土岐 友浩


短歌のアダプテーション

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている   萩原慎一郎

三月下旬、萩原慎一郎の歌集『滑走路』が映画化されると報じられた。歌集の発行は角川文化振興財団。映画の制作と配給もKADOKAWAグループが手がける。角川書店は歴史的に見てもメディアミックスを積極的に進めてきた会社で、十年ほど前に小島なおの歌集『乱反射』が映画になったのも記憶に新しい。

『滑走路』という歌集の説明は不要だろう。短歌に、社会に、「あなた」に、そして自分に、痛ましいまでにまっすぐぶつかってきた魂の軌跡が、ここに刻まれている。

日記ではないのだ 日記ではないのだ こころの叫びそのものなのだ   萩原慎一郎

おもいきり空に向かって叫ぶのだ 短歌が好きだ あなたが好きだ

三十二年の短すぎるその生涯で、萩原は「すさまじい数の」短歌を詠んだそうだ。歌集でも、なりふり構わずに短歌を詠む自分自身の姿が詠われている。「非正規歌人」のパブリック・イメージはさておき、少なくとも僕にとって萩原は、誰も適わないほどの情熱をもった歌人、まぎれもない歌人である。

映画化と聞いたとき、僕は喜ぶと同時に一抹の不安も抱いた。慌てて言えば、映画に注文をつけたり、水を差したりするつもりはまったくない。ただ、萩原慎一郎が歌人であったことに、萩原が遺した短歌に、光が当てられるかどうかが気になったのだ。

小説や漫画の映画化は珍しいことではない。映画化と言葉にするのは簡単だけれど、その過程では途方もない労力を費やして作品の改変が行われる。どのシーンをどうつなげ、どこを落とすのか。ストーリー、人物、時代やロケーション、その他すべてのディテール。そのように、小説や漫画など、ジャンルが異なる原作を映画に落とし込む作業のことをアダプテーションという。

角川「短歌」二〇一一年八月号では映画「乱反射」の公開を記念して、小島なおと栗木京子の対談や、光森裕樹と田口綾子による試写会の感想が誌上に掲載された。

映画の主人公は小島自身をモデルとした女子高生歌人である。制作にあたって、脚本家は小島に綿密なインタヴューを行ったそうだ。栗木は「温かい余韻が残る映画でした。歌集が映画化されるのは中城ふみ子の『乳房喪失』以来でしょう。短歌史ではエポックメーキングな出来事ですよ」と映画化の意義を評価する。一方で田口綾子は、主人公を歌集の作者と重ねたことで、完成した映画が、歌集の内幕あるいは解題のように鑑賞されてしまわないかと危惧していた。

主人公を歌人とするのは、なるほど短歌のアダプテーションという難題への、ひとつのアプローチではあるだろう。

情報を見るかぎり、映画「滑走路」の主役は女性で、萩原慎一郎とは関係ないようだ。

それでよかった、ような気がする。

最初に書いたことと矛盾するけれど、作品が「短歌」寄りであってほしいかどうか、僕は自分の心を決めかねている。萩原の生き様を多くの人に知ってもらいたいのは事実でも、それはドキュメンタリーの役割ではないか。だとすれば、短歌は映画本編のどこかにひっそりと、そうでなくても、パンフレットの後ろの方に紹介されていれば、それで十分ではないか。

二年ほど前に観たジム・ジャームッシュ監督の映画「パターソン」は、詩の魅力が映画によってこれ以上なく引き出されたエレガントな作品だった。

主人公はアダム・ドライヴァーが演じる詩人である。名前は「パターソン」で、ニュージャージー州の「パターソン」という街に住んでいる。

詩人といっても、その詩を読んだことがあるのは主人公の妻以外にいない。主人公パターソンの生業は、バスの運転手である。月曜の朝、目覚めるシーンで映画は始まる。簡単な朝食をすませ、歩いて出勤し、街にバスを走らせる。そして休み時間に、一冊のノートに詩を書きとめるのだ。


We have plenty of matches in our house.
We keep them on hand always.
Currently our favourite brand is Ohio Blue Tip,
though we used to prefer Diamond Brand
That was before we discovered Ohio Blue Tip matches
They are excellently packaged, sturdy
little boxes with dark and light blue and white labels
with words lettered in the shape of a megaphone,
As if to say even louder to the world,
“Here is the most beautiful match in the world, …”

僕たちの家には、たくさんのマッチがある。
最近のお気に入りは、オハイオ・ブルー・チップというマッチだ。
しっかりした箱のつくり。濃い青と、薄い青、そして白色。
その文字はメガホンのような形をしていて、
まるで世界に向かって、こう叫んでいるようだ。
「ほら、ここに、世界最高のマッチがあるぞ!」と…


マッチ箱というアイテムが、とてもいい。散文的な書き出し(=We have plenty of matches)から、マッチ箱の丁寧な描写に移り、いつの間にか詩的なものがそこに生まれている。

この箱は市井の人として生きる主人公自身の比喩でもあるだろう。そして、そこから引き出される「声」。僕はこの冒頭近くのシーンから、一気に映画の世界に引き込まれた。

詩そのものが素晴らしいのは言うまでもなく、その詩を映画に活かすために、本作では様々な工夫が凝らされている。

たとえば「韻」。主人公の名前が「パターソン」で、街の名前も「パターソン」だというのは、言わば作品内で踏まれた「韻」である。アダム・ドライヴァーが運転手(ドライヴァー)役というのも、ジャームッシュ監督が仕掛けたユーモラスな「韻」だろう。物語上は特に深い意味もなく、双子の人々が何度も出てくるあたりの「韻」も楽しい。

詩人というと、僕たちはつい、恋や人生に苦悩する生きづらそうな人間を思い浮かべてしまうかもしれない。その悲惨な人生と引き換えに、美しい詩が残されるのだと。

ところがこの映画に、そうした苦悩は存在しない。詩は淡々とした、散文的な日常のなかで韻を見つけ、韻が踏まれることによって立ち上がっていく。それはすなわち、世界全体を韻文的に再解釈することなのだ。

韻文的な解釈。このプロセスを省くと、詩は世界からも、人々からも浮いてしまうことだろう。いきなり「一句詠んでください」と言われても困るのと同じで、詩歌を散文的な世界にそのまま放り投げると、悲惨なことになるのは目に見えている。

短歌はどうだろうか。

日本の映画作家のなかで短歌のアダプテーションをもっとも突き詰めて考えたのは、「ひかりの歌」を撮った杉田協士監督だろう。

この映画は、公募で選出した四首の短歌を元に制作された、短歌のアダプテーションそのもののような作品である。それぞれ独立した三〇分強の短編映画で、四編をまとめたものが長編映画として二〇一九年一月から順次全国公開された。事実上のオムニバスと言える。

自販機の光にふらふら歩み寄り ごめんなさいってつぶやいていた

第二章の原作となった短歌である。作者は宇津つよし。

杉田は『ねむらない樹』第三号収録の座談会で、「その短歌一首だけで描写も含めて完成されているものは外していました」と選考基準に言及している。「自販機に謝ったりすることそのものが面白いわけではなくて、誰かの人生の中でそういう一瞬があった。作者の人も、なんでわざわざその人物の、その一瞬を選んだんだろう。もしくは、その人の人生だっていろんな瞬間があるはずなのに、そこに光が当たる人って何だろう」と、要約すれば、ある人物の人生と一瞬という尺度で短歌を捉え直してみせた。

実際の脚本が書きあがるまでの経緯が、監督のnoteに公開されている。

「自販機の光」
https://note.com/kyoshisugita/n/n0da1befac7f8

この記事によれば杉田監督自身が幼い頃に父と行ったガソリンスタンドを再訪したとき、そこで働く女性を主人公にした物語を着想したようだ。映画で使われたオロナミンCも、監督の思い出のひとつだったことがわかる。

「ひかりの歌」の隠れたモチーフは「人生」ということになろうかと思う。「乱反射」で実在の歌人を主人公にしたのとは対照的に、歌人ではなく表現者でもない人々の人生が、想像によって描かれた。

作品全体が韻文的であった「パターソン」とも違って、「ひかりの歌」の世界が韻文的になるのは、各章の最後の最後、ほんの一瞬である。それまでは韻文の気配を抑えに抑えて映画は進んでいき、ラストカットで、短歌的な何かが、掠めるように画面をよぎる。その余韻。

韻文的な一瞬の出来事に向けて、人生が、人生の長さとして進んでいく。

この構成は、原作となった短歌が散文的な口語短歌であることとも無関係ではなさそうだ。散文的な時間を軸にしながら、人生の一瞬に「ひかり」を当てるということ。この視点は、口語短歌の新しい読み方にもヒントを提示しているのではないだろうか。

(ただし個人的に第二章は、男性の描き方に違和感が強かったのが残念だ。僕が主人公だったら『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のレオナルド・ディカプリオのように火炎放射器を持ち出して、開始五分で映画を終わらせてしまっていたことだろう。)

杉田監督はつい先日から、東直子の歌集『春原さんのリコーダー』を原作とする新作映画を撮り始めたそうだ。三月二十三日。監督はツイッターでこうつぶやいている。


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「映画『春原さんのうた』。東直子さんの短歌が原作です。今日はちょっとしたシーンを撮って、次はずいぶん先になります。少しずつ、もしかしたら半年くらい、ぽつぽつと撮影していきます。いつか届けられますように。今日は雨が降ったり、陽が射したり、風が吹いたり。春らしい一日でした。」
https://twitter.com/kyoshisugita/status/1242081832176209922?s=20

「ちょっとしたシーンじゃなかった。これからはじまることがここにあるようなシーンだった。予定がいろいろ未定の撮影になったけれど、その都度、思い出せる。いただいたおいなりさんやビーフストロガノフ、お菓子、ワイン、コーヒー、ぜんぶおいしかった。」
https://twitter.com/kyoshisugita/status/1242249787807678466?s=20


移り変わる季節。

これから、何が始まっていくのだろう。いま世界を覆う災厄は、いつか収まるのだろうか。

半年をかけてこれから映画を撮っていくという営みを想像し、監督の作家性を感じるとともに、僕はその先に生まれるものへの希望を抱かずにはいられない。

 

『滑走路』萩原慎一郎
https://www.kadokawa.co.jp/product/301705000794/

映画『乱反射/スノーフレーク』予告編
https://www.youtube.com/watch?v=B5DNDYAE9GE

映画『ひかりの歌』監督・杉田協士
http://hikarinouta.jp/