傾向があるが、いい歌だと思う。

 

手を合わせ祈りの如く引き上ぐる土よ命の形となれよ

玄関に片ほうの靴はおいてゆく松葉杖してあゆむ六月

スプラッシュマウンテンから落下して顔全開の写真がのこる

午前二時雪降りやまずストーブの灯油タンクが喉をならせり

ビンラディン殺害される一本の紐が蛇へと変わる国にて

草取りをしていたはずの妻だった水張田には白鷺一羽

春の夜の夢の小部屋のドアを出て迷い込みたる歌の工房

 

1首目、轆轤(ろくろ)を使って陶芸をしている場面。土に命を吹き込むための作業を「手を合わせ祈りの如く」と表現したところが巧い。

2首目、足を怪我して、靴を履けるのは片方だけ。もう一方は包帯でぐるぐる巻きの状態。ユーモラスに、ちょっと自虐的に、怪我したことを嘆くではなく、靴を素材に情けない「われ」を表現した。

3首目、東京ディズニーランドのアトラクションであるスプラッシュマウンテン。丸太のボート型をした乗り物で、川を蛇行しながら進むのだが、途中に急流があり、ジェットコースターのように落ちる。落ちる時乗っているお客さんは「きやー」と叫ぶわけだが、その場面が写真撮影されていて、降りた後モニターに映し出される。

たいていの人は風圧で髪が逆立ち、おでこ丸出しになる。

「顔全開」の表現が的確でおもしろい。

 

このように桃林の歌は、読者が見ていたり体験していたりするけれども、見逃していた場面を機知に富んだ表現で再現してくれる。

誰に似ているということもなく、独自の世界を作り出している。

作風は若い。

年齢を超越したところがある。

が、ときに幼い感じがしてしまうことがある。

少年のような心を持つのは大切だが、言葉にするときには成熟した大人が表現しなくては短歌としての深みが出ない。

 

最後の歌について、高野公彦は次のように書いている。

「春の夜に限らず、工房の主(あるじ)は夜な夜な歌の工房に入って想を練っているのだろう。ネバーランドとは、ピーターパン物語に出てくる架空の国のことで、そこでは親とはぐれて年を取らなくなった子どもたちが妖精と一緒に暮らしているのだそうだが、この「歌の工房」自体がネバーランドなのではなかろうか」

 

 

6月某日

『主婦ふふふ』 石田恵子

 

歌集を開くと、添状が落ちた。

「歌集『主婦ふふふ』献呈のご挨拶」としてある。

「さて、石田さんの歌集『主婦ふふふ』を送らせて頂きます。石田さんは、新聞・雑誌への投稿を中心にお一人で活動なさっている市井の歌人です。よって、短歌関係の友人を持っておられません」と書かれている。

荒削りな作品が多いのだが、いい感覚を持っている人で、読んでいて面白い。

「ふふふ」で真っ先に思い出すのは坪内稔典の「三月の甘納豆のうふふふふ」『落花落日』だが、本歌集も「ふふふ」に拘っていて、章題すべてに「家族ふふふ」「パートふふふ」「受験生ふふふ」と「ふふふ」が付く。

 

表札の習慣なき国我が家の表札を魔よけの呪文かと聞く

時として「会社」のような顔をするカイロの日本人「社会」

掃除中にフィギュアの手足もげたれど帰省せぬ子を恨み直さず

熊本のゴミ収集日を知っている だって夫が単身赴任

十五分前に起きたと見えぬほど通勤用の顔で乗るバス

実は今日 私誕生日と誰一人告げる人なくパートより帰宅

家計簿のレジャーの欄に「宝くじ代」と記せり抽選日までのレジャー

 

1首目と2首目は「エジプト赴任ふふふ」から。どちらも住みついた人ならではの笑ってしまう体験と苦々しい体験。

「習慣なき国」が硬いのではないか、たとえば「表札を知らぬ人々」にしたらどうだろうか?

「会社」と「社会」に付けたカギカッコは本当に必要だろうか?

3首目と4首目、家で過ごす一人の時間を描いて実感がこもっている。

「恨み」は過度の表現ではないか? すねていると言った程度であろうか?

5首目、傑作。女性が起きて15分後にバスに乗っているとは信じられない速さであるが、寝起きとは見えない顔であることが素晴らしい。

6首目、職場内での人間関係を誕生日とは言えなかったことで表現していて、目の付け所は良いのだが、言葉が整理されていない。

「パートより帰宅」は言葉を詰め込みすぎている。結句ですべて言い終えてしまおうという思いが強すぎるのではないだろうか?

作者はきっと責任感の強い人で、まとめてしまわねば気が済まないのではないだろうか?

一つの案だが「パートを終える」くらいにして、帰宅までは言わなくても良いような気がする。

7首目も、やはり結句で言い過ぎている。

こちらは責任をとるというよりも、オチを付けてしまった感じ。

はずれました・・・結果までは知らせてくれなくても良いのだ、短歌は。

「家計簿のレジャーの欄に「宝くじ代」と記せり」これだけで、この歌は十分に出来上がっていると思う。

 

明かりなどなくてもパンツ取り出せるタンスある場所我が家と言えり

牛乳が温まるまでの二分間風邪と話しが出来る気がする

整復師それぞれ名を持つ筋肉を生徒のように呼びて治せり

A推薦B推薦にA日程 意味分かる頃受験終りぬ

本当に募集する気があるのかと 小さき「急募」の張り紙があり

 

文句ばかり言っているようだが、この5首は文句のつけようがない。

すてきな感覚を支えるだけの表現力がまだ備わっていないようだが、ユニークな歌集である。

 

6月某日

『青き鉢花』 福留佐久子

 

宮崎県小林市に住む作者。

結社に属しておらず、宮崎日日新聞への投稿と、浜田康敬のカルチャーの教室に通って短歌を続けている。

50歳にしてホームヘルパー2級の資格を取り、介護の仕事をしている。

介護の歌は多いが、家族が家族を介護する歌が主流で、職業人としてのヘルパーや介護士の歌は少ない。

なぜ介護を職業とする人の歌が少ないのか? 想像に過ぎないのだが、厳しい労働条件と守秘義務に原因があるのではないかと思う。

引用している歌のように日勤もあれば夜勤もある。土日も関係なく出勤する。離職率の高い職場だ。

短歌どころじゃないのだ、きっと。

訪問介護であれば、利用者の家に入って行くのであるから、プライバシーを直に見聞きすることになる。当然それは守らねばならぬ秘密である。

詠みたいことが詠めないから詠まなくなるんだ、きっと。

しかし本歌集は職業人としての介護の歌が揃っていて、大変な労働環境の中、よくぞこれだけの歌を詠んでくれたと思う。

プライバシーについても随分と気を配られたことだろう。

具体的でありながら、個人が特定できない歌い方がされている。

 

毎食後のデザートだねと苦笑ひ数種のくすり老いの掌に置く

白むまであと一時間 十五人の寝息たしかめ夜勤記録す

垢のみを流すにあらず湯舟より翁の思ひゆるゆる溢る

わたしでなくあなたでもなく他人でない二・五人称めざす介護士

半世紀の夫婦の歴史ここかしこ残る厨にヘルパーは立つ

受診待つ立場から見れば暇さうに腕を組みをり受付看護士

 

1首目、お年寄りとの温かな交流。実際には一粒ずつ掌のうえに置くのだろうが、いろとりどりの錠剤が置かれている映像が目に浮かんでくる。

2首目、15人を一人で介護するのだろうか? 無事に一夜が過ぎた安堵感が「あと一時間」に表現されている。

3首目は入浴介助。硬かった表情が和らぐとか、饒舌になるとか、体をきれいにするだけでない効果が表れたことが嬉しくてならない作者。

4首目、お年寄りの自宅を訪問しての介護。使い込まれた調理器具が並ぶキッチンと、もう自分では料理できなくなってしまったお年寄りとの対比が悲しい。

5首目は病院に付き添っての一場面。待ち時間が長引けば、次の仕事に差し支えるかも知れないし、利用者がヘルパーに払う金額が増えるのかも知れない。気が気でない雰囲気が良く出ているし、一方で、ヘルパーと看護士の地位の問題も隠されているような気がしないでもない。

 

朝露の残るキャベツは二割高 われは支払ふ露の値段も

人見知りせぬ鳩二羽はわれと共にコイン精米終はるを待てり

微睡みの中でも本を読んだらしい窓越しの風にページめくらせ

釣れたのは小魚のみと消沈の夫よわたしを挙げたではないか

退職後二年の夫の心境をそれとなく問ふ年上女房

 

介護の歌以外の歌の中から、ほっと一息つける楽しい歌を選んでみた。

歌の中では、よくできた妻と、やや情けない夫。

こういう関係で堂々と詠めるのは夫の短歌に対する理解があるからであって、年上女房の尻に敷かれているわけではない。

 

 

6月某日

『亀のピカソ』 坂井修一

 

6月27日  砂子屋書房ホームページのコラム「歌集を持って本日もカフェ」の7月分「漱石の握力 今月の8冊」を書き終える。夕刻、買い物に行こうと2日ぶりに表に出ると、1階の郵便受に坂井修一さんの新しい歌集『亀のピカソ』が届いている。

買い物は中止。即刻、部屋に戻って読み出す。おもしろい。「今月の8冊」を「今月の9冊」にすることにした。

 

 

坂井修一の第9歌集。

2013年1月1日から12月31日まで、毎日1首ずつ、ふらんす堂のホームページ「短歌日記」に発表された作品から成る。

作品の傾向については「あとがき」に書かれている。

 

「この年は、三月まで「NHK短歌」の講師をつとめ、また、四月からは、大学で研究科長となって慌ただしい生活を送ることになった。もっとも、会議や出張で忙殺される日常詠だけではおもしろくないので、この機会にいろいろな傾向の作品を作ろうと試みた。戯画化やブッキッシュな作りが目立つ歌もあるが、そうでない歌もある。これまでの歌集とは違って、いささか猥雑な私、奔放な私を歌うのに躊躇を欠いたところもある。本や音楽、絵画や映画の好みもあからさまに出し過ぎたかもしれない。

それでも、この歌集にはこれまでとは違う愛着が湧くのを禁じえない。」

 

グローバルでタフであれよと声あげてへたへたぐたり二十四時半     (6月18日)

ほほゑみて配るもわれの仕事なり「そろそろセクハラですよ!」のカード (4月10日)

光陰は十八倍速にうつろはむおのが顱頂を掻く左手に          (1月16日)

 

忙しい日々を戯画化して描き出した歌を選んでみた。

歌にはそれぞれ日付と詞書(詞書のようなエッセイと言うべきか?)が付く。

1首目には「午前に講義をして、午後から会議が五つ。「タフな大学生」を育てるためには、まず先生がタフでなければならないようだ。」と詞書が置かれている。

「へたへたぐたり」の通俗性のあるオノマトペが戯画化したところであろうし、「声あげて」も「猥雑な私、奔放な私」が選んだ表現であろう。

前の歌集『縄文の森、弥生の花』に「門といふつめたきかたち 入るとき泣きたるわれよよくも泣きたる」「一書生にかへりたしといふわが言葉くすくすわらふこの先輩は」「わたくしをどこまでも追ふ笑ひ声 日本語のメール英語のメール」というような自己戯画化の歌があるのだが、猥雑や奔放とは程遠く、枠の中に納まった堅実な歌い方がされている。

2首目には「コンプライアンス。法令遵守と訳す。学内規則を含めて、もちろんパーフェクトに守らねばならないし、守らせなければならない。」、3首目には「鼠は人間の十八倍の速さで歳をとる。二十一世紀、人の忙しさは鼠並みになったそうだ。」と添えられている。

実際には「そろそろセクハラですよ!」と書かれたカードなるものは存在しなくて、書類か口頭で「気を付けてください」と注意するのだろうが、ワールドカップのこの時期、イエローカードをイメージさせてくれる。

「顱頂」は「ろちょう」と読み、頭のてっぺんのこと。

「独楽鼠のように働く」というが、ことわざと現実の世界が重なって、人間すべてが独楽鼠化してしまった。

 

右翼にはIT、左翼には短歌 そんな飛行機が雷雲のなか       (7月19日)

週何コマ授業あるかとひとは問ふ 学校にゐる暇などなきに      (2月28日)

あしたから俗事まみれの泥まみれ だけど今夜は学者にかへる     (7月22日)

 

この3首も大学教授としての多忙な日々を歌ったもの。

自分を取り巻く環境を戯画化し、そういう環境の中で、なんだかんだ言いながらも適応して生きている自分自身をも戯画化している。

「飛行機が雷雲のなか」「学校にゐる暇などなきに」「俗事まみれの泥まみれ」が、その環境の戯画化。

この3首もそうなのだが、文体は3句切れが目立つ。

そのせいとばかりは言えないが、俳味や諧謔を感じる言い回しが多い。

付されている詞書は以下の通り。

1首目「文明と文化がせめぎあう前線。そこを航行するのは、楽なことではない。」

2首目「機械振興会館で電子情報通信学会委員会。次に明治記念館で技術交流会。」

3首目「世の中が嫌になったとき、私たち研究者は学術の世界に籠もることができる。たとえそれがわずかな時間であっても、救いにはなるのだ。」

 

ゆつくりと言葉をはこぶ伊予のひと老いてゆきたしわたしもそつと   (1月22日)

大堰川きびきび舟を漕ぎし君やさしき声が語尾のばすかな       (2月6日)

武蔵野線カタリ動けば歌を詠む阿呆にもどるゆふぐれのわれ      (9月8日)

鬼三界棲み家はあらず人の世をはなれて生きよ、かがやくまなこ    (10月26日)

妻といふ日本語はどうも嘘だなあ 締切越えの眉間のひかり      (10月29日)

悲しきは歌を詠まずに死ぬ阿呆 ひとのこころは虹たつものを     (12月19日)

 

こちらの6首は歌人・坂井修一を詠んだ作品。

1首目「「杖つきて歩く日が来む そして杖の要らぬ日が来む 君も彼も我も」(高野公彦『天泣』)。高野さんは伊予長浜の、私は松山の生まれ。」

2首目「「NHK短歌」収録。ゲストは歌人の栗木京子さん。」

3首目「夕刻、「熾の会」十周年で浦和へ。」

4首目「啓蒙活動を控えて、本来の文学に集中するよう、馬場あき子先生に進言。」

5首目「千嘉子の誕生日。」

6首目「「なにゆゑに歌を詠むかとあやしめる心さへまた歌に詠むなり」(小島ゆかり『純白光』)

 

最後にわたしの好きな歌を5首あげます。詞書はあえて省略しました。

また、ふらんす堂の「短歌日記シリーズ」を手にすると、必ず1回は試すのですが、歌を読まずに、詞書だけを365日分読むのも、たのしいです。ぜひお試しください。

 

老いも若きもあそべよ雀 科学とは神様とするお話だから       (3月14日)

うちがはに弱みをもてる〈顔〉として講堂はいま普請中なり      (6月12日)

けふは二度本部往復そのむかし前田の武士もよこぎりし庭       (9月24日)

枯れ果てし佐久の草笛カバンから出してながめるビジネスホテル    (12月26日)

「柿生、柿生」鈍行のドアひらくとき青きさびしき空気ながれ来    (6月29日)

*「来」に「く」のルビ