藤島秀憲


言葉と声と

今月の9冊

 

『声を聞きたい』 江戸雪 (七月堂)

『雲の輪郭』 高村典子 (ながらみ書房)

『鼓動のうた 愛と命の名歌集』 東直子 (毎日新聞社)

『微笑』 結城千賀子 (角川学芸出版)

『レインドロップ』 大塚亜希 (旭図書刊行センター)

「方代研究」 山崎方代生誕100年 第55号 (山崎方代を語り継ぐ会)

『旅の人、島の人』 俵万智 (河出書房新社)

『流転の歌人 柳原白蓮 紡がれた短歌とその生涯』 (NHK出版)

『金田一家、日本語百年のひみつ』 金田一秀穂 (朝日新書)

 

 

8月某日

『声を聞きたい』 江戸雪

 

「塔」に所属する著者の第5歌集。

2009年から2014年の作品が年代順に収録されていて、巻頭から順を追って読んでいると、文語が減って口語が増えてゆく過程、文語から口語に移行してゆく過程が見えてきて興味深い。

2009年には「たり、り、ぬ、き」など継続や完了や過去の助動詞が頻繁に使われている。

10年も同様。11年になって減少し、12年になって激減する。

 

さわさわと雨ふりかかる沈丁花のひえた根方に鳩死にている

*沈丁花に「じんちょう」のルビ

一本の飛行機雲のありようもつたえられずに電話を切りぬ

セロファンにつつまれていし一房を水にひたせば一粒うかぶ

工具箱にしずもる鋼みずからのつよささびしむ夜のありたり

*鋼に「はがね」のルビ

 

2009年の歌の中から歌を4首。

2009年はまだ文語が使われているのでだが、1首目のように口語の歌も交じる。「ひえた」は「ひえし」「ひえたる」ではないし、「ふりかかる」「死にている」も口語であろう。

(死にているは短歌的文語と呼ぶべきか?)

だが、口語ではあるが、2首目以降の文語助動詞の使われている歌と比べて、言葉の運びに大きな違いはない。文語的な言葉の運びをしながら、口語を使ったという感じである。

4首目に「つよさ」ということばが出て来るが、「つよい」という言葉がしばしば使われている(反対に「弱い」も数は少ないが使われている)。作者の判断基準の一つとして、強いか強くないは重要な位置を占めるのだろうか?

ただし強いことを完全に是としているわけでなく、強さを認めつつも否としている。

強いは良くて、弱いは悪いと単純に割り切っていない。

しばしば使われている言葉といえば「水」もその一つであり、「風」「鳥」「空」も繰り返し歌われる。

歌われている素材や道具はおそらく多くはなくて、同じものを繰り返し歌うタイプなのだと思う。

きっと同じものを繰り返し歌う背景には、2首目の伝えられないもどかしさがあるような気がする。

言葉の不確かさ・不完全さを感じているのだろうが、どちらかと言えば、言葉を充分に操れない自身の不甲斐なさに重点が置かれている。

一首で伝えられないという思いが、同じものを何度も何度も詠ませているのだろう。

 

メモ帳のオレンジの表紙反る窓辺どんな報せもただ受けるのみ

言葉が哀しみをおこしてしまうかもしれないそれでも書く 北へ

われわれは弱い存在ゆっくりと漁船が海にもどされていく

 

2011年の「東日本大震災」と題する連作から3首。

報せを受けるのみで何もできない作者が起こした行動は書くこと。

短歌という文芸作品かも知れないし、私的な手紙かも知れない。

どちらにせよ、言葉とは心を完全に表現できるものでないことを知っているから作者は「哀しみをおこしてしまうかもしれない」と歌う。

それは言葉だからだ。

心を言葉という媒体を使わないで伝えることができれば、そんな不安もないのだが、悲しいことに心は言葉を使わずに伝えることができないのだ。

3首目はもしかすると、その「哀しみ」を起こしてしまう表現かも知れない。

被災者からすれば被災しなかった人から「われわれは弱い存在」と一括りされたくないかも知れない。

でも、被災しなかった人も、東日本大震災では自然の猛威と人間の微力を思い知らされた。

被災者を哀しくさせるかも知れないことを知りつつ、「われわれは弱い存在」と表現しなければならなかったのは、作者の表現者としての強さであり、生活者としての弱さであると思う。

 

川岸の小舟のような雑貨屋であなたが買ってくれるハンカチ

みはらしのよい場所に来て肋骨をくぐる風のことあなたに話す

水の面にだけ話すことふえてゆくそこは椿の花がうかんで

たちどまりたしかめてみる樹の風のようなひびきのあなたの名前

 

2012年の作品から4首。

人名地名など固有名詞の少ない歌集である。

時代と場所を特定するものがあまりないので、作家像が見えにくいとも言える。

くっきり明確でなく、全体に紗がかかった感じだ。

一方で、時代や場所といった表面的なものではなく、時代や場所を超えて人間の内面的な部分に触れているとも言える。

少ない固有名詞であるが、堂島川、木津川、土佐堀川、白髪橋、伯楽橋など、川と橋の名前はいくつか詠まれている。

 

「あとがき」に江戸は次のように書いている。

 

「画像で

何でもわかったようにおもえてしまう今、

生身から発せられる声が

とても大切に感じる。

 

声が聞こえてくる歌を作りたい。

そして、

私の歌の言葉が声となって

誰かのなかを流れる日があるなら、うれしい。」

 

言葉に感じていた不完全さや不確かさは、声への信頼の裏返しなのだろう。

 

 

8月某日

『雲の輪郭』 高村典子

 

「かりん」に所属する著者の第2歌集。

思いを文字にしなければ生きていられなかった、表現手段があるから生きていられたという経験を多くの文学者はしている

作品が一定水準を超えていることは文学者としての資質が左右する。

そして、その作品を発表し、一冊にまとめるには、文学者としての強い精神力が必要だ。

そんな表現することへの必死な思いと強い精神力とを感じる1冊である。

この歌集を論じるにあたっては、歌われている病気のことを避けては通れない。

「あとがき」によれば第1歌集『わらふ樹』以降の6年の間に3回うつ病で入院したとある。

 

夢にまで人の言葉に身構へて一人の部屋にうつ伏せに寝る

入院は知られたくなき枕辺に人待つやうな丸椅子がある

赤きセーター似合ふよと言ふひとり子の声が現世にわれ留まらす

あの日あのまま消えてゐたらとふと思ふ煮つけし甘鯛きみと食みつつ

 

歌集はⅠからⅣまで4章に分かれていて、まずはⅠに収められた歌から4首。

1回目の入院前後であろう。

一瞬たりとも休まらない精神状況を「夢にまで~身構えて」と表現。「うつ伏せに寝る」という体感を伴って緊迫感のある1首目。

2首目、知られたくないのに見舞いに来てほしい葛藤。

3首目と4首目は支えてくれる家族を歌う。

 

柵のある個室の窓に立てばもう見ゆるなり熟れてあかき柿の実

正月の蓮根しやつきり煮る時もわれは知らずに奥歯噛みしむ

西空に男体山の澄む季節くもりなきまで窓ガラス拭く

 

Ⅱから3首。

1首目、入院が長引き、季節が秋に変っていることに気づいた。

今まで気づかなかった季節の移ろいに目が留まったということは、回復の兆しなのだろう。

「柵のある個室」というインパクトのある言葉で始まるわりには希望が表現されていることに、読者として救われる思いだ。

2首目、調理をしながらも、何かに耐えている。奥歯を噛みしめてまで耐えることはないと知りつつ耐えている。

それが精神を病む原因かも知れないし、命を支える活力なのかも知れないが、この歌からでは読み取れない。

しかし、そんな危うい自分の状況を「蓮根しやつきり煮る」行為と結びつけてしまうところに、表現者としての高い資質があると思う。

単なる訴えや叫びに終わらずに、詩に昇華し得ている。

 

母に似し細き静脈採血のたび家思ふ梁のくらさを

目醒めれば両腕ベッドに縛られつ台風に構え動かぬ樹の見ゆ

花ひとつ飾ることなく紐、刃物取り上げらるる病棟に入る

 

Ⅲから3首。

1首目は最悪な状況なのであろう。

母、家、梁の3つの名詞から様々な読みを誘う。物語性のある歌だ。

2首目3首目は衝撃的な場面であるが、作品としては叙事に傾いていてるので、作品としては1首目の方が完成度は高いと思う。

 

那須野来て草をなびける風遊ぶ萩の草とふバス停に立つ

二十六インチのGパンがきつくなり「買ひ替へなよ」と夫はよろこぶ

強度なる不安感ぬけて朝夕にことんことんと俎板鳴らす

 

最終章Ⅳから3首。

回復の兆しが読まれていて、読者も救われる。

今の作者は、旅をして、太って、取り上げられていた刃物が使える

 

草叢を吹き行く風の見ゆる土手われはお尻で地球に触れる

 

最後に本歌集に収められた346首の中から一番好きな歌をあげておこう。

自身の病気に向き合った歌が歌集の中心ではあるが、こうした自然との触れ合いから生れた歌に魅かれるものがあった。

明るく穏やかな世界だ。

特に野の草花を詠んだとき、そこに吹く風を歌ったとき、作者の詩心が伸び伸びと発揮されている。

 

 

8月某日

『鼓動のうた 愛と命の名歌集』 東直子

 

「毎日新聞」に6年間連載されたエッセイをまとめたもの。

この「歌集を持って本日もカフェ」は基本的に、前の月、あるいは前の前の月に出た本や雑誌を取り上げて来たのだが、本書だけは例外。

5月25日に発行されている。なのに何故9月になってしまったかというと、収録されている全61編のエッセイを、一夜一編、寝る前に一編ずつ読んでいたからだ。61編目を読み終えたのは8月3日だった。

読もうとすれば、1日あれば読める。でも、毎日1編ずつ、ゆっくりじっくり読みたかった。1日で読み終えるのはもったいないと、最初の一編を読んだときに思った。

 

最初の一編は「言葉を届ける」と題されている。

冒頭、東はこのように書いている。

「誰かに恋心を抱いたとしても、そのことを口にしなかったとしたら、それはその人の心の中だけに起こった変化でしかない。恋する人へ、その心を言葉にして届けたとき、はじめて「愛」という、人と人との間に芽生える摩訶不思議な感情が現実の世界に生まれるのではないかと思う」

そして、吉川宏志のこの歌へと話題を移す。

 

花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった 吉川宏志

 

短歌入りのエッセイを書く場合、一番難しいのが、散文から引用短歌への展開である。

あまり突拍子もないような歌を持って来てもいけないし、つなげるために文章が歌にどんどん寄っていってもいけない。

あくまでも自然に。けれども、小気味よく短歌に切り替わること。

その点、この展開は巧くいっている。

展開の妙と適切な短歌の引用は、本書の魅力の一つと言っていいだろう。

 

花水木の道が尽きたところに駅があって、そこで二人は別れるのだろう。

愛を告げようかどうか迷う気持ちと、道が尽きるという物理的条件が、ちょうど一致したのだ。

「長くても短くても」は距離でもあり、時間でもある。

迷った時間と、二人で花水木の道を歩いた時間。

道が尽きるという物理的条件とわたしは書いたが、東はもっと巧い表現をしている。

「道が後押ししてくれた」と。

「きれいな花水木が咲くこの道が続いている間に愛を告げようと決心し、迷っているうちに、その道の終点が目に入ったのかもしれない。今言うしかない、と、道が自分を後押ししてくれたように感じたのである」

 

「九月に入っても」で始まる一編がある。「食べる、ということ」と題されていて、次の5首が引用されている。

 

夫を亡くしたる娘が夕べ素麺を少したべをりおとも立てずに     持田勝穂

はてしなきおもひよりほつと起きあがり、栗まんじゆうをひとつ喰べぬ 岡本かの子

*「まんじゆう」の傍点あり、「喰」に「たう」のルビ。

あさりを ばさっと入れて煮えたたせ あつあつ味噌汁でひとりの朝餉 加藤克己

大阪のたこやきなればともしびの明石の蛸をぶつ切りにする      池田はるみ

こころよりうどんを食へばあぶらげの甘く煮たるは慈悲のごとしも   小池光

 

哀しみの中にいて食べる素麺は痛々しくて美味しくなさそうだが、栗まんじゅう、あさりの味噌汁、たこやき、きつねうどんは何ともうまそうである。

でも、美味そうに食べる以前に、きっと悲しいことがあったんだろうなと思わせるところが、これらの歌の食べ物をいっそうおいしく見せている。

甘い物は心が穏やかになるし、あたたかいものは心がほっと休まる。

 

「秋の涼しさ」という一編もあって、食欲の秋だけど、やっぱり人恋しくなるなる秋だなと思わせる歌が紹介されている。

 

秋階段十五段目に腰を掛け立ちてかおれる人に会うべく      大野道夫

すずむしも鳴きだしている 夜だ おいてきぼりにされてしまった 田中ましろ

 

食欲も、人恋しさも、行楽も、読書も、スポーツも、芸術も、秋のさまざまを短歌は満たしてくれるだろう。

 

 

8月某日

『微笑』 結城千賀子

 

微笑は「みせう」、「みしょう」と読む。

「表現」編集発行責任者による第3歌集。

 

下ろされし篠懸の枝が束ねられ夕べ匂へり舗道来しとき

*「枝」に「え」のルビ

冬野来て呼ばれし思ひふりむけば石の仏が鼻欠けおはす

菊日和働き日和すがすがと庭に障子の桟洗ひ立て

降る雨のいつしかに雪 杉の木の重なり合へる奥ふかくなる

 

季節を丁寧に描写している歌を、まず4首あげた。

1首目、朝、出掛けに通ったとき、まだ枝は降ろされていなかった。昼間、作者が不在の時間に街路樹の選定作業は行われた。そして夕べの帰路、選定された篠懸の木と下ろされた枝を作者は見た。

夕べの一時点、作者が目にしている光景を歌っているだけなのに、その場所で一日の間に展開された様々な場面がありありと浮かんでくる。まるで早送りしているように篠懸の木を巡っての人々の動きが見えてくる。

2首目、「呼ばれし思ひ」に作者の仏に依存したい心の弱り具合が出ていると思う。鼻の欠けている古い石仏に親しみを感じているのも、また作者の現在の気持ちの反映であろう。

「冬野来て」がややポーズが目立つ表現なのだが、これも今の心境に辿り着くまでの紆余曲折の比喩と理解すれば、良いのかも知れない。

3首目、秋晴れの一日。「菊日和働き日和」のリフレインに心の弾み具合が出ていて、気持ちいい。4首目は結句が絶妙。雪が世界を閉ざしてゆく時間をうまく言葉にしている。

この歌集に収められた自然詠には、見得を切るようなところがある。声を張り、決め台詞を発するような印象を受ける。それは声調を大切にした歌の長所でもあるのだが、ときに読者を置き去りにして、作者ひとりが悦に入っている感じがしてしまうときもある。

 

丈高く黄の花そよぐ村の道まれに遭へるは老人ばかり

*「老人」に「おいびと」のルビ

コンベアに蔓草からみ採炭場閉ざされてより流れし日月

夏草のおどろに埋もるる墓いくつ再び石に還らむまでを

 

取材する姿勢が強く出ている旅の歌が多いことも特徴だ。

単なる観光ではなく、テーマを持って旅をして、歌に残しているのだろう。

3首ともは「廃鉱の村」と題された12首から。

「廃鉱の村」は「夕張物語」という大きな括りのなかの一連で、「夕張物語」には他に「北の大地」「化石の時間」「夏を閉づ」「夕張便り」の連作があり、すべて合わせると60首になる。

取材しようという積極的な姿勢と、夕張で過した濃密な時間が生んだ連作である。

テーマを持って連作を作ろうとする意識は、舅や姑の戦争体験や戦後の活動を詠むことにもつながってゆく。

 

ヒロシマの惨を伝ふと初めての被爆者の手記舅は編みたり

被爆者の手稿年経て黄ばみしを生涯持ちて舅は逝きたり

出陣学徒の寄せ書き帳よりこぼれ落つ四つ葉のクローバー褪せしひとひら

 

教育の場に励み来しこの人のこころ襤褸となりゐしはいつ

励ましてはならず甘やかせるも不可しかたもなくてただ共にゐる

振り向きて夫が促す「さあ行くぞ」その一声に荷を負ひ直す

 

夫のうつ病を詠んだ作品に心打たれる。

3首目は1首独立してあるよりも、歌集の中に置かれて、夫の病状を知った上で読む方がいっそう輝きを増す。

辛い状況を嘆かず、冷静に描写していることに感銘する。

 

 

8月某日

『レインドロップ』 大塚亜希

 

第1歌集。

結婚を機に札幌に移住した作者は「心の花」に所属し、地元の「トワフルール歌会」「こまくさ歌会」でも活躍している。

夫との結婚生活を詠んだ相聞歌集なのではあるが、明るい歌だけが揃っているわけでない。

自身の病気がもう一つの大きなテーマになっていて、入院や出産の断念の局面がうたわれている。

 

キスをしてふっと左を向く癖を世界でわたしだけが知っている

化粧水をなじませながら口許に増えたほくろを意味なくなぞる

友のこと楽しく語る彼のため笑顔を作り剥く早生みかん

今日もまた一人ぽっちにされたから泣くほど辛い鍋と向き合う

 

結婚前の作品をまず4首。

1首目は彼を独占していることの喜びである。わたしだけの彼という思いが、余計に恋心を熱くする。

2首目、ほくろの増加は体調の変化の兆しなのだろうか。「意味なくなぞる」行為が、不安に基ずくものなのか、喜びの表現なのか、倦怠感のあらわれなのか、作者の心理が今一つ見えて来ない。

3首目は嫉妬である。わたしと会っているのに友のことを楽しそうに語る彼。彼に腹を立て、一方で彼をこんなに楽しそうにさせる友に焼きもち。

4句に作者の気持ちが出過ぎているような気もするが、結句の行為の描写はうまく言えていると思うので、「剥く早生みかん」だけで4句と5句を形成しても良かったかも知れない。

4首目、彼との擦れ違いが続いたのであろう。幸せなのに、一人でいる寂しさ。早く結婚式の日が来ないかという苛立ちなのだが、この1首を読む限りでは、そこまで読めないから、歌集に入れて、時間の流れに置いたことで引き立った歌だと思う。

 

紅を差す筆の動きのやわらかし大事に大事に「花嫁」になる

二人居のしろき魔法の食卓よ「わさび」と言えばわさび出てくる

愛し合うと解りあうとは違うものカレーライスのライスは左

産まないという人生を選択す 笑顔の並ぶはがき届けば

 

結婚式当日と新婚の日々をうたったものから4首選んだ。

鏡を通して美容師の動きを見ている。

ついにこの日が来た喜びに満ち溢れている1首目。

2首目、新婚家庭の食卓、「わさび」と言うのは夫であり、妻である作者がわさびを出すのだろうが、逆にも読める。

妻に「わさび」と言われて、「はい」とわさびを出す夫。

まあ、それは、どうでもいいわけで、何かを頼めば何かをしてくれる人のいる喜びの表現なのである。

3首目、ライスが右だろうが左だろうが、どうでもいいことだ。お皿を180度まわせば済むことだ。

そんな小さな違いは暮らし始めて気付く。大した違いじゃないけど、当人にしては驚きの連続。

上の句の観念的で大仰な言い方を、下句の微笑ましい具体性がうまく集約している。

4首目は辛い歌である。自身の病気が遺伝することを畏れて出産しないことを決めたようだ。下句は、年賀はがきなどにプリントされた家族写真であろう。

 

好物を買って帰ろう失効した免許証にはぽかり穴あく

絶食の一日の終り歯磨きをしているわれが鏡に映る

退院が延びて哀しき独り寝の一人だったら泣きたいところ

休日を半ば検診に費やして夫と分け合うあんかけ焼そば

 

病気をテーマにした4首。

自分から免許証を返納したことで、一生病気と闘い続けてゆく決意をしたのだろう。

「好物を買って帰ろう」が切ないが、自分の好物でなく、夫の好物と読んでみた。

2首目と3首目は入院の場面。

4首目も含めて辛い歌ではあるが、「一人だったら」「夫と分け合う」に救われる。

夫がいるから生きていかれる、作者の強い思いが、言葉を導き、歌を生んでいる。

やっぱり相聞歌集なのである。

 

 

8月某日

「方代研究」 山崎方代生誕100年 第55号

 

1987年に7月に創刊号が出て以来、年に2冊の発行を続けて、55号を迎えた。

巻末に創刊号から50号までの「方代研究」目録が掲載されている。

28年の間に誰が何を書いたかが一目でわかる。

なんでもないことのように思われるが、これが後々役に立つ。

51号から54号までを掲載しなかったということは、100号を視野に入れているからか?

息の長い雑誌である。

 

表紙をめくって、1ページが「生誕百年の方代二十首選」。

制作年代順に並べられているのではなく、生まれた日から死ぬ日まで、方代の一生を振り返る形に並んでいるのが面白く、うれしい。

1首目は「生れは甲州鶯宿峠に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ」

2首目は「大正三年霜月の霜のふるあした生まれて父の死を早めたり」

19首目は「丘の上を白いちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり」

20首目は「ふるさとの右左口郷は骨壷の底にゆられてわがかえる村」

*1首目の鶯宿峠には「おうしゅくとうげ」、20首目の右左口郷には「うばぐちむら」のルビ

 

19首目の「丘の上を白いちょうちょう」は『迦葉』の終わりの方に収められていて、初出が1985年の「短歌」6月号、「人物」と題された21首中の1首である。

この年の8月19日に方代は死ぬ。

歌の読みは定まらないと思う。幼児の思い出と読めないこともない。

だが、人生の終りを予感させる歌と読む方が腑に落ちる。

丘の向うには生まれ故郷の右左口村があるのだろうと、私は読んで来た。

白いちょうちょうに誘われ、方代も丘を越え、右左口村に帰ってゆく。

 

評論が5編収められている。

「戦後短歌史の方代」という共通のテーマのもとに、5人それぞれに課題が与えられている。

恩田英明には「戦後派歌人方代」、大井学には「無頼派歌人方代」、阿木津英には「方代と詩性」、柳宣宏には「方代の口語」、藤島秀憲には「方代の大衆性」。

まず読むべきは阿木津英の「深沢七郎と「茶ぶ台」の発見と」だろうか。

 

深沢は石和町、方代は右左口村、山梨県内にともに1914年に生まれた。

方代からすれば深沢は常に仰ぎ見る存在だった。

吉野秀雄を通して方代と深沢は会う機会がないこともなかったようだが、結局会わなかった。

阿木津は「うた」第二十八号収録の座談会「方代さんを囲んで」における方代の発言を引用している。

「会わしてくれるって言ったけど、断ったことがある。やっぱり向うが一枚上だよ。ああいう、百人一首をよみながら小説を書くなんて人と、ちょっとおっかないから会いたくないよ」

 

その他、引用されている座談会での方代の発言を読むと、方代が深沢の小説を読んでいたことがわかる。

方代は深沢に自分と類似するものを感じてはいたが、相容れない部分があることも知っていたようだ。

その点を阿木津はこのように書いている。

「深沢七郎が出現した昭和三十年代、山崎方代は歌集『方代』があるばかりの無名歌人であった。うっかりすると、深沢七郎の短歌版として「柳の下の二匹目のどじょう」になる可能性もあった。しかし近親性が高いほど違和を感ずる部分には敏感になる。方代は、「おっかない」「女を女と思っていない」深沢七郎の作品世界に強烈な違和を覚えたことだろう」

 

深沢七郎に対する違和こそが、方代が独自の世界を切り開くための「梃子」であったと阿木津は書く。

しかし方代が方代らしい世界を築くためには、他にあと二人の人物が必要であったのだが、それはあえて書かないでおこう。

ぜひ評論を読んで、あとの二人を確かめて欲しい。

 

「方代生誕100年 わが愛する方代の一首」は45人に行ったアンケート。

1位になった歌は

「私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう」『こおろぎ』

3人が選んでいる。

2人が選んだ歌が2首あって、そのうちの1首が

「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」『こおろぎ』

この歌を選んだのが大森益雄と澤田安子で、澤田が鑑賞文の最後に次のように書いている。

「南天の実は、紅にときめいていましたが、白い実だったかもしれないとも思う」

南天の実は赤いと、ずっと思っていたので、「白い実」という意見が新鮮で、白い実もアリかな? などと思っている。

 

 

8月某日

『旅の人、島の人』 俵万智

 

東日本大震災を機に石垣島に移り住んだ俵万智の最新エッセイ集。

 

次の文章に、わたしは心打たれた。

「子どもに関して言うと、かつては「人に迷惑をかけない、自立した人間」になってほしいと願っていた。が、震災後は「迷惑はかけないほうがいいけれど、かけてしまうときには、周りからそれを許される人。自立も大事だけれど、人は結局一人では生きていけない。ならば、困ったときに助けてもらえるような、人とのつながりを、うまく築ける人」になってほしいと思うようになった」

(「8番、ピッチャー大越くん」より)

 

俵は運転免許を持っていない。

島で、車なしに暮らすことは、不便を通り越して、「無謀」なことなのだ。

バスは一日数本で、バス停までは歩いていけない距離。

タクシーで買い物に行けば一回5000円かかる。

だから、公民館の集まりや学校の行事に行く時には誰かの車に乗せてもらう。

郵便局やスーパーに行く人がいれば用事を頼む。

不便極まりないわけだが、短い時間で地域の人と親しくなれたのは、免許がなかったからだと俵は推察する。

「多くの人に迷惑や心配をかけておいて言うのもなんだが、できないおかげで貴重なつながりが生まれたのは確かだ」

(「私、運転できません」より)

 

困ったときに助けてもらえる人間関係を築ける人になって欲しいと願う親心は、自身の体験からも来ているのだろう。

体験といえば、モズク採り、カヤック、シュノーケリング、釣り、バンド「きいやま商店」の追っかけなど、島に移ってから、母と子は、さまざまな体験をして、だんだん島の人になってゆく。

子の作文の一部が紹介されている。

「はじめはひなんだったけど、この島がすきになったので、すむことにしました。らい年の春にはアーサーとりをしてみたいです。」

(「モズク採り」より)

 

エッセイを読んでいると、歌集『オレがマリオ』の歌を思い出す。

歌の背景がわかることは楽しいことだ。

と同時に、俵万智が短歌を作る時に体験のどの部分を切り取るか、どう取捨選択して、どう膨らませて、一首を作るのかがわかる。

 

それは春、モズクの森を探しゆく子は生き生きと足を濡らして 『オレがマリオ』

シュノーケリングした日は思う人間は地球の上半分の生き物

晴れた日は「きいやま商店」聞きながらシャツを干すなり海に向かって

「オレが今マリオなんだよ」島に来て子はゲーム機に触れなくなりぬ

 

『ちいさな言葉』という俵のエッセイ集がある。

たとえば「おんぶ」のことを「背中で抱っこ」と言った子の言葉を聞きとめながら、言葉の不思議さと多様さと、子の成長を綴ったエッセイなのだが、その子も小学校4年生になり、もはや「日本語はペラペラ」だそうだが、、言葉の珍解釈があったり、逆に核心を突いた発言をして母(=俵)をハッとさせられることがあるそうだ。

珍解釈では、八方美人のことを「どこから見ても美人」だと思っていて、母を笑わせた。

ハッとさせられる発言は、算数の文章題を解いているときのこと。

「416さつの本を、同じ数ずつ8箱につめます。1箱に何さつずつつめればよいでしょう」という問題に対して

「同じ数っていってもさあ、ぶ厚いのと薄いのがあるじゃん。オレの予想だと、入りきらない箱も出てくるけど、それでいいのかなあ?」

確かに、この発想は正しい。

大事にしたい発想だが、算数の問題を解き続けていくうちに、このような変な問題の変なところに気が付かなくなるのだろう。

 

さて、最後に、わたしからの問題です。

『オレがマリオ』の158ページに対し、『旅の人、島の人』が207ページあるのに、2冊の厚さが同じなのは、どうしてでしょうか?

 

 

8月某日

『流転の歌人 柳原白蓮 紡がれた短歌とその生涯』

 

わたしは一度も見ていないのだが、連続テレビ小説「花子とアン」が好評なようだ。

(見たくないのではなく、テレビがないから見られないだけ)

仲間由紀恵さんという女優さんが演じている葉山蓮子のモデルが柳原白蓮だそうだ。

そのために、今、白蓮がひそかなブームらしい。

ながらみ書房から出ている白蓮の『踏絵』の復刻版が売れていると聞く。

放送はあと1が月で終わるらしい。

 

『流転の歌人 柳原白蓮 紡がれた短歌とその生涯』を書店で見つけて、買った。

ムック本は滅多に買わないのだが、迷いなく買った。

2008年の秋に日本橋高島屋で「柳原白蓮展」を見て以来、気になっている人だ。

白蓮(本名は燁子)の生涯はだいたい知っていたのだが、忘れていることの方が多く、コンパクトにまとめられた第一章の「白蓮の生涯」はありがたい。

父の柳原前光(さきみつ)伯爵は鹿鳴館の夜会の席上で女児が誕生したとの知らせを受けた。

「毎夜まぶしい光を放つ洋館の輝きにちなみ」燁子(あきこ)と名づけられた。

母は旗本の娘であったが、明治維新後は芸妓になっていた。

正妻ではなく、妾であり、燁子は柳原家に引き取られ、次女として入籍された。

15歳で北小路資武と結婚。

「このとき、夫から初めて自分が妾腹の子であることを知らされ」た。

夫は一体どういうつもりで、そんなことを言ったのだろう。

とにもかくにも嫌な奴である。

20歳のときに離婚した。

離婚後は柳原家の隠居所に引き取られ、出戻りは恥ということで、4年間、幽閉される。

その間に『源氏物語』や『枕草子』を読んだというから、白蓮の素養と文章力は幽閉の賜物と言えないこともないだろう。

ここから先は実際に本書を読んでいただくとして、短歌に話題を移そう。

 

馬場あき子が「白蓮の秀歌」を選んでいる。

「白蓮の人生に添う歌」と題するエッセイが添えられている。

馬場は白蓮の作風の転換点を二つ挙げていて、一つは宮崎龍介との恋と伊藤伝右衛門との絶縁、もう一つは関東大震災である。

馬場はこのように書いている。

 

「白蓮が人間の生きる姿の真実の悲しみを経験し、悟ったもう一つの出来事は関東大震災ではなかったかと思う」

『紫の梅』にはその見聞が数首詠まれているが、それとともに出産した幼子との母子の情の深いよろこび、病む夫を看取る妻としての哀感が、白蓮に開眼させたものの大きさを思わせる。作風も全く変わって素直に事実を見つめてうたうものになった」

 

そして、次の3首を挙げて、解説を加えている。

 

何方ぞ火は焔えさかる悲しくも人声遠くそらにきこゆる  『紫の梅』

持ちいでし一つの包それひとつその家すべての財にてありき

二つ三つ金魚うかせて子とあそぶ初夏の日の水に光れる

 

「平明でやわらかなことば続きの中に、白蓮そのものの息づかいがあり、金魚の歌には子育ての日々の平穏な幸福感さえ漂うのが感じられる。しかし白蓮が市井の人としてのくらしのなかに本当の人間愛を感じはじめたころ、日本は戦争に向かって歩みはじめていた」

 

白蓮の初期の頃の歌は良いとは思わない。与謝野晶子の焼き直しの様な感じを受ける。

歌い上げ、ポーズが目立ち、観念的で、場面が見えて来ない。

馬場あき子が選んだ歌を読んでいて、昭和3年、43歳のときの歌集『流轉』の歌が一番わたしは好きだ。

特に次の3首。子どもと夫をうたった作品に強く惹かれた。

 

午後三時遊びに行きし子等二人吾を呼びながらかへる足音

大きくなりしを己が手柄である様に背のびをしては見するをさな子

わがつまのかへりおそきも嬉しかり癒えたればこそと思ふがゆゑに

 

巻末に収められた林真理子と東直子の対談「現代女文士「白蓮」を語る」は必読。

かねがね私は白蓮の二人目の夫・伊藤伝右衛門が悪く扱われることが好きでなくて、二人の仲がうまく行かなかったのは25歳の年の差と、経済的援助を目的に白蓮を嫁がせた柳原家に責任があって、伝右衛門はそんなに悪くないと思っていたのだが、東も林も同意見らしく、それが嬉しい。

ドラマで伝右衛門を演じている吉田鋼太郎が、めちゃくちゃカッコいく、男の色気があるそうだ。

林が『白蓮れんれん』を書くことになった経緯、二人が選んだ白蓮の10首についての話しなど、とても面白い対談だ。

林真理子が短歌と歌人をリスペクトしてくれているのも、微笑ましく、うれしい。

 

 

8月某日

『金田一家、日本語百年のひみつ』 金田一秀穂

 

初代、金田一京助。二代目、金田一春彦。そして金田一秀穂、三代目。

三代目は冒頭、平成の今の言葉を分析する。

チラシ広告の地図に書かれた「セブンイレブンさん」「東京ガスさん」「ささき医院さん」の「さん」を新しい敬語ととらえる。

「あたしこれ好きかも~」には○×のデジタル表現を避け、アナログを保持したい若者の気質をみる。

「こちらコーヒーになります」「1万円カラお預かりします」など「コンビニ敬語」(金田一春彦命名)を分析、これさえ習得すればコンビニ敬語の達人になれる3つの文法規則を示す。

たとえば「健康のために吸い過ぎには注意しましょう」をコンビニ敬語に訳せば「健康のホウのために吸いすぎに注意しテヨロシカッタデショウカ」となるそうだ。

 

今どきの言葉に金田一はいろいろ物申すが、どちらかと言えば寛容である。

若者の変な言葉も、コンビニ敬語も、頭っから否定していない。

それは「言葉は変化するもの」だからだ。

金田一はこのように書いている。

「言葉は変化することにその本質がある。変化しないような言葉は死んだ言葉であり、つまりそれを使って生きている人がいないということである。ラテン語は、その最後の母語話者が死んだ時点で、変化しなくなった。あるいは変わりすぎて、フランス語やイタリア語になってしまったと言ってもいい」

「言葉の乱れ」とは言わない。「変化」と言ってみる。そう思えば腹も立たない。この世の中、ほかにいくらでも腹を立てるべきことはあるのだ」。

 

後半に収録されている「春彦・秀穂ニホンゴ対談」が面白い。

日本語には体を表わす表現が少ないという秀穂の問いかけに春彦が答える。

「たとえば源氏物語の主人公の光源氏の場合、その目がどうだったのか、鼻がどうだったか、髭があったかなかったか、全然分からない。書いてあることは、結局、脇で見ていた人がぽーっとなったとか、思わず見とれてしまったとか、これぞ日本一の美男子だとみんなが言ったとか、こういうことばかり。決して顔を描写しようとしない。服装に関してはいろいろ書いても、身長や体重なんかは決して書かない」

この回答に秀穂が日本人は同じような顔つきをしているからじゃないかと意見を述べるが、春彦は言う。

「いや、これは、身体や顔について触れることがタブーだった。語彙が少なかった、ということの証拠なのだと思う」

 

話は進んで、日本語の語順に及ぶ。日本語は並べ方が効率的ではなく、大切な言葉が一番うしろにある、つまり述語が最後にあって、今まで述べて来たことが、打ち消されたり、願望だったり、命令だったりする。

話を終りまで聞かなくてはわからないのが日本語の語順だ。

そんな欠点ではあるが、欠点が逆にプラスに作用することもあるとして、秀穂は柳家三亀松の都々逸「好いて好かれて、好かれて好いて、好いて好かれたことがない」を挙げる。

春彦は佐佐木信綱の「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一片の雲」をあげて、次のように語っている。

「「ゆく秋の」と聞いて、大きく季節が頭に浮かぶ。「大和の国の薬師寺」で、地理的に、まず広い地域を思い浮かべて、それから薬師寺というふうに、狭い場所に限定する。「塔」と言って、それをさらに小さな狭い三重塔に絞り込む。焦点をどんどん狭くしていく。そうしておいて、その視点を上に登らせていって、屋根の上の透かし彫りまで移して、最後に「一片の雲」でピタリととめる。これは映画の手法のようではありませんか」。

 

信綱の薬師寺の歌について、大きなものから小さなものへと焦点を絞って行く手法は今までも論じられてきたことだが、「視点を上に登らせていって、屋根の上の透かし彫りまで移して」と、透かし彫りまで見てしまう。こういう鑑賞をわたしは初めて聞いた。

通常「一片の雲」は「一ひらの雲」と表記されるが、本書の表記のままにしておいた。