想像と体験と

今月の9冊

 

『黄鳥』 阿木津英  砂子屋書房

『湖水の南』 齋藤芳生  本阿弥書店

『現代女性秀歌』 栗木京子  NHK出版

『みなとみらいに歌が咲く 海外日系文芸祭の十年』 小塩卓哉 海外日系新聞放送協会

『逢坂の六人』 周防柳  集英社

『八月の耳』 春日いづみ  ながらみ書房

『一花衣』 守中章子  思潮社

『光へ靡く』 古志香  短歌研究社

『同じ白さで雪は降りくる』 中畑智江  書肆侃侃房

 

 

9月某日

『黄鳥』 阿木津英  砂子屋書房

 

第6歌集。

黄鳥には「くわうてう」とルビが振られていて、黄鳥の下には「1992〜2014」と添えられている。

しかし作品の初出は1992年から1999年までとのこと。5年のズレについては「あとがき」に次のように書かれていている。

 

「わたしはこの集を、あたかも画室に積み重ねたキャンパスを奥から引きだしてきて新たに筆を加え完成させていくかのように作った。「一九九二〜二〇一四」は、したがって制作年間をしめす。一九九二年から九九年にかけて得た構想を、十年ばかり寝かせて澱を沈め、この数年の間に精製したともいえよう。歌集にも、このような制作の仕方があってよいのではないか。」

 

なるほど、第1歌集ならともかく、何冊も歌集を出している歌人が、1冊分の作品をまるまる寝かしておくという方法は珍しいと思う。

「寝かせて澱を沈め」「精製した」とは如何なることなのだろうか?

そのヒントとなる歌が集中にある。

 

抑へたるわが憤りきらきらと浮き漂へり活字のうへに

否み、否み、否む炎にわがうたを突き入れては打ちにまた打つ

 

1首目、抑制したはずなのに抑えきれなかった感情がまだ見えている。しかも「きらきらと」目立っている。

「憤り」と歌われているが、哀しみや喜びなど全ての感情に当てはまるだろう。

その浮き漂う感情を掬い取って棄ててゆくのも「精製」であるだろうし、鍛冶職人に自身をなぞらえた2首目のように、歌を鍛え上げていったはず。

 

畑ひとつ崖下に見ゆその畝に揺らぎてあるは韮の玉花

沿ふ道に塀のおもてはやはらかし蔦の葉むらを延べひろげたり

ゆふぐれの風吹きわたりなぎさべに相搏つ波の音のしづけさ

庭のさま見分かぬまでに積む雪の聴禽書屋二階に立てり

 

精製の末に得たものは音楽だと思う。

言葉の持つ意味が生み出す凸凹とした調べを研いで研いで研いだ結果,辿り着いたのは美しい音楽である。

その分、言葉に籠められていた作者の感情は見えなくなり、意味も極力薄くなり、言葉の音だけが残っている。

その方法に一番合うのは自然詠であろう。効果を意識してか自然詠の多い歌集である。

逆に言えば、自然詠が多いから、精製してゆく作り方が可能だったのかも知れない。

描き出された風景を新しい・新しくないで判断しようとすれば、明らかに新しくない。でも、こういう歌を前にして、新しいことにどれだけの価値があるのだろうか? と思わずにはいられない。新しくないことに価値を見いだせるのは伝統詩だからである。

 

広告のはづされてある壁枠に露はにぞ見ゆ蛍光管は

鉄板を踏みつつゆけば板囲ふ仮設道路へわれ導かる

冬うす日ここにあかるし貼紙を剝ぎたる跡のタイルの壁に

わが影の腰のあたりにふくろ揺れ道のはるかに小さき帽子

 

自然詠の描き方を町の風景に当てはめたのが、この4首。

どこにでもある光景で、ドラマチックなものは一切ない。

口語で、しかも散文的に表現すれば、「だから何なの?」としか言えない内容であるが、それを短歌として成り立たせているのは、定型を持つ韻文と文語の力であろうし、精製によって磨かれた音楽性があるからだろう。

 

目を上げてふとくらがりにつやつやし柿のお尻を叩いて過ぎぬ

タデ科またキク科の秋のくさのはな瓶に挿したり曇れる午後に

曇る日のとある路上の植ゑ込みのつつじの花の湿りに触れつ

塵芥をさげて出で来て紅梅の枝につむ雪ゆびもて崩す

 

自然との小さな触れ合いを描いた4首。

山に踏み入らなくても、川に足を浸さなくても、指先だけで自然に触れることができる。

「柿のお尻」「秋のくさのはな」「花の湿り」「崩す」何気ない表現であるが、実感がこもっている。

ただ、その分、作者が目指した精製と相容れない感じがする。

実感と言う生なる感情を抑えることが精製の主な目的だったのではないかと、私は勝手に解釈している。

とは言っても、次の歌に現われている作者の生な感情は残されていて良かったと思う。

感情の残る歌があり、感情の消された歌があり、起伏があることで、優れた歌集に仕上がったと思う。

夏の疲れが取れないこの時期、安らぎを与えてくれた1冊である。

 

白にごる湯をばつくりて膚痛む茄子のごとくにわが沈みたる

こぶし咲くその木のもとに石二つ平たきは犬にまろきは父に

石垣に沿ふ坂道をのぼりゆく病む猫をわがふところにして

緩やかにわが居たりけり昼ともす明かりの四囲を雨降り沈む

 

 

9月某日

『湖水の南』 齋藤芳生

 

第2歌集。

「東日本大震災の直後から、私は福島を離れて東京の小さな編集プロダクションで働き始めました。面接のために上京したまさにその日にあの震災が起こり、余震が何度も襲うなか、その場で採用が決定したのでした。」と「あとがき」に書かれている。

震災が起きる一年前、作者はアブダビに暮らしていた。「王の遺言」という連作があり「二〇一〇年、五月」と日付が記されている。

 

絵を描いてごらんと言えばアブダビの子等は連邦旗ばかりを描けり

王子がひとり夭折したり街中の半旗三日三晩を垂れる

砂の民ではなくむしろ風の民 聖典の朗誦が聴こえる

描かれし風のようなるアラビアの文字を見る金色の砂の上

 

いずれも良い歌だ。旅行者でもなく、住民でもない、滞在者の目線で異文化を捉えている。

2首目から4首目の4句目と結句はみな、句われ句またがりしている。

その読みにくさが、異文化に接している作者の戸惑いを表わしているようだ。

集中に句割れ句またがりは結構多く、意識してのぎこちなさなのだろうが、主題の一つでもある現実と作者の不適合と重なり合っていて、特徴的である。

1冊の歌集の中で(年月にすると4年)、作者はアブダビ、福島、東京、福島と居を移している。

旅を転々と繰り返す歌集はあっても、生活の拠点を3回も移す歌集は珍しいのではないだろうか。

移転が現実との不適合によるものかどうかはともかくとして、結果的には素材が豊富な、視野の広い歌集に仕上がったと思う。

 

ふるさとのやわらかき水に手を洗い香り豊けき桃を剝くべし

帰国後は眉山をややなだらかに描くようになり雨を見ている

濁流をいくつも呑んで凪ぐ海よ白き鷗も呼び戻したり

見上げいる君に降りたし私は狂ったような豪雨となりて

 

「二〇一〇年、夏」と記された連作「いないのはだれ」から4首選んだ。帰国して間もなくの作品。

水の歌、雨の歌、草花の歌が多いのは、アブダビと日本の差を雨と水と緑に感じたからであろう。

ふるさと福島の水に雨に緑に、作者は快復されてゆく。

4首目の「君」はアブダビに住む「君」なのだが、特定の一人と読むよりも、当地で関わったすべての人々と読みたい。

 

放射性物質沈んでいるだろう溝の雨水を猫が飲む、鳥も飲む

シャベルも軍手もマスクも持たずふるさとに背を向けて働く私は

早大通りに繋がれている飼い犬の鼻にくっついている花びら

製本屋は本を、製本屋の妻は睡蓮の大輪を咲かせる

 

震災後、東京で働く作者。

帰国後には、あんなにも美しく歌い、癒してくれた福島の雨と水を「放射性物質沈んでいるだろう」と詠まねばならない無念。

けれども何もできずに東京で働く自分を「背を向けて」と責めて、痛々しい。

重いトーンの歌が多いので、ページを繰る手はしばし滞るのだが、3首目4首目のような嘱目詠に救われる。

 

福島に帰ろう、と思う 夕に差す目薬の青き一滴沁みて

かなしみのように糖度は増してゆく桃の畠に陽の傾ぐとき

除染土を埋めし庭より木犀のためらいもなく香りくるかな

巨きく古きビル次々と壊されて平たく暮れてゆく福島よ

 

震災から2年が経過して、福島に帰ることを決断し実行する。

第1歌集『桃花水を待つ』を読み終えたとき、「このあと作者は何処に行くのか?」と思ったが、いま第2歌集『湖水の南』を読み終えても同じ思いでいる。

第3歌集の舞台は何処になるのだろう?

 

 

9月某日

『現代女性秀歌』 栗木京子

 

平成23年の7月から9月にかけて、NHKラジオ第二放送の「カルチャーラジオ詩歌を楽しむ」で 「歌は、女は~現代短歌の水脈をたどる」と題して放送された話の書籍化。テキストにはなかった「東日本大震災を詠む」が新たに加えられた。

引用歌が豊富なので、短歌のアンソロジーとしても読めるのだが、章立に女性の短歌ならではの工夫が見られる。たとえば「母性の歌のエネルギー」という章があるが、男性の歌を集めたとき「父性の歌のエネルギー」という章立ては難しいだろう。

今は育メンの歌が盛んであるが、どんなに熱心に育児をしても歌を詠んだとしても、一章を成すまでのエネルギーは集まりそうにない。

「恋こそ短歌の泉」という章があり、一番多くのページが割かれている。いわば本書の中核部分にあたる。これも女性だからであって、相聞歌が男性の短歌の中心に成り得るとは思えない。父性は母性を超えられそうもないし、相聞歌に籠める思いの深さにも格段の差があるようだ。

そして、各章があたかも一人の人生を追ってゆくように配置されている点に注目した。「恋こそ短歌の泉」「母性の歌のエネルギー」「家族への愛と葛藤」「病と向き合う歌」「みずからの老い、他者の老い」。

恋をして結婚をして母となる。生老病死の流れで章が配置されている。

もっとも恋をして結婚して母となる流れが今は一定していないので、10年後20年後に同じテーマで書かれた時、章立と配置はきっと変化していることだろう。

この後に紹介する『逢坂の六人』に、紀貫之が『古今集』の構成に苦慮したくだりがでてくる。すなわち、春、夏、秋、冬、賀、離別、羈旅、物名、恋、哀傷、雑、雑体、大歌所の13の部立ての配置とともに、各部の中においても歌の並べ方に工夫を凝らし、縦糸と横糸が綾なすように歌を並べたということだ。

本書は「古今集」ほど大掛かりではないのだが、構成の面白さに強く魅かれる。

 

さらにもう一つ、章立を見ていて、栗木京子らしいと思ったのが「社会に生きる者として」があること。

人は社会とは無関係に生きられないということだが、社会詠・時事詠と呼ばれているものに限らず、境涯詠に近いものも選ばれている。それぞれの歌人が潜り抜けて来た歴史的事実を現場にいた当事者として詠んだ作品が多く引用されている。

 

父の顏忘るるなと子は棺の高さまで抱きあげられぬ夫の友等に  森岡貞香『白蛾』

陸大跡にアパート建ちゐぬここに學びし夫死にしかばわれがみるのみ

 

時計一つ米と替へたり粉ぬか臭き八貫の米が肩に喰ひ入る  葛原妙子『橙黄』

ソ聯參戰の二日ののちに夫が呉れしスコポラミン一〇C・C掌にあり

 

くびらるる祖父がやさしく抱きくれしわが遙かなる巣鴨プリズン 佐伯裕子『春の旋律』

遺族会になじめぬ父と帰り来て庭のダリアは火のごとく殖ゆ

 

輸送機と爆撃機の音聴き分けるうすくれなゐの夕さりの耳  渡英子『レキオ 琉球』

こゑを奪ふ爆音が領すゆふぞらのアメリカ軍機は敵機にあらず

 

栗木が取り上げている歌の中から8首選んでみた。

こうして並べてみると短歌は小さな詩型だが、社会に生きる者として個人が体験した、あるいは個人が目撃した現実を記録しておくには十分に有効な器だと思う。

森岡が、葛原が、佐伯が、渡が、これらの歌を作った時、目の前で起きている現実であったことが、時を経て、歴史の証言として我々の前に存在している。

今を詠むとは歴史の証言者になることだと、あらためて気づかされた。

 

一尺の雷魚を裂きて冷冷と夜のくりやに水流すなり 馬場あき子『早苗』

オホーツク大しけなれば木枯しは鱈と豆腐の鍋出せといふ   『太鼓の空間』

 

君たちに今日は寿司を食はさむよ笊に五合の米が光れる 河野裕子『葦舟』

この世の時間ひとへにふたへになつかしく薄焼卵二十人分を刻む

 

こちらの歌は「食と住と仕事」の章の「豪快な食の歌」と分類された中から。

女性の(男性も?)「食」に関する歌は多いので、「食」の歌だけで一章が成せる気もするが、放送や編集の都合で「住」と「仕事」と一緒になったのだろう。

河野の歌について栗木は次のように書いている。

 

「これらの歌を詠んだ頃、河野は病が進行して体調が思わしくありませんでした。「この世の時間ひとへにふたへになつかしく」という表現は、限られた日々への愛惜を秘めています。だからこそ人のために料理を作ることは生きる原動力になったのでしょう。笊の上に光る米や、刻まれて黄金色に輝く卵焼が鮮やかに目に浮かびます。」

 

アンソロジーとしても、短歌を読むための解説書としても、短歌史の手引書としても、有用な一冊だ。

 

 

9月某日

『みなとみらいに歌が咲く 海外日系文芸祭の十年』 小塩卓哉

 

2004年から2013年まで10回にわたって開催された「海外日系文芸祭(愛称は、みなとみらい文芸祭)」の記録を中心に、短歌と俳句の国際化について論じられている。

「短歌と俳句の国際化」というとき、その方法や断面はいくつかある。

たとえば、日本語で詠まれた短歌と俳句を外国語に訳して紹介すること、外国語に訳すことなく日本語のまま紹介すること、外国人に英語やフランス語で短歌・俳句を作ってもらうことも国際化である。

海外日系文芸祭は海外に居住する人が日本語で短歌と俳句を詠むという点に大きな特徴があった。

第1回の応募者は短歌が718人、俳句が457人。14か国から作品が寄せられたという。

10回目も14か国から、短歌1409人、俳句1333人の応募があったそうだから、短歌は2倍に、俳句は3倍に増えたことになる。

紹介されている第1回の上位入選の短歌作品から5首選んでみよう。

 

そのかみの移民の亡姑の牡丹刷毛かすかなれども紅の匂ひす   植松秀子

*亡姑に「はは」のルビ

ブラジルのこの一点は吾が土地よ稔り豊かな稲を刈り居り    瀬尾天村

風花の頬にとければ憶ひ出づはじめてミセスと呼ばれしかの日  マスグローブ羊子

日本恋う我をいたわりせめてもと伜が咲かせたる垣の朝顔    村本季美

*伜に「こ」のルビ

捨て切れぬ行李証しの如く置き移民祭また今年も来る      新井知里

*行李に「こうり」のルビ

 

植松さんはアメリカ在住で、第1回の大賞に輝いた。牡丹刷毛とは化粧用のブラシのこと。

瀬尾さんはブラジル、マスグローブさんはハワイ、村本さんはアメリカ、新井さんはブラジル。

5首に共通するのは叙情豊かでありながら骨太な表現であろう。一首が屹立している。言わんとすることを言いおおせるだけの確かな表現力がある。

上位入選作だから当然なのだが、いい作品だ。

関係者の努力ももちろんのこと、良い作品に支えられたから大会を継続して来られたのだろう。

 

「東日本大震災と文芸」という一章が設けられている。

平成23年10月に開催された第8回海外日系文芸祭には震災を扱った歌が多く寄せられたという。

 

震災の悲惨に血圧上がりしと伯人医師に告げがたきポ語  ブラジル 寺尾芳子

米軍が空より見つけし「ARIGATO」被災の浜に組まれし破片 アメリカ 石見純子

放射能にかかわりしゆえ妻は逃げ原発技師の甥を哀しむ  ブラジル 西田はるの

地震の跡見詰むる人の背に肩に触れては消ゆる春の沫雪  カナダ 西林節子

*地震に「なゐ」のルビ

 

1首目の寺尾さんの作品が第8回の大賞を受賞した。寺尾さんはブラジルに渡って58年が経つそうだ。

情報だけを歌って終るのではなく、情報が自分にどんな変化をもたらしたか、その結果何が起こったのか、震災を自分の問題として詠んでいる点が優れている。

この作品について小塩卓哉は次のように書いている。

 

「日本で発生した未曾有の大災害を、日系人がブラジルの日常の中で憂い、心配が故に血圧が上がったとブラジル人医師に伝えたいが、言葉の事情でもどかしく思うという、日本とブラジルの状況がまさにシンクロした状況で、この歌は成立しているのです。」

 

この夏、わたしの所属する「心の花」は全国大会を「国際化と短歌」というテーマで開催し、小塩卓哉氏に「国際化と短歌の現在」という題で講演していただいた。

講演後に「われわれは国際化の中で何をうたうか」というシンポジウムがあり、海外居住者、居住体験者に混じり、わたしも参加した。

わたしは海外に行ったことがないので、その異色さ?が買われての起用だったわけだが、「想像力は体験を超えられるのではないか?」と主張してきた。

海外体験がなくても、想像力があれば、あたかも体験したような歌が作れるのではないかと力説してきた。

が、その後、本書を読んで、やはり体験の重みには敵わないなと思うようになってしまった。

 

 

9月某日

『逢坂の六人』 周防柳

 

「古今和歌集」成立に至るまでの物語、小説です。

主人公は紀貫之。編纂仲間の紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒はとても仲が良く、「つらゆき氏」「とものり氏」「ただみね氏」「みつね氏」と呼び合っている。

なんか変な呼び方だな、嘘っぽいと思うのだが、お互いを尊重している様子が伝わる、いい呼び方だ。本当かも知れない。

でもどちらかというと、貫之が六歌仙に出会って、人間として歌人として成長してゆく部分が話の中心。

六歌仙とは、在原業平、小野小町、僧正遍照、喜撰法師、大伴黒主、文屋康秀。

 

貫之の父は秀麗眉目な文官であったが、彼が生まれる前に流行病で急死してしまう。父のない子として生まれた貫之は、紀氏の長者である有常に預けられて育てられる。

在原業平は有常の娘を妻としていて、妻を亡くした後も有常のところに出入りしていて、40歳も年下の貫之をとても可愛がっていた。貫之も業平を慕っていた。

貫之の母は、「あおい」と言い、逢坂の山中に住まう小野小町に仕えていた。12歳のときに有常に死なれた貫之は母のもとに引き取られる。つまり小町の傍で暮らすことになったのである。

業平と小町は同時期に仁明帝に仕えていて、共に和歌の才があったことから、仲が良かった。会えばザックバランナな会話が出来る間柄だった。

狭い世界で縁戚関係があって、政治が行われ、文化が興されていたので、このあたりの関係が複雑で、ややこしい。

つまり、紀貫之は若くして才に長けていたけれども、その才を育てる人が周りにいる環境に育ったということである。

与えられ伸ばされた才があったからこそ、「古今和歌集」の編纂事業が行えたと、単純に言ってしまえば、こういうことである。

 

「どんちゃん騒ぎさ」

「五十を過ぎているのだぞ、年寄なのだぞ」

「なまぐさの、色ごと坊主め」

「尼前はあいかわらず美しいな」

「惚れ直したということさ」

 

これは業平のセリフだ。小説だから当然脚色されているのだが、言いそうな言葉ではないか。

ちなみに色ごと坊主とは僧正遍照のことで、尼前とは小野小町のこと。

惚れ直したといった相手は貫之の母・あおいである。

 

エンターテインメント性の強い作品なので、史実は踏まえていても史実とは違う想像によって描かれる部分が多い。だから面白い。

史実に即した部分、たとえば「古今集」の序文について述べるところなどは反対に面白くない。こういう箇所は削ってしまって良かったのではないかと、削るのが好きな歌人は思う。

 

小野小町が紀貫之に「ばばはもう先が短いゆえ、いまのうちにもののわかる若きお方に託したいと思うていたのです。あこ、よう励んでくりゃれ」と言って、歌稿を手渡す場面など感動的である。

貫之は一枚一枚丁寧にめくりながら声にだして読んで行く。

 

花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに

 

すると小町が「ひゃあ、古い歌じゃなあ」とおどける。そして言う。

「うつろうてほんとに悲しいのは、姿かたちの花ではない。人の心の花じゃ。心の花も野の花と同じで咲きっぱなしということはない。いつかは色あせ、しおれ、散る。しかも野の花と違うてそれと気づかぬうちにうつろうから、よけいと罪が重いわな」

 

最近、小説と遠ざかっているなと思っている方に、秋の夜長にお勧めの一冊。

 

 

9月某日

『八月の耳』 春日いづみ

 

第3歌集。

歌われている素材が豊富であるので、さまざまな切り口から読んで行くことができそうだ。

私は楽しい歌が好きなので、まずはユーモアのある歌から。

 

昼下がり牛舎にラジオの音高し牛が頷く人生相談

煮崩れず形の揃ふコンビニのおでんの大根 団塊のわれら

初春は亀の子束子も新しく泥つき大根首より洗ふ

本日のわが寛容は何グラム銀の秤の静かに揺れて

 

乳がたくさん出るように、あるいは肉がおいしくなるように牛に名曲を流すという話は聞くが、これは人間のためにラジオを付けていて、牛にとっては単なる雑音にすぎないのだろうが「頷く」と見立てたところに味わいがある1首目。

2首目もなかなか味わい深い。少々煮崩れても問題ないと思うのだが、コンビニの大根は崩れたら廃棄されるのだろう。 団塊の世代も煮崩れることを畏れ、形正しく、両隣と同じ形に揃って生きて来たのか・・・? 窮屈に鍋に押し込まれた大根との比喩が鮮やか。

3首目も大根。新しい年の始まりにピッタリの気持ちよい歌。

4首目の「銀の秤」は「銀秤」のことだろう。辞書で調べると金秤、銀秤というのがあって銀秤は100匁(375グラム)を限度とする精密な秤のようだ。

寛容できる量が少ないのだろうか? それはともかくとして、「許せる」「許せない」で揺れる心を秤の様子で鮮明に描き出している。

 

消防車通れぬ坂の行き止まり諜報員の住みゐしところ

「出るかしら」「結構出ます」竹藪に幽霊と蛇 主語噛み合はず

くろぐろと「提供しない」に丸をつけバッグに仕舞ふ重き保険証

支払へる息子の財布よりふとのぞくドナーカードは見なかつたことに

母の足の先へ先へと行く杖よ今朝半夏生の白き葉に触る

 

家族を詠んだ作品から。

1首目と2首目、直接登場していないが娘が一緒にいる。連作の最初に「満ち干ある地球のリズムに生きたしと娘は漁師町に借家を探す」という歌がある。「消防車・・・」のあとには「北鮮が破格の値段をつけしとふ米軍基地を見下ろす古家」が置かれていて面白い。2首目の会話の相手は不動産屋だろう。

3首目は作者の決断。新しい保険証を手にしての臓器提供に対する逡巡を歌った連作にある。

4首目は息子と外食をしたときの一場面。母は「提供しない」と決めた臓器を息子は提供するらしい。言いたいこともあるのだろうが、息子の意志を尊重するしかない母が採った行動は「見なかったことに」する。

5首目は母の老いた歩みをやさしく見つめて描いた。

 

あかつきに開くカーテンわが顔が窓に映れり月よりうすく

夕暮れの窓にくつきり今日のわれ雪に生れたるやうな貌して

大窓にわが顔くつきり浮かびくる逢魔が時はわれに逢ふとき

 

この3首は自身を描いた作品で、いずれも窓に映る自分の顔を描いている。

この他、旅の歌、東日本大震災が起きた3月11日の歌、美術や音楽をテーマとした作品、生活する街東京を描いた歌など、主題を持って連作に取り組んでいる1冊である。

 

 

9月某日

『一花衣』 守中章子

 

第1歌集。

「ひとはなごろも」と読む。

岡井隆による「解説」が24ページに及ぶ。

対して著者による「あとがき」は短い。これから書き写す核の部分でほぼ全てを引用してしまうことになり躊躇するのだが、私が短歌に対して思っていることをまるで代弁してくれているかのような文章なので、写さずにはいられない。

 

「私にとって短歌は、死なないためのロープです。強靭な、重い、良く使いこまれたロープ。生きることはときに深い淵の縁を歩くことであり、冷たい流れを徒渉ってゆくことです。流されぬため墜ちてゆかぬため逸脱しないためまっすぐ立つため、できればほほえんでひと日を終えるために、歌を読み、歌をこつこつ書いています。短歌に出会うまえ、歌のない自分がどのようにしてこの生をたどって来たのか、思い出すことができません。」

 

一輪の侘助を剪りもどり来ぬ鼻緒が少しきついと思ふ

 

「あとがき」の文章を1首にするとすれば、うまく説明はできないけど、きっとこういうことなんだろうと思う。

作者は寺に暮らしている。次のような歌がある。

 

漱石のうまれたる地に嫁ぎきて「だいこくさん」と呼ばるる日々の

大玄関のふかき螺子鍵四ヶ所をまはしほどきぬつめたき指で

あさつきをおほく刻みぬあさつきは椀で小皿で吾を泣かしむ

果てしなくつづく道なり立ち止まり立ち止まりして墓標たてたり

 

3首目4首目のような歌を詠む背景には子を亡くしたこと、夫を亡くしたこと、自らが患ったことが深く関係している。

歌集が静謐であるのは、ひとつひとつの歌に逝ってしまった者への祈りが込められているからだろう。

 

白檀のかをり新し吾子はいまひそかにわれの背にもたれけり

此岸よりはつか離るる吾の声 ひとひこもりて泣きて眠れば

待ちやがれかげろふゆらぐ炎天に亡夫立ちをりえい待ちやがれ

寝てゐるね寝てゐるねとふ声のして動かぬ右手をさする気配す

真夜めざめもはや冷たき子の宮のゆるゆるゆると遠ざかる見ゆ

 

4首目と5首目は病んだ臓器を摘出する手術、麻酔をかけられたときと、麻酔から覚めたときの場面。遠い実感というのだろうか、失われている感覚を掬い取っているので、本来なら感覚は伴わないはずだが、それでも感覚が直に伝わってくる。

 

なんといふ静けさだらうといふ声は音になるまへ風にさらはる

シクロとは素朴な三輪 老ひびとはわれを運びぬ共に風あび

イサールのつめたき風をほほに受け落葉を踏みてしばしあゆめり

 

旅行詠を3首あげておこう。作者が旅をするのは、その土地の風を浴びたいからではないだろうか? 景色は写真で見ることが出来る。音だってテレビから聞こえてくる。でも風だけは、その土地に行かないことには浴びることができない。

挽歌や病気の歌でも感じたのだが、作者は皮膚感覚・触角に敏感な人だと思う。

最初にあげた鼻緒の歌も皮膚で感じていた。

死なないためのロープも手で握ったり、体に巻きつけたり、やはり皮膚に接触する。

 

最後に3首、理屈抜きで好きな歌を引用しておく。

 

ひとはみな水音に醒め(さうそして)水音に睡る 静かな犬と

たちどまり思ひだしては仮名でいふ季節のなまへきみのなまへを

幾千のことばを薄茶で飲みしづめしらさぎの立つ器を置きぬ

 

 

9月某日

『光へ靡く』 古志香

 

第1歌集。「かりん」に所属している。

 

二足歩行の重たさ引きて立ち止まる巨大回遊水槽のまへ

居酒屋のチクワに打てる踊り串いぢましくして日本が見ゆ

これつきり、これつきりつて手を伸ばし堕落楽しむポテトチップス

どろばうが雨戸につけた傷十五か所執拗さあり やつと青ざめる

 

1首目が巻頭歌。無駄がなく、不足もないスマートにして十分な作り。この1首を読んだだけで、上手い作者だと判断がつく。歩くことに疲れた作者は、魚だった祖先を思い、泳いで過ごせる安穏な魚たちを羨ましく思っている。

2首目が巻頭歌の次に置かれた歌で、「なにも、そこまでしなくても……」というユーモラスな批判に、楽しい歌集だなと思った。

3首目、食べ始めると止まらなくなるポテトチップス。その誘惑に、プチ堕落を楽しむ作者。悪に手を染めるような感覚から生れた言葉「手を伸ばし」が効いている。

4首目、わが家は大丈夫と思っていたことが起き、しばらくは他人事のように薄かった現実味が、空き巣が残していった傷を見て、急に恐ろしくなった。そんな感情の動きを上手く言い表わしている。

ただ見方によっては、「いぢましくして」「堕落楽しむ」「やつと青ざめる」で作者の言いたいことを言いきってしまったかな? 抑え気味でも良かったかな? と、そんな感じがしないでもない。

 

温室のビニール風にはたたきて日の暮れ、やまぬ娘の弾くトリル

脱水層全速力で回りたりふりきらんとする悲しみはあり

ひたすらに切つてゆけども追うひつけぬ「微塵切り」なり狂ほしく切る

鷗外の文体かぐはしくあれどエリスの恋の無惨救はず

一輪車から早変はりした一輪草咲いて校正室に涼風

 

言葉や音を詠んだ歌が多い。特に音の表現が巧みだと思う。

1首目は温室のビニールの音とピアノの音の両方がちゃんとトリルしている。トリルとは「ある音と、それより二度高い音とを、交互に急速に反復させる装飾的な音」のこと(「新明解国語辞典」より)。

2首目も脱水をする猛烈な音が響いている。

3首目も包丁の、やや苛立たしげな小刻みな音が聞こえる。音を聞き分けることのできる良い耳を持っていて、その音に感情を乗せて言葉として奏でることができる人なのだ。

一方で「微塵切り」もそうなのだが、文字や文章への興味も強い。

4首目は森鷗外の『舞姫』を読んでの感想。かぐわしき文体に騙されないぞ・・・とユーモラスな発想を割とシビアな言葉で表現している。

5首目は、ちょっとの違いで大違いの誤植に気が付いての歌。緊張する室内に一瞬笑いが起きたのだろう。それを結句で「涼風」とした置き換えの巧みさが魅力だ。

 

青畳は清しきものと思ひゐし レンタルベッド返しあらはる

*清に「すが」のルビ

遺言書開封を待つ控へ室壁にコーヒーぶちまけたしみ

封筒の最後の1センチは切らず。書記官の手は「遺言」開く

「新潟へ帰るのはこれが最後」と母が言ひ遺骨の父と乗る新幹線

 

最後に父の死を詠んだ一連から4首。

介護用ベッドをどかした後の畳をうたった1首目からは介護が長期に及んだことが読み取れる。

2首目3首目には「家庭裁判所にて 二首」と詞書がある。その場にいる人でしか詠めない体験の強みとともに、特別な場面に遭遇しても冷静に場面を描けた知的処理能力に感心した。

 

 

9月某日

『同じ白さで雪は降りくる』 中畑智江  書肆侃侃房

 

新鋭短歌シリーズ第2期の1冊。

「中部短歌会」に所属する著者の第1歌集。

 

淡青のひかりを水にくぐらせて小さき花甁を洗う七月

ぽっちっと押せば明るい雨ひらく薄い緑のビニールの傘

一夜にて街を真白にする力あれども雪は手のひらに消ゆ

次々に鳥は水へと戻り来て真冬の空を空っぽにする

手のひらを展けばそこに団栗と団栗の影ひとつずつ在る

 

水を素材にした歌が多い。生活で使っている水、つまり蛇口をひねれば出てくる水道の水から雨または雪、池や川や海まで。水が出てくる場面が繰り返しうたわれる。

光を詠んだ歌も多い。太陽の光、月の光。光が生み出す影も光の歌と言っていいだろう。

水と光をセットにした歌もある。たとえば一首目。手元に日が差しているのだろうか、蛍光灯の灯りだろうか?

七月だからまだそれほど強くない夏の日差しと読んでおきたい。光が当たって輝く花瓶を洗っている場面を「ひかりを水にくぐらせて」と柔軟に表現した。

「花甁」の「甁」の字が何故か旧字体になっている。これは一体どういったこだわり方なのだろう?

2首目は初句の「ぽっちっと」から始まって、雨を楽しんでいる様子が伝わってくる。

水に関係するものが本当に好きそうだ。悲しみを湛えた歌でも水に救われている気がする。好きが伝わってくる。

水と光がなくては人間は生きていけない。それゆえに、大げさな言い方をすれば、人間が存在することの根本をうたっているとも言える。

だが、そこまで追求せず、大好きな水と光を、楽しんでうたっていると見ておきたい。

 

それぞれの幅で歩いて何周かのちに重なるだろう君とは

突然のざーざー雨から逃げて来た人それぞれに肩幅がある

卓上に鍵を並べる 夕ぐれの鍵はそれぞれ疲れていたり

子供らは寄り添い合うもそれぞれに真深き海をまといて眠る

 

「それぞれ」という言葉が使われた歌を4首抜いてきた。

1首目の「君」は夫だろう。愛し合いながらも、わかり合えない部分を、無理に歩幅を合わせることはせず、時間に解決してもらおうと願う。

だが本当に「重なる」ことが出来るのだろうか?

その回答が何度もうたわれている「それぞれ」ではないだろうか。

夫といるときも、子どもといるときも、本当に重なり合うことはできない、どこかにズレが生じてしまう現実を実感してしまうのだろう。

 

おさな子は遠く駆けゆくわれのみが長き産後を生きているなり

唐紙の襖外せる手順にてジャングルジムより子を下ろしたり

病む人にいつまで優しくできるだろう朝には冷ゆる湯たんぽの湯

クロワッサン色の肌着に着替えたる父におやつが用意されおり

 

ズレが見えるということは、冷めた目線があるからである。客観的に「われ」と他者の関係を観察できるからである。

「われのみが長き産後を生きているなり」と言い切ったり、子どもとの触れ合いを「唐紙の襖外せる手順」と喩えたり、冷静さがあるから詩的な跳躍が可能なのだ。

3首目と4首目は、父が病気をしたときの歌。

「朝には冷ゆる湯たんぽの湯」が心理を代弁させるのはストレート過ぎるような気もするが、「病む人にいつまで優しくできるだろう」が綺麗ごとだけでは済まされない看病の大変さを真実物語っている。

4首目、「父におやつが用意されおり」が悲しい。おやつなど食べる父ではなかったのかも知れないが、入院患者のルールに従わなければならない現状。だが一方で、ICUから出て、一般病棟に移ったからおやつが食べられる、回復の第1歩を踏み出した希望と読むこともできる。

 

物語はじまるようにティーバッグ異国のカップへゆっくり降ろす

 

最後に作者の短歌工房を覗き見したような歌をあげておこう。

カップが短歌の詩型。そこに湛えられた湯に作者は心情のティーバックを浸して、言葉が湧出してくるのを待っている。

湯も結局は水である。