革命する口語短歌

 

俳句の雑誌『船団』第115号(2017年12月1月号)特集「口語の可能性」の討論「口語と私」がおもしろかった。俳句から神野紗希、現代詩から橘上、短歌から秋月祐一、司会は久留島元(注1)。いずれも若い世代だが、異なる詩形に携わる三者の発言によって、いまの口語短歌の本質が浮かび上がってくるように感じられた。

 

秋月祐一は短歌と口語の歴史的関係について、1930年代の前川佐美雄あたりから口語はあった、1950年代の前衛短歌は基本的には文語だったが彼らの歌を読んで歌人になったのが1980年代の口語、ライト・ヴァースの時代、と整理し、その後の展開を概述する。

 

そのとおりだが、ここでもう少し大きく把握しておきたい。歌の口語化は、文章の言文一致化と同じく、近代化プロジェクトに沿ってあらわれた目標の一つだった。明治21年、言文一致を主張して和歌改良論を書いた林甕臣の〈きらきらとやぶれ障子に月さして風はひらひら狐きやんきやん〉など、歌の近代化にあたって口語化はまず試行されたのだった。

 

この「近代化」の意味するところが大問題だが、ともかく斎藤茂吉の『赤光』『あらたま』の時代や、白秋の方言導入や、釈迢空の大正半ばの完全口語歌の試みや、口語化の試行はいくたびも行われ、それは近代化プロセスの一つだったということをおさえておこう。

 

口語化試行にもかかわらず文語定型のくびきから離れられない伝統詩形に対して、近代に生まれ、つぎつぎに脱皮していったジャンルが「詩」である。前衛短歌はなやかなりし頃、短歌から見れば現代詩はかがやく「先進国」だった。それが、いまはどうやら様相が違っているらしい。

 

 


 (略)あと詩の場合は、詩語、観念語っていうんですかね、現代思想の固い言葉を使う人と、日常的な言葉を使う人との対比があるんです。それが文語と口語とはちょっと違う。

短歌のなかでうらやましいのが、ライト・ヴァースとか口語の流れが前衛の流れでとらえられてる。日常の言葉を詩で使うと、今でも広告的で日和ってるって言われかねないんですよ。穂村弘さんがよくメディアに出ていらっしゃるけど、その考えに賛成するか反対するかは別にして、穂村さんは歌人じゃないですか。俳句とか短歌だと、メディアに出る人が歌人、俳人からみても認められてるところがある。詩人の場合は、メディアに出る詩人って、ねえ?


 

 

口語自由詩の「詩語、観念語」「現代思想の固い言葉」に対して、大衆にわかりやすい日常口語は「広告的で日和ってる」と言われる。なるほどなぁ、と思う。口語使用があたりまえの現代詩では、文学としての水準を保つための言語的努力を必要とし、平易な日常口語を使用するコピーなどから距離を置いておかなければならない。また、商業主義を潔しとしない価値観もまだ揺らいでないのだろう。

だから「メディアに出る詩人って、ねえ?」なのである。

 

そんな詩の世界の住人橘が、短歌をうらやましく思うのは、メディアに出ても歌人たりうるところ。商業主義によくなじむ日常口語の使用が、守旧派打倒の「前衛」になりうるところ。思いもつかなかった側面からの指摘である。

 

少し横道にそれるが、『短歌往来』5月号柳澤美晴評論「棒立ち、だったのか」では、口語短歌に大鉈をふるう田中教子の連載「うたの小窓から」に激突し、口語短歌の読みとその味わいを解説している。柳澤はまず、田中教子のあげた永井佑・雪舟えま・斉藤斎藤について、「雪舟はうたう作品賞、永井は第一回北溟短歌賞、斉藤は第二回歌集新人賞で穂村の激賞を受けて登場した歌人だ。伯楽たる彼の名を伏せたまま三者を論ずるのは不透明ではないか。」という。そして、以下とりあげる歌のほとんどすべてに何かの賞を受けたことを記している。

 

素朴にわたしは頭をかしげる。何賞をとろうが、その選者の名前とともに、作品を評しなかったといって難じられる理由があるだろうか? 評論に触れた編集後記には「ただ、幾つかの賞の名称が出てくるが、どれほどのレベルの賞なのか、分かる方々は少ないと思われる」とあって、それくらい多種多様な賞が列挙されているが、しかし、たとえどんな大きなレベルの高い賞だって、作品を評し、論ずるのに、何の必要もなかろう。賞をもらって、誰か権威に評価してもらわなければ価値がない、ということもないだろう。

 

それがわたしの常識だったし、道理のとおったあり方だと信ずるが、ひるがえって考えれば、それほどに口語短歌の世界は「賞」を欲望し、人の評価を欲望しているということでもあろう。さきの橘の発言とともに思い合わせないわけにはいかない。

さて、俳句の方を見てみよう。

 

 


神野 そもそも昔は和歌に対して発句というのは、口語を積極的にとりいれる文芸でしたよね。俳言とか俗言という言い方をしていましたけど、和歌は雅な美しい世界を詠むもの、だけれども俳諧は自由に、俗語や漢語など自由にとりこんでいた。(略)もともと俳句は、口語が混じっている方が伝統なもののはずが、今は文語で有季定型が伝統と名指されることが多いので、時代が変わったんだなあという感じがします。


 

 

「さまざまのこと思ひ出すさくらかな 芭蕉」では、「思ひ出す」が当時の口語だったが、文語と混じっている。それが俳句の伝統だったが、現在の「口語俳句」は「全編口語」の作品をさし、「現在は短詩型の口語というと短歌のほうが隆盛かなという印象」(久留島)があるのだという。

 

文芸の近代化は、芭蕉から始まっている。こちらの「近代化」は、どのような平民にも人間としての覚醒があり、文化に参入していくことができるという意味での近代精神である。和歌も、このような俳句の近代精神をおっかけて短歌へと変貌していったのだった。

 

ところで、神野紗希のあげた口語俳句の四つの特徴が、よく整理されて言い当てており、短歌にも通じる。

まず、〈等身大の言葉 圧倒的な今〉。

それから〈成熟だけが詩ではない〉。もしくは〈女を装う口語〉。「幼さとか、女性の声を借りて、大きな物語、権威的なもの、雅なものに対するカウンターとして口語が活きてくるんじゃないか」――山崎方代の歌がまさしくこれであった。

〈カウンターカルチャー 批評としての口語〉――しかし、「大きな物語、権威的なもの、雅なもの」が消滅し大衆化してしまった現在、カウンターの位置取りはむずかしそうだ。

 

短歌の方では、口語短歌はそれまでの文語定型短歌に対するカウンターとしてあらわれた。かつて前衛短歌の負っていた近代化プロセスのうち、果たさなかった口語化を継ぐものとして、加藤治郎や萩原裕幸や穂村弘たちが一つのプロジェクトとして推し進めていった。とくに加藤治郎や萩原裕幸がそれについては意識的であり、俵万智・穂村弘というスターがあらわれて広く浸透していったと、傍らにあって眺めていたわたしにはうかがわれる。

 

しかし、これは、神野のいう「大きな物語、権威的なもの、雅なもの」に対するカウンターではない。それを「文語定型短歌」に置き換えた、疑似的なカウンターだといわなければならない。時はあたかも1990年代、東西冷戦構造が崩れて、新自由主義による市場競争が激化してゆく時代である。口語短歌は、短歌内ではカウンターだが、じつは市場原理主義に乗ってゆくかたちで自らを「前衛」を継ぐものと称したのである。

 

 


神野 口語俳句の難しいところは、文語が持っている歴史との臍帯を切り離してしまうところ。文語のもつ蓄積が消えてしまって新しいものを立ち上げなきゃいけない。でも十七音だけだと薄っぺらい。


 

 

同じ難しさを自覚している短歌の方では、すでに二、三〇年を経て「主流化」した現在、幼く薄っぺらになりがちな三十一音を補う巧みな修辞や仕掛けの工夫をもって口語短歌の蓄積とする自負が、作者間では兆しつつあるようだ。

 

しかしながら、なお、わたしは疑う。その労は多とするが、日本語発生のみなもとから養分を吸い上げている歌の歴史から断絶することに、どれほどの意味があるのだろうか。

また、市場中心主義による価値観を相対化することができないでは、かつての帝国主義イデオロギーを背景とした「写生」「万葉集」の歌壇制覇の時代と同じになってしまうだろう。歌壇を口語短歌一色に染めてヘゲモニーをとっていく、そんな「主流」観が潜在していることは、詩や俳句の世界から見て口語短歌が「前衛」に見えるところにあらわれている。彼らは「革命」を願望するのだ。

 

市場原理主義者の革命は、わたしたち底辺者にとってはあまりありがたくない。

 

 

 

 

注1 神野は、俳句甲子園から作句をはじめて句集を二冊、口語でも文語でも作るという。橘は、司会の久留島と同じ1984年生まれ、1999年より詩作をはじめ、2002年よりバンド活動もする。秋月は、1997年より作歌をはじめ、「玲瓏」を経て現在「未来」所属、2015年には「船団」にも入会、俳句をはじめた。