加藤 英彦


うつくしさについて

 堂園昌彦の第一歌集『やがて秋茄子へと到る』を興味ぶかく読んだ。昨年九月に「港の人」から出版されている。近年の若手歌集のなかでは、一首の抱える空間性にかなり意識的な一冊だというのが初読の印象であった。

 

     美しさのことを言えって冬の日の輝く針を差し出している

 

 歌集はこの一首からはじまる。冬の陽ざしに輝く一本の針は、さながら美の象徴として描かれている。朝の空気の緊まりのなかで、だれかが「輝く針」を差しだしたのだ。そのほかはなにも描かれていない。「美しさのことを言えって」とは、それを見ていた〈私〉が自らに向けて発した言葉である。差しだされた細い針の尖端は、まるで世界の中心を指し示すかのように冬の陽を浴びている。美しさについて語れというのか  とそのとき〈私〉は感じたのだ。

 かつて、「花の美しさなどというものはない」と言ったのは小林秀雄である。「あるのはただ美しい花だけである」と。その伝でいえば、〈陽を浴びた針の美しさ〉など所詮は観念である、そこにはただ〈一本の美しい針〉があるだけだ、となるだろうか。この一本の針は、何かの象徴であるだろう。それは、わたしにはひとつの意志であるように思われた。

 この一首は、表現することに対する堂園の姿勢の端的な表明である。一読して、どの作品にも作者の美意識が立っていることは容易に了解できるからだ。と同時に、この美への傾斜が堂園の短歌の危うさでもあるとわたしには感じられた。

 

  光から雨がこぼれる昼過ぎの風鈴市へ急ぐ主婦たち

  君は君のうつくしい胸にしまわれた機械で駆動する観覧車

   夕暮れに齧る林檎の嚙み跡のあなたの感情は担わない

   太陽が暮れてしまえばうつくしい文章を書かなくてはね、指

 

 言葉に対する感覚のよさと、それを一首に定着させる知の巧みさとを感じさせる。あとがきによれば、本集には著者十九歳から二十九歳までの作品が収められている。若さが未熟さと過剰さの証明であるとするなら、堂園の作品は相応に巧みであり、過剰さの一歩手前で踏みとどまる表現の押さえ方を心得ている。そして、その向かう先は「美」である。

 例えば、一首目は「風鈴市へ急ぐ主婦たち」を描きたかったのではない。堂園が描こうとしたのは、〈雨あがりの昼〉の光景であり、そこには雨滴がひかりを宿すのではなく、「光から雨がこぼれる」描写が景として必要だったし、一首の構成上、「風鈴市へ急ぐ主婦たち」の存在が欠かせなかったのだ。同様の例はいくらでも挙げられるが、前掲歌でいえば、すべては〈雨あがりの昼〉の美しさに収斂していくために用意された道具だてである。

 二首目の「うつくしい胸」をもつ「君」は、まるで機械じかけの人形である。ここでは肉体としての女性性は消去され、あらかじめシステムとして設計され、機能する身体があるばかりだ。果たして、これは相聞歌だろうか。「君」の意思は制御されたプログラムの範囲内であり、そこでは〈われ〉との葛藤は生じ得ない。それは、「観覧車」という美しい比喩を与えられて廻り続ける永遠の存在である。三首目の「林檎の嚙み跡」はその人に固有の痕跡なのだろうが、そうした固有の「あなたの感情」を一緒に担う意思は〈私〉にはない。「夕暮れに齧る林檎の嚙み跡」はまさにそんな行き場を失った「あなたの感情」の序詞として働いている。そして、〈私〉の意識はひたすら「うつくしい文章」を書くことにのみ執してゆくのだ。

 ここまで書いてきて、ふと小さな疑問が頭をもたげてきた。ここにあるのは、すべて作者によって演出された舞台だったのではないか。美の創出という目的のために、「風鈴市へ急ぐ主婦たち」も「うつくしい胸」も「観覧車」も周到に用意された部品だったのではないか。

 

  春の明るい怒りを前に畑中の震えるビニールの切れっ端

  君がきれいな唾を吐き出し炎天の下に左の手首が痛む

  ひかりたつ春の吐瀉物乗り越えて行き着く町のなんで夕暮れ

  映画の話をしたりされたり暁の指の間に地獄があるね

 

 世界はとは言わずとも、私たちの内部には明も暗も、清も濁も、善も悪も、美も醜も、混沌としたある名状しがたい総体のなかを生きている。そこにはまた無数のグラデーションがあって、明と暗はときにコインの表と裏のように、その境界はどこまでも見定めがたい。

 しかし、上記の作品が提示して来るのはあくまでも「明るい怒り」、「きれいな唾」、「ひかりたつ春の吐瀉物」といった、まるで負のイメージを脱色したような空間であって、これではなにか世界の片側だけが照らし出されているような違和感を覚えるのだ。四首目の「地獄」は、生きる地獄であるはずもなく、せいぜい映画の一場面を語りあう恋人同士の会話を出ていない。仮に、「春の明るい」という修飾句を脱いで「怒り」が拳を突きだし、「きれいな」という形容も外して「君が唾を吐き出し」と書き起こしたとき、一首はあるリアリティのなかに再生されるのではないか。そのとき、隠されていた小さな切実さが顔をあらわすのではないか。

 表現するとは、ある切実さの表出なのだとわたしは思っている。しかし、ここにあるのはどこか明るく柔らかな雰囲気の提示であり、その裏側にあるはずの存在の暗部はぞっくり排除されたままなのだ。きれいな唾  この「きれいな」には実体がない。実体のない「きれいな唾」になぜ〈私〉の左手首は痛んだのか。そう言えば、先の「うつくしい胸」にも実体がない。そして、「春の明るい怒り」は、本当の「怒り」がもつ力の強度をたわめて、背後に眠っているはずの悲しみや口惜しさを消去している。そこからは、切実さを抱えた〈私〉の顔が見えて来ないのだ。実在感の喪失と言ってもよい。

 

  記憶より記録に残っていきたいと笑って投げる冬の薄を

 

 評判の高かった作品である。「記憶」とは一人ひとりの脳裏に刻まれるが、「記録」は万人の歳月のなかに生き続ける。「記憶」などという不確かな器より、「記録」という客観的な伝達力のなかに自らの痕跡を残したいというのだ。しかし、「記憶」は不定形であやふやではあるが、記号化されなかった様々な感情をその内部に蔵している。「記録」はある事実の断面であるが、「記憶」はその断面をふくむ事柄の総体である。

 ふと、わたしは菱川善夫の書いた「クレメンティスの帽子」を思い出した。チェコの亡命作歌ミラン・クンデラの『忘却と笑い』について書かれた一文である。二月革命の後、共産主義政権を樹立したクレメント・ゴットワルトによって、やがて粛正されてゆく盟友クレメンティスは、ただ処刑されただけでなく、あらゆる歴史的書物からその存在を抹消され、すべての写真からその痕跡を消去される。それは初めからこんな人物は世界に存在しなかったのだという徹底した記録の抹殺である。そのとき、民衆に残されたのは「記憶する闘い」であると菱川はいう。すべての「記録」は権力によって改変され得るが、どのような権力も、民衆一人ひとりの「記憶」を消すことはできないのだ、と。

 作品に戻ろう。作者はその「記憶」よりも「記録」に残りたいという。「記録」より「記憶」に残りたいと書いたのでは、当たり前過ぎると思ったのかも知れない。わたしもそう思う。「笑って投げる冬の薄を」という下句に、冗談とも本音ともつかぬ青年のはにかみを感じるからだ。この一首は、そんな「記憶」と「記録」を反転させたところで作品として成立している。しかし、なぜ反転させたのだろう。反転させることによって作品価値を高められると思ったのだろうか。それでは単なる知の操作に過ぎない。それ以上に、ひとつの価値を裏返して容易に反転させてしまうことにある危うさをすら感じてしまう。菱川のいう「記憶する闘い」の何十メートルも手前のところで、わたしもまた、たった一人の「記憶」のなかに残っていたいと思うのだ。

 表現することの切実さとは何だろう。少なくとも、それは取り替え不能な位置からの発語でなければならない。おそらく、見ることの切実さと語ることの切実さは、ここでは同じ平面に立っている。わたしたちは何を見て、それをいかに語りうるかという問いから無縁でいることはできない。それは知識や経験の多寡でも、措辞の巧拙でもない。ひとりの死の前に〈私〉は何を見たのか。人間の目にはそれほど多くのものが見えるわけではない、と語ったのは佐佐木幸綱である。そのとき、見ないことの勇気は大切だろう。可視的なものに頼らず、身体の感官を全開して何を感じとるか。〈見る〉とはそういうことだと佐佐木は言っているのだ。

 

  ああゴヤが裸のゴヤが幾人も集まって暗闇に火を残す

  季節外れのいちごを持って意識には血の川が流れているよゴーギャン

 

 その見た世界をいかに表現するか。一首目はゴヤの苦悩や人間社会への寓意として読めるが、二首目はゴーギャンの内奥のカオスを摑もうとして耐えきれずに、「血の川が流れているよ」というレベルで表現を手放してしまった。「血の川が流れている」などという安易さに流されず、その内実としっかり向きあって、どのような言葉を引きあげて来るか。そのぎりぎりの選択が書くことの切実さである。わたしが堂園短歌に危うさを感じるのは、彼が向かおうとする美しさの質であり、やさしさや心地よさへと読者を誘い込む雰囲気の提示であると同時に、こうした言葉の安易な手放しかたである。

 

        すさまじい秋日の中で目を瞑り優れた人達へ挨拶を

        生きながらささやきながら栗を剝く僕らは最大限にかしこく

 

 そんな中で立ち止まった二首である。「すさまじい秋日の中」とは何かの状況の比喩だろう。この秋陽の強さは、厳しい冬の到来を前にした季節の最後の耀きであったかも知れない。あるいは、個人の力では抗することのできない巨大な権力の喩であったかも知れない。それが国家であれ、組織であれ、「すさまじい秋日」の前には微小な〈個〉の存在など押し流される以外に選ぶ道はないのだ。そのとき、〈私〉は「優れた人達」に向かって深々と挨拶をする。

 この「優れた人達」は、国家の命運を左右する一握りの専門家集団であっても、権力の中枢にいて時局の舵をにぎる少数者集団であってもよい。とにかく、〈私〉は目を瞑って彼らに挨拶をするのだ。面従腹背ではない。しかし、この「優れた……」には相当の屈折が込められている。なぜなら、「ささやきながら栗を剝」いている〈私〉たちは、決然として彼らとの距離を保ちながら、「最大限にかしこく」もう一方の〈極〉を担おうとする自恃に満ちているからだ。それは、民衆という無名者たちの〈極〉であったかも知れない。

 いや、これをそのまま〈文学〉に置きかえてもよい。文学表現の水位を上げて、新しい価値を更新していくのは「僕ら」以外にはいないという若き矜恃と捉えることも可能である。提示された作品がなにも具体を語っていない以上、そこにどのような状況を重ねるかは読者の任意だが、わたしには恭しく挨拶をおくった「優れた人達」への対立軸として、「僕ら」の〈最大限のかしこさ〉は措定されているように思えるのだ。そして、この作品に立ち止まったのは、一首が美しいからではなく、そこにしたたかな意志の存在をみたからだ。

 「春の明るい怒り」や「きれいな唾」や「ひかりたつ春の吐瀉物」といった合成写真のような明るさではなく、「君のうつくしい胸」といった実体のない美しさでもないところへ、わたしたちは出ていく必要がある。真の明るさは「明るい」という言葉のなかにはなく、本当の美しさは「うつくしい」という言葉のもつ空虚を拒絶するところにしか現れないと確信するからだ。そして、「血の川が流れている」などといった通俗に流れずに、摑んできたものをきっちり表現できるまでに言葉を鍛えあげてゆくことが、今のわたしたちには求められているのだと思う。

 出版当時の堂園は二十九歳である。いま三十歳を越えたばかりのこの若き歌人の言葉のセンスを、わたしは決して悪くないと思っている。書くということの切実さから、もう一度言葉を起ちあげる二冊目を期待したい。