「分断」再考

 

前回にひきつづき、分断ということについてもう少し考えてみたい。

 

「現代短歌」三月号特集評論を読んで、おおよそ四十代五十代を境としてそれ以前の世代と以後の世代と、文章にうかがわれる価値観にわたしは分断を感じた。1990年代以降に青春期を通過した世代には、新自由主義的な、剝き出しの市場主義的価値観がふかく浸透している。

 

「勝ちたい、勝ちたい、一番になりたい」というオブセッションを内面化している瀬戸夏子の告白はいたましいものだったし、90%の貧困層の側に沈められるのではないかという山田航のいらだちと恐怖もよく理解できた。

 

これは東西冷戦終結後という世界状況の変化のもと、アメリカン・グローバリズムに追随していく日本政府の政策がもたらしたものであって、東西冷戦時代に成長したわたしたちから見ると、彼らの内面化しているものに若干の違和を感じる。

 

そして功罪の罪もあるにせよ、俵万智バブルに短歌という詩型が大いに助けられ、延命したのは事実である。しかしそのバブルにフリーライドしたくせに、一方で佐々木朔が指摘するように(「歴史について」早稲田短歌四十六号)結局、俵万智を短歌の正史にきちんと位置づけようとする論議はあまりにすくない。
                           瀬戸夏子「非連続の連帯へ」

 

「俵万智バブルに短歌という詩型」が半死半生となった、という方が妥当だろう。マスメディアの領域に「短歌」というジャンルがいっとき躍り出てにぎわったのは「事実」だが、それは「短歌という詩型」の表層的なごく一部分であった。勝ち組に入るために「バブルにフリーライドした」連中もいるかもしれないが、「短歌という詩型」が「バブルにフリーライド」したことは全くない。それは「虚偽」である。

 

それより何より「短歌の正史にきちんと位置づけようとする論議はあまりにすくない」という一節に、ああこの世代はこんな考え方をするのだと目をみひらいた。「短歌の正史」だなんて。彼らは、何事にも「正史」という権威をもって序列づけられた「史」があると思っているのだろう。そこに分け入って位置づけられたいと焦燥しているのだろう。

 

「正史」というものは、おおよそ勝者覇者が自己正当化の動機を多少なりとももって制定するのが常だろうが、ここにも「勝ちたい、勝ちたい」というオブセッションをもつ新自由主義的発想が見てとれる。

 

瀬戸夏子評論の題名「非連続の連帯へ」という「連帯」のさしむけられる先は、したがって勝者なのであり、それが「俵万智」であることは当然であった。分断とはそもそも対抗する側の力を削ぐためにさしむける策だが、瀬戸夏子は分断策さえやって来ない女性歌人のひとりとして勝者の連帯の手を渇望しているのである。

 

一方は「勝ちたい」と焦燥し、一方は貧困層に没落することを恐怖する。いかにも現代的な風景だ。このように、大きな時代の流れのなかで分断されていく間接的な分断とは違って、もっと直接的な分断もある。

 

 

金(かね)と利権によりて辺野古の住民が分断されし経緯(いきさつ)を聞く  

                      渡辺幸一「辺野古にて」

 

 

昨日イギリスから届いた「世界樹」37号誌上の一連(角川「短歌」二月号より転載)から。住民運動はたいてい「金と利権」で分断される。先日、佐川元理財局長の国会証人喚問があったが、組織内にあるものは「金と出世」で分断され、文化領域にあるものは日中戦争の始まる昭和十二年に制定された文化勲章と帝国芸術院のように「(金と)栄誉」で分断される。いまさら言うまでもないことだが、これがいつの時代にもなかなか効き目がある。

 

「世界樹」同号の渡辺評論「時評・沖縄と短歌――現地を訪れて考えたこと」末尾に、こんな言葉が紹介されていた。

 

 

(前略)沖縄の歌人の一人は私にこう語った。

「「沖縄に寄り添う」などと言う政治家の肚は見え透いているから分かりやすいが、本土の文化人は肚の底で何を考えているか分からない」

 

 

あけすけに言い直せば、「沖縄に寄り添う」などと言って正義と良心の名のもとにやってくる文化人(渡辺は「本当は「本土の歌人」と言いたかったに違いない」と書くが)も、「肚の底」では政治家が票を稼ぐように「知名度」を稼ごうというのではないか、「栄誉」という分断策で簡単にあちら側に寝返り、沈黙と無関心をもって沖縄を見捨てるのではないかと疑われる、というのである。

 

新自由主義的価値観に浸透されないかつての「左翼」世代だって、まあ、こんなくらいのものだ。不利益をこうむり、犠牲をはらってまで「沖縄に寄り添」い続ける歌人がどれくらいいるか、戦中の歌人の動向を思い合わせれば、推して知るべしである。

 

 

だが、希望はないわけではない。

政治学者中島岳志は1975年生まれ、俵万智が出現したときには12歳で、吉本ばななは知っているが隆明など読んだこともない世代に属する。青春期を1990年代に過ごして保守思想に接近し、いま、鶴見俊輔を解説してつぎのように書く。

 

長い冷戦が続く中、鶴見さんはアメリカとソ連の両方を疑った。確かに両国は資本主義と社会主義というイデオロギー面で対立している。しかし、「進歩の幻想」にしがみついている点では同じである。そして、ほかならぬ戦後日本も同じ罠にはまっている。この病理をいかにすれば乗り越えられるかが、鶴見さんの問いだった。

 鶴見さんは、進歩幻想の背景にあるエリートの「一番病」を指摘し続けた。(略)結果、彼らは時の権威者に追随し、自己を失っていく。

 一方、鶴見さんが評価したのは無名の庶民による生活世界だった。そこで重視されるのは人柄や態度であって偏差値ではない。

      (略)

 しかし、近代社会の中で「村の思想」は負け続ける。小ざかしい功利的思考ばかりが重用され、不器用な一貫性は退けられる。だから、鶴見さんは「負けっぷりの良さ」にこだわった。主流となることよりも、堂々と負けてみせることに意味を見いだした。

 我々は本気で負けることができているだろうか。時代に抗する覚悟のないところには、敗北すら存在しない。鶴見さんの「態度」を継承したい。
               「鶴見さんの態度」『共同通信』二〇一五年七月配信
         中島岳志著『保守と立憲』スタンド・ブックス、二〇一八年二月刊 

 

   
「不器用な一貫性」を保ち続ける「負けっぷりの良さ」にこだわった鶴見俊輔がかつて在り、今、「時代に抗する覚悟」をもってその「態度」を継承したいと断言する75年生まれの中島岳志がいる。一人の中島岳志の背後には少なくとも百人が存在しているだろう。

 

勝つことよりも、堂々と負けてみせることのできる、負けっぷりの良い同志よ、集まれ!   というところか。