藤島秀憲


表現する恐れ

今月の7冊

 

『標のゆりの樹』 蒔田さくら子 (砂子屋書房)

『さくらのゆゑ』 今野寿美 (砂子屋書房)

「1099日目 東日本大震災から三年を詠む」 塔短歌会・東北

『青昏抄』 楠誓英 (現代短歌社)

『茎を抱く』 荒木る美 (本阿弥書房)

『この芸人に会いたい』 橘蓮二 (河出書房新社)

『春の庭』 柴崎友香 (文藝春秋)

 

 

7月某日

『標のゆりの樹』 蒔田さくら子

 

第11歌集になる。

あとがきに次のようにある。

「かえりみますと、短い間でしたが「をだまき」に所属して作歌を始め、やがて「短歌人」に移り、数えてみれば作歌歴は六十八年、年齢は八十五歳という思いがけぬ長い人生を過ごしてきていたのでした」

 

朝ならず夕べにあらず昼を咲くひるがほ最もちさくはかなげ

ゆくりなくあらはるるもの靴紐を結びなほして起てば虹あり

すずしげな浅緑いろ捲きゐるになぜか青首大根とよぶ

過ぎゆけばうするるものと時を経てみえくるもののあるにおどろく

 

まずあげた4首、言い方が適切でないかもしれないが、内容を薄くして、空洞を多めにとった歌である。言葉は31音分ちゃんと在るのだが、意味が31音分は無いのだ。

たとえば1首目、「朝ならず夕べにあらず」は「昼」を導くため技巧的に置かれているのではなく、意味の薄い言葉で定型を埋めるために選ばれた(選び抜かれた)14音だと思う。

「最もちさくはかなげ」には作者の心情が含まれているにはいるが、意見と呼べるほど強くなく第1印象に近いものだ。

だから「咲くひるがほ」を歌っているが作者が本当に言いたかったことは命のはかなさ・・・・なんて意味を掘り下げるような読みはしないほうが良い。

咲いているひるがおに触発され、定型に音を満たした歌と読みたい。

音を選ぶとき、意味を薄めることに気配りしたように感じる。

2首目から4首目も同系列の作品とみた。

意味を詰め込みすぎて音楽性を失ってしまった歌とは、正反対の歌が、ここにはある。

意味が薄い分軽やか、音を楽しみたい歌である。

 

濡れ衣を着せらるる着することもあれこの湿潤の風土に生きて

いつにても切り岸こころ緩むなと凶を抱かせて胸の字ありや

五叉路とふややこしき道の近づきてどれを行くかと問ふ運転手

ときに自恃ときに自虐といろ変へて老いの心身あやしつつ生く

 

こちらの4首はかなり意味を重視した歌である。

人生とはこんなもの、老いるとはこんなもの、作者からのメッセージとも言えるだろう。

だがメッセージが変に説教じみていないのは文語で、さらりと言っているからだろう。

4首目とも文語なのだが、極めて口語的な文体、だけど明らかに文語。

口語と文語の境い目にありながら、しっかり文語に立脚できているところで歌が歌として成り立っているのだろう。

 

余震にて水面ちひさく波だてる藻の陰にあり目高のいのち

街に古り馴染みし東京タワーなれ地震のいたみをわけて曲がりぬ

綿々と啼く雉鳩がとつぜんに声を呑みたるのちの空白

かがまりてもやしのひげ根をとる厨 些事にこだはる日は平和なれ

鉢ならぶ花舗店頭を風すぎてここちよげなる花のゆれ方

 

1首目と2首目は震災の歌。数は少ないが印象的な作品が収められている。

対象は目高から東京タワーまで、小さなものから大きなものまで、守備範囲が広い。

3首目に漂う不吉さは時代の表象であり、年齢から来る不安なのだろう。

何首か老いの身を直接歌ったものがあったが、この歌のように自然の現象に託して、これからの不安を詠んだ作品が優れていると思った。

4首目の下句はやや言い過ぎのような気もするが、一度読んだら忘れがたい歌である。

愛誦性があるというのではないし、しばらくすると上句と下句がバラバラになって、下句が思い出せない、上句が浮かんでこないということになりそうなのだが、「かがまりてもやしのひげ根をとる厨」が視神経に、「些事にこだはる日は平和なれ」が心のヒダヒダに深く刻まれてしまった。

場面の切り取り方の確かさと言葉の力なのだろう。

5首目、本当になんでもない歌なのだが、こういう歌に心が休まる。

穏やかで静かな歌に救われる。

 

 

7月某日

『さくらのゆゑ』 今野寿美

 

第10歌集。

 

一本より二本三本いつせいの桜 ともあれ馬を見にゆく

辰年はをのこにふさひ藤原の龍一郎もそれそのたぐひ

「うまいことやつたぢやないの」一度だけ会つた方代さんは言はしき

ささの葉がきらりちらりと揺れゐるを雨と気づかぬまま見てゐたり

 

1首目は「ともあれ」を使っての洒脱な展開がたのしい。

「花より団子」ではなく「花より馬」なのである。競馬だろうか?

馬肉を「さくら」いうくらいだから、桜と馬はまったく関係ないこともないが、「ともあれ」の後に馬が出てきて、桜を突き放す。

桜の歌だと思っていた読者は「ともあれ」によって馬の歌に急展開するスリリングな作りに驚く。

なにはともあれ桜を第1に考えて来た和歌や短歌の伝統を覆す爽快さがある。

2首目は「それその」で展開させるが、こちらは急展開ではなく、辰年と藤原龍一郎を結びつけて、納めるところに納めるために用いている。

「それその」で二つの事物を結びつけ、話に決着をつけた。

3首目は山崎方代の「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」が下敷きにあるわけだから、「うまいこと」の中身は恋の成就と見るのが順当なところか?

4首目、この歌集の中でわたしが一番好きな歌(現時点で)。「きらりちらり」のオノマトペがやや俗なのだが、俗な言葉をあえて使い、風雅から引き離して諧謔に持ってゆこうとするのが今野寿美流だと思う。

この歌は実景ではあるが、なにか悪い出来事の象徴とも読める。象徴と読めるように作ってあるわけだが、わたしは実景として読んでおきたい。

 

地獄にも傾きながら陽のさしてコスモスが咲き投句箱あり

風邪がぬけるやうに終はりの数行を収めると言ふ現代詩人

梅雨のこの〈ながめ〉がやまとなでしこの肌はぐくむといふはまことか

角笛は山羊のためより人のためすこし曲がつてゐるコルネット

 

1首目、旅の歌に自分らしさを出すためにはどうしたら良いかと皆が悩むところだが、この歌の場面の切り取り方は大いに参考になると思う。

「傾きながら陽のさす」、自然詠ならばなんでもない表現かも知れないが、旅の歌で表現されると新鮮な発見に変るようだ。

「投句箱」もよく見かけるものだが、旅先で見つければ発見として、歌の素材になり得る。

見慣れたもの、平凡な表現でも、旅の歌に入れれば、意外な新鮮さを生み出す。

旅の歌が絵葉書的な歌になってしまうのは、普段見ないものを見ようとし、非凡な表現をしようとするからだろう。

日常にあっては非日常を、非日常にあっては日常を・・・反対のものを見てみるのもコツかも知れない。

2首目は詩人の魅力的な言葉を使って、うまくまとめ上げた。そうたびたび使える方法ではないだろうが、いい言葉に出会えるチャンスを求めていれば、きっと、こんな素敵な言葉に出会えるはず。

矢印の〈見よ項目〉に基準なくホチキス→ホッチキス大辞林は逆

「あはれがる」「うれしがる」とふ『赤光』の茂吉らしさの見えにけるかも

赤でなく紅でなければならぬこと 一生かける人、かけぬ人

春惜しみ業平惜しみ行きたくはなき〈とうきょうスカイツリー駅〉

 

1首目、辞書の不思議を詠んだ歌は数多くあるので、今野ほどのベテランが今更挑むこともないように思うのだが、歌わずにいられないのが辞書を愛し言葉に拘り続ける歌人の宿命かも知れない。

2首目は「改選版七百六十首のすべて解いて「赤光語彙」となしたり」(解に「ほど」のルビ)という歌の後に置かれている。

「あはれがる」「うれしがる」の「がる」は接尾語で、「・・・のように思う」「・・・らしくふるまう」の意味を持つ。

「あはれがる」「うれしがる」とも『赤光』では1回しか使われていないのだが、今野は「茂吉らしさ」を感じたようで「見えにけるかも」で歌いおさめている。

ちなみに詠嘆を表わす連語の「けるかも」は『赤光』に25回登場し、茂吉らしさの際たるものだ。

(数字は「りとむ」No121の「赤光語彙」を参考にした)

4首目も大いに注目した歌。「あか」には「赤」「紅」の他に「朱」もあるだろうが、その色は絶対に違うし、紅を赤で代用できるはずなどない。

これは一つの例であって、言葉に文字にどこまで拘れるか、それが歌人には大切なんだと教えてくれる。

業平橋駅を〈とうきょうスカイツリー駅〉にしては、いけなかったのです。

 

 

7月某日

「1099日目 東日本大震災から三年を詠む」 塔短歌会・東北

 

塔短歌会の東北に関係する会員による作品集。

東日本大震災から99日目に歌会を開き、そのときの歌を編んだものが「99日目」。

以降、「366日目」「733日目」と編まれ、今回が4冊目になる。

18人が短歌10首と短文を寄せている。

その中から、北上市に在住する斎藤雅也の場面を客観的に描写しつつも、声高ではないがしっかりとメッセージを盛り込んでいる次の3首に魅かれた。

 

沈下して水の退かざるひとところ白鳥群れて餌を啄む  斎藤雅也

朝採りの若布きれいに残されて客のまばらな朝市なりき

慰霊碑に佇む時間 潮風にいつしか眼鏡は曇りてをりぬ

 

白鳥が群れるくらいだから相当大きな沈下であり大量の水がたまっているはずなのだが、「ひとところ」からイメージするのは小さな場所なので、狭い水たまりのようなところの少量の水に魚が棲みついていて、餌を奪い合っている状態かも知れない。

上句の「沈下して水の退かざる」が作者の言いたかったところだと思う。

まだ沈下したままの「ひとところ」が被災地には存在するということ。

そして、その「ひとところ」が命を育んでいるということ。

生命のたくましさよりも、「ひとところ」に寄らなくては生きていけない生命の儚さを強く感じた。

2首目「きれいに残されて」と「客のまばらな」と、ポイントが二つに分かれてしまった感があるので「客のまばらな」は要らなかったような気がするが、如何だろうか?

「きれいに残されて」は現実の厳しさを的確に表現している。客、商う人、見ている作者、三者三様の思いが若布の上で交差している。

 

巻末に長文のエッセイが寄せられていて、震災後3年間のそれぞれの思いを語っている。その中でも、三浦こうこの「一万日目を詠う」の次の文章が心に残った。

福島で生きる人の、ひとつの意見として、記憶にとどめておきたい。

 

「震災から一年ほど経った頃、東京から来た息子の婚約者に「福島に来ることで、周りに何か言われなかった?」と聞いてみた。当時、福島の人たちは他県に行くと心無い言葉を吐かれたという話が溢れていた。その時彼女が「友達に、トレンディって言われた」と答えたのを聞いて、ふと心が軽くなった。

私たちは、外部の人に「傷に塩を塗るような言葉は言わないで、特別視するのはやめて」と言い、その一方で「しかし、私たちを忘れないで、見続けて」という思いもあって、よく考えると身勝手なことだと思う。トレンディ、ぐらいに軽く言ってもらうのが気楽でいい」

 

使はない鍵ではあるが放せぬとカチャリと鳴らす電話の向かう  相澤豊子

車では見落としそうなあきらめとあきらめないとの境目がある  井上雅史

スクラップを整理するなか思い出の歌のメモありありすぎるほど 及川綾子

祖母は目を閉じて語れりただひとつ家が草へとうもれゆくこと  風橋平

勢ふも掠るるもあり廃棄物最終処分地反対の署名        梶原さい子

断水の日々この坂に列なして殿様の井戸に水を汲みにき     小林真代

ひさびさに京都にあれば眩暈するほどにこにこと忘れてありき  田中濯

四年ぶりに職安に来つ被災者か否かを分ける欄できており    田宮智美

 

これらの歌に強く魅かれた。

井上の歌は全体が比喩になっているようであり、「車では」という具体に実感がこもっていて、いい歌だと思う。

歩くこと、すなわち車で素通りするのではなく、現地に暮らすことでしか見えない境目があるんだという主張もうなずけるものがある。

 

梶原さい子がエッセイ「三年という時間」に震災が起きて一週間後に歌を作ったときの心境を書いている。

短歌が1300年間存在してきた理由の一つ、死者への鎮魂。

短歌に詠むことで思いが死者に届くという考え方である。

梶原の文章は体験者は貴重な証言である。

 

「歌言葉の持つ力について。それがいいのかどうかは別として、本当のことしか詠えなかった。言葉が言うことをきかない。たとえば、起きていないことを起きたとは言えない。それはなぜかと考えてみるに、つまるところ、亡くなった方へ届いてしまう言葉だと捉えているからだった。亡くなった人にはわかる。それは、歌の言葉が単なる記号ではなく、表面に見えるもの以上の何かを伝えてしまうという認識でもある。

だからこそ、たくさんの鎮魂の歌が生まれた。花の歌。それは、亡くなった方々への手向けだ。届く、とは言い切れないけれど、届くかもしれない。届いて。そういう歌言葉の持つ力に、恃んだのだ」

 

 

7月某日

『青昏抄』 楠誓英

 

第1回現代短歌賞を受賞した300首が収められている。

常磐井猷麿の「跋」によると、著者は浄土宗本願寺派の僧侶ということだ。

著者の「あとがき」によれば、31歳になったばかり、300首のほとんどが20代の作だという。

 

「歌を詠むことで、自分が知らず知らずに抱えていたものに自ずと向き合うことになりました。時には、向き合いたくない事柄もありました。しかし、短歌を通して自分を見つめることで、抱えていた荷物がふっと軽くなる瞬間があります。それは、私にとって心地の良い貴重な瞬間なのです。短歌を止めずに続けてきた理由は、その瞬間にあると思います」と「あとがき」に歌を作る理由が記されている。

表現にかける熱い思いが若々しく語られているわけではない。

31歳にしては老成した感がある。おとなしく落ちついた文章だ。

この落ち着き様は、個人の資質か、僧侶という職業柄か、「アララギ派」の結社の気風か、それはわからない。

作品もまた、低音にして低温である。

 

新聞の上に置かれたままにある父の眼鏡に若葉揺れゐる

帰らざる兄の自転車さびついて月の光が照らしてゐたり

手の内に冬の日差しをしまふやう父の机の鍵を握れり

同じ歳で子をなす友の葉書来て底深き箱へしづかに落とす

吾の持つ頭の側が傾きて棺はぐらりと車に入りゆく

 

不思議と女性があまり出て来ない歌集だ。

父、自分、亡くなった兄を詠んだものを挙げてみた。

新聞と眼鏡、眼鏡に映る若葉、設定に新しさはない。

2首目の自転車、さび、月光の組合せも古典的だ。

だが、そんな新しくない場面に、わたしはむしろ心打たれている。

なぜだろう?

きっと新しくない世界が醸し出す懐かしさが、わたしを感動させているのだ。

どの歌も場面に既視感があり、言葉に既読感があるのだが、きっとそれは作者が無意識に(あるいは意識的に?)寺山修司の世界を引き出しているからだろうし、読者も知らず知らずに(あるいは気が付いていて)寺山修司の世界に入り込もうとしているからだ。

寺山の世界を共通認識として、作者と読者が向き合っていて、寺山の世界は「懐かしいね」と頷きあっているのだ。

 

丸まつた靴下入りの上靴がプールサイドにならんでゐたり

理科室の黒カーテンの向かう側吾の憂鬱が横たはりゐる

着物から洋服にかはる校長の写真年譜の下に立ちゐつ

窓を向く胸像ダビデに揺れてゐる葉陰を一人教室に見つ

「だまつてゐるとなんだかコワイ」と言はれたる私の顔がドアノブの上

 

これら学校を舞台とした作品も、寺山修司のどの歌と言うのではないけれども、寺山の世界を彷彿させる。

だが、「丸まった靴下」「黒カーテン」「着物から洋服」「胸像ダビデ」「ドアノブの上」などは繊細さとともに、どこかユーモラスな風合いがあって、楠特有の言葉の使い方だ。

父や兄を詠んだものよりも、学校生活を歌った作品の方が、型にはまらない、突き抜ける自在さがあって、可能性を生かせるような気がする。

 

 

7月某日

『茎を抱く』 荒木る美

 

石川県白山市に住む著者は「ポトナム」に所属していて、これが第一歌集。

 

旅人の眼に一瞬の景ならん列車見送る冬草とわれ

しろじろと冬なり雪の畔を来てただ一点のわが立ち止まる

 

1首目と2首目は大きな自然の中にいる自分の姿を観察しているところが面白い。

しかも自分を「一瞬の景」「ただ一点」と見る。時間的にも空間的にも僅かで小さな存在として捉える。

旅人にはすぐに忘れ去られる存在として冬草とわれを同一に並べる。

誰も居ない世界であっても自分を中心に置くのではなく、ただ一点の存在として扱う。

この作者の最大の利点はこのような視線の低さにあると思う。

われを詠んでも、われを主役として突出させることはない。

 

春はすでに充分なれば黄の色にみひらいて咲くかたばみの花

ああやっと咲いたひいらぎふゆのなかへしずかに自分を差し出している

木漏れ日も葉擦れの音もないからと心にほったらかすな冬木を

トーチャンと名づけし蜥蜴ひと夏を郵便受けの後ろに暮らす

 

自然が多く歌われているが、そのとき目線の低さはとても有効である。

かたばみの花、ひいらぎの花、あまり短歌に歌われない素材に目が届き、咲いたことを喜び、素直に表現している。

3首目は忘れがちな冬木の存在を歌にせよという自分自身への鼓舞。

「心にほったらかし」というのだから、ずっと気にはしているのだが、言葉にならないでいたのだろう。この冬こそは、冬木をたくさん詠もうという気合いの入った思いだ。

4首目の「トーチャン」は「父ちゃん」じゃなくて、「トカゲ」の「ト」。トカゲに、しかもペットではないトカゲに、名前を付けてしまう作者の自在さが楽しいが、工夫がちっとも感じられない「トカゲだからトーチャン」の単純さが、歌にユーモラスな雰囲気を生んでいる。

 

ひっそりと神の話をするように四人の弦が楽奏でゆく

亡き兄の使い残しし「電磁気学演習」ノートにうた書き記す

〈泣く〉〈笑う〉どちらでもない「あー」が出た五ヶ月の児の胸の中から

金曜にようやくたどりついて子は寝癖のままに朝を出でゆく

 

静かな弦楽四重奏の様子を喩えた「神の話をするように」が上手く決まった1首目。

2首目は事実であるのせよ、ないにせよ、「電磁気学演習」の言葉の選択に尽きる一首。電磁気学には不案内なのだが、磁石も研究分野に入るとすれば、プラスとマイナスが引き合うように、ノートを通して作者は亡き兄を引き寄せているのであろう。

3首目、赤ちゃんの「あー」は空腹時とか体調が悪いときとかに出るらしいが、言葉の始まりであることもあるらしい(まだ5ヶ月なので言葉は早いか?)。

結句で「胸の中から」と言っているので、赤ちゃんも感動詞「あー」をすでに持っているようにも思えるし、なにか悩みがあって「あー」と溜め息ついているようにも思える。

よくわからないのだが、泣くでもなく笑うでもない感情が5ヶ月の児の中に芽生えてきたことを掬い取ったことは手柄だ。

4首目、母である作者にとっても「ようやくたどりつい」た金曜なのだろう。

疲れ果てた子に良き週末のあることを願う母心。

華やかさに欠けて、表現が上手くいっていないところもあるが、日々の暮らしと身めぐりの自然と、その時々の思いを実直に丁寧に綴っていて、印象に残る歌集である。

 

 

7月某日

『この芸人に会いたい』 橘蓮二

 

「芸人」は「ひと」と読む。

「観て、撮って、書いた。旬の芸人・落語家たち」とサブタイトルがつく。

もうお分かりでしょうが、芸人さんたちを撮った写真と、橘のエッセイからなる本です。

落語に興味のない人にはまったく興味のわかない本でしょう。しかし、ぱらぱらめくって、写真を見ていると、めくる手がいつの間にか止まり、そこにある写真に見入ってしまうことでしょう。

吸引力のある写真です。

芸人さんがステージ(高座といいますが)で戦っている姿の、一番魅力的な一瞬を捉えた一枚はとても力強くて美しい。

言葉で表現するということにおいて、落語と短歌は似ていると、ずっと思っていました。

落語には聞く人が必要、短歌には読む人が必要。

聞く人に想像力がなければ面白くない、読む人に想像力がなければ不十分、そんな他人任せのところも似ています。

場面を言葉だけで伝えなくてはならないので、どんなに上手く語っても、書いても、不十分。聞き手、読み手との共同作業があってこその芸能であり文芸なのです。

仲間はいても、結局は一人という点も似ています。

似ているという気持ちは写真に附された文章を読んでいっそう強まりました。

 

「アーティストにとって、必要な絶対条件のひとつは、誰に頼まれた訳でもないのに、

まずはトライできるかということだと思う。

言われたこと、決められたことだけをやって満足しているようでは、

自分の表現したいことを続けていくのは困難である」

 

「どの世界でやっていくにも恐れをしらなければ未来はやってこない」

 

「いつだって何がおこるかわからない。それでもひとつ言えることは、

たとえ何があっても本当に大事なものから離れないでいれば、

なんとかやり続けていけるということだ」

 

「誰かのことを語る時、周囲の様子を伺いながら「あの人もこう言っている」と

他者の口を借りなければ伝えることができないならば、表現する意味はないと思っている」

 

「すべての表現は感心させるものではなく、感動させられてこそ本物」

 

「想いを伝えたければ器用にこなすのではなく、不器用でもひたむきに表現を続けていくだけだ」

 

「人を想い、人を描く。そこさえ揺るがなければ、その表現者は時代を超えられるのだ」

 

橘蓮二は1961年生まれだから、53歳。わたしと変わらない。

なのにこの表現者としての確たる信念。

被写体に常に生身でぶつかって来た、真剣勝負の繰り返しから得た哲学なのだろう。

一瞬を切り取る真剣勝負、その恐ろしさを橘は数えきれないほど味わって来たのだろう。

 

 

7月某日

『春の庭』 柴崎友香

 

第151回芥川賞受賞作。

主人公は2人、ではなくて2軒。

「ビューパレス サエキⅢ」と水色の家。

ビューパレス サエキⅢは取り壊しの決まっている築31年のアパートで、2階建てで、全部で8部屋ある。

部屋番号はなく、代わりに1階の部屋は亥、戌、酉、申。2階の部屋は未,午、巳、辰。

干支で呼ばれている。

太郎は亥に住んでいて、漫画家の西は辰に住んでいる。

水色の家はビューパレス サエキⅢの斜め裏にある洋館で、1964年、東京オリンピックの年に建てられた。

CMディレクター牛島タローと小劇団の女優馬村かいこ夫妻が20年前に暮らした家だ。

ビューパレス サエキⅢに越してきて3年目の太郎が、どうして20年前のことを知っているかというと、辰の部屋の西に「春の庭」という写真集を見せてもらったからだ。

写真集「春の庭」は水色の家に住む牛島タローと馬村かいこがお互いを撮影し合ったもの。

二人はその後離婚し、いま、水色の家には森尾さんが住んでいる。

本当のところ、西は水色の家に住みたかったが、一人暮らしには広すぎたし、家賃30万円は高すぎた。

だが幸運にも、水色の家の裏手に手ごろな家賃のビューパレス サエキⅢがあった。

西は迷うことなくビューパレス サエキⅢに決めた。

 

人間は登場するが、みな生き生きとしていない。

表情が乏しく、喜怒哀楽が薄く、「面倒」を理由に行動せず、社会性が欠如しがちだ。

そのかわり、二つの建物の表情は豊かだ。

特に水色の家は庭に樹があって季節の花が咲くから一層のこと表情が豊かになる。

百日紅、海棠、梅。巨木ではなく、季節を連れて来てくれる庭にふさわしい樹だ。

樹があれば鳥も飛んでくる。なおのこと表情は豊かになる。

 

西はひょんなことがきっかけで、森尾さんの奥さんや子供たちと友達になり、住みたかった水色の家に出入りするようになる。

 

「もう、いいんじゃないですか? 家には入れて、庭も見たんだし」

「そうですよねー。でも、あの家もいつなくなっちゃうかわからないからなー。築五十年? 今、景気よくなってるからあっちもこっちも工事してるでしょう。線路脇の解体工事やってるとこは、マンションが建つみたいですよ」

 

居酒屋でビールを飲みながら、太郎に「もういいじゃないですか」と言われて西は反論したものの、最後に本音をもらす。

「一日だけでいいから、あの家で自由に過ごしてみたいなあ」

 

家は存在するけれども、自立はできない。

かつては牛島タローと馬村かいこの家だったけど、永遠に牛島タローと馬村かいこの家であることはできない。

森尾さんが住めば森尾さんの水色の家になるし、森尾さんが引越して大家さんが「壊そう」と思えば、水色の家はなくなる。

景気がどうのこうのという人間の思惑もあったりなんかして。

 

太郎と西の間に恋愛関係は生じない。

恋愛感情すら起きない。

ビューパレス サエキⅢを出てゆくと西が言っても、太郎は「あー、はあ」くらいの曖昧な返事をするだけ。

だが、西が越して行ってはじめて、ビューパレス サエキⅢにも、自分にも、空虚が生まれたことを太郎は知る。

 

「西の引っ越しは火曜日、太郎が仕事に行っている間に行われ、夜帰宅したときには「辰」室はもう空になっていた。ドアが閉まった部屋は、一見すると前の日と変わりなかったが、その窓の暗さは人が住んでいる部屋の暗さとは違った。その向こうになにもない、からっぽの暗さだった」

 

登場人物の性格が根のところで似ているので、書き分けるのが大変だったろうなと思う。とても読みやすい文章で、さらさらと読めた。

 

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