土岐友浩


作中主体ってなんのことです

「前世?」

「前世ってなんのことです」
「鏡です」
「おばさんはそう信じているのですか」
「だって前世がなかったら私たちは生きていけませんがな」
「なぜ生きていけないのです」
「だって前世がなかったら」

「私たちはまるで」
「まるで……」

「まるでなんだというのです」
「ゆ………」

「幽霊ではありませんか」


(つげ義春「ゲンセンカン主人」台詞部分のみ抜粋)

 

作中主体のいない短歌――というのは成り立つだろうか。

大きめのビルがたつ ゆっくりとたつ 新大阪できみがのりすごす  多賀盛剛

先日参加した歌会で、こんな歌と出会った。会場は新大阪駅の近く。この歌会のために詠まれたのなら、一種の挨拶歌である。互選の歌会で、多賀の歌は多くの票を集めたけれど、後に述べる理由で僕は自分の票を投じることができなかった。

当日配られた詠草に、僕は「2020」とメモしている。なんというか、これはたしかに二〇二〇年現在のリアリティだ、と感じたのだ。ミニマルなものではなく、大きめのビルを。急ピッチにではなく、ゆっくりと。そういった、制作にまつわる意志のありようとでも言おうか。風呂敷を広げすぎかもしれないけれど、令和という新時代、あるいは東京オリンピック。それらを背後に控えた空気と「大きめのビルがたつ ゆっくりとたつ」が志向するものは、重なっていそうに思えた。

作品の構造としては、一字空けが二回使われ、全体が三節に分かれていることに注目しよう。平岡直子は二〇一八年一二月の砂子屋書房「日々のクオリア」で宇都宮敦を取り上げ、それまで二分割しかなかった短歌に、三分割という画期的な表現を持ち込んだ歌人だと評価した。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは  宇都宮 敦

ネコかわいいよ まず大きさからしてかわいい っていうか大きさがかわいい

いずれも三分割の歌である。読者は一読、ふわっとした印象を受け取るだろう。言語化すれば、一首全体の滞空時間の長さ、あるいは息を大きく吸うのに似た、空間の広がり。前者のバドミントンの歌では、特に挿入句「月が暗いせいではないね」が作品のテンポを膨らませる役割を果たしている。

平岡は、この一首には二種類の速度が「並走」していると指摘する。

>>
パート1〈真夜中のバドミントンが〉とパート3〈つづかないのは〉がロングパスでつながっているので、そこからしめだされるパート2〈月が暗いせいではないね〉は複々線の路線で急行の隣の線路を走る各駅停車のように、パート1・3の隣をちがうスピードで並走することになる。三分割の歌は潜在的に多行書きなのだ。(中略)
この方法によって、それまでは表記上の調整や、せいぜい時間的・空間的におおまかに断絶があることしか表せなかった一字空けが分岐器を設置できる場所になった。文語にくらべて助動詞が少ないという口語の貧しさは周知の事実だけど、この分岐器は口語の不利さをひっくり返すジョーカーである。かかる場所がぶれない文語の助動詞は分岐器に接続されず、文語の歌は一行以上にはならない。

(平岡直子/「日々のクオリア」二〇一八年十二月十九日)


「分岐器」の比喩は非常に示唆的である。「真夜中のバドミントンが続かない」というシチュエーションは、作中主体の心をよぎった「月が暗いせいではないね」というつぶやきによって、緩やかな「各駅停車」の時間に切り替えられる。

平岡の読みを、作中主体という視点からもう少し考えてみたい。「パート1」では真夜中に誰かとバドミントンをしている主体が立ち現れる。「パート2」が挿入されることで、その主体は「月が暗い」と感じている主体とに分かれていき、「パート3」に至って両者は「バドミントンをしながら、バドミントンがうまく続かない理由を内省する主体」に統合される。破綻を思いながら破綻を迎えることなく持続する関係性。「月が暗い」は字余りだけれど、そこも含めて均整のとれた韻律。個人的には、どこか緊張感さえ覚える歌だ。

後者の「ネコかわいいよ」の歌でも「まず大きさからしてかわいい」と「っていうか大きさがかわいい」が並走している。ここから平岡は、ネコや生き物がもつ本質的な「大きさ」への主体の感動を読み取る。

では、多賀の歌はどうだろうか。

大きめのビルがたつ ゆっくりとたつ 新大阪できみがのりすごす

駅の近くに、建設中のビルがある。「大きめの」も「ゆっくりと」も、主観的に把握された光景と言えるだろう。

問題は下句の「新大阪できみがのりすごす」だ。ここが僕は、うまく読めない。その原因も明らかで、上句で想像した「作中主体」を、どうやってもしっくりと収めることができないからだ。

新大阪駅は新幹線の乗り換え地点である。大阪駅からは約五分、淀川を挟んですぐの位置にある。乗り過ごしても大したことはないという微妙な安心感も、この歌にとってポイントかもしれない。

それはともかく、「きみ」が乗り過ごすのを、この「作中主体」は、どこからどのように見ていたのだろうか。「のりすごす」は現在進行形の事態と読むべきだろう。同じ電車に乗っていたのなら、それを黙って見ているのは不自然で、乗っていなかったのなら、そもそも「きみ」の乗り過ごしに気づくはずがない。もし自分に発言の機会があれば、「この作中主体、乗り過ごす前に起こしてあげましょうよ」と冗談交じりに突っ込んでいただろう。結局、納得のいく読み方を見出すことがきずに、僕は票を入れられなかった。

当日の歌会では、作中主体がどこにいるかというよりも、この主体はどういう存在なのだろうかと議論が交わされていたように思う。ある人は「地縛霊」と考えてはどうかと提案し、ある人は、この歌を詠んだのは「新大阪駅」ではないかと評した。

突飛な発言だと思われるだろうか。

しかし、そういう読み方に反対する意見は、まったく出なかった。この場にいた多くの人が、多賀の歌について、ほとんど同じ感覚を共有していたに違いない。それは英語で言う無生物主語構文のようなものだ。「地図によれば~」を “The map says…” と言ったりする、あれである。

視点は存在する。

しかし、その視点を担うのは一人の人間でなくても構わない。

作中主体ってなんのことです――という声が聞こえる。僕はうろたえつつ、「か、鏡です」と口にするかもしれない。目の前には、天狗の仮面が置かれている。

あなたは誰ですか。

そう叫び出したいのを堪えながら、最後にはゲンセンカンの老婆のように、「だって作中主体が、作中主体がなかったら、僕たち歌人はまるで……」と絶句するのだ。

宇都宮の作品は、たとえ途中で「分岐」しようとも、最終的には一人の作中主体に収束していく。一首単位でも、連作単位でもそうだ。

先に引用した平岡の文章でもっとも重要なキーワードは「分岐器」と、それからもうひとつ「しめだされる」ではないだろうか。「分岐器」が設けられた作品では、異なる位相の言葉が並走する。言い換えれば、本来どちらかが「しめだされて」しまいそうな異質な言葉が、しかし排除されることなく「複線」構造において一首に同居しているということだ。

もっともわかりやすい例を挙げよう。

クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ  佐クマサトシ

二〇一八年二月に立ち上げられたウェブサイト「TOM」から。平岡も「日々のクオリア」でこの歌をいち早く取り上げている。

よほどのツンデレでもないかぎり、「好きだ」と「好きだというのは嘘だ」は同時に言うことができない。どちらかが仮面のはずだ。

宇都宮の「ネコかわいいよ」の歌も、さりげなさすぎて気づきにくいけれど、「大きさからしてかわいい」と「大きさがかわいい」は、全然違う話をしている。ルビンの壺で、黒の「地」と白い「図像」を同時に認識することができないのと同じことだ。それをこの作中主体は「っていうか」というくだけた日常語ひとつで切り替え、読者の目の前に並べてみせる。

宇都宮や佐クマの歌は、僕たちの認識の境界をナチュラルに越えてしまう。

虚と実の境界。

あるいは、劇とその制作現場の境界。

いつ頃からだろう。僕は「作中主体」というものを想定すると、むしろ解釈しにくくなる作品が増えてきたような気がしてならない。作者も、読者の側も、もはや統一された作中主体像を前提にしていないかのようだ。

それは「人間」を否定する行為だろうか。

というよりも、「言葉」そのものの主体性を信じる態度なのだと僕は思う。

たとえば真っ先に思い出すのは、望月裕二郎の『あそこ』という歌集。それから笹井宏之の短歌を、一度「主体」という発想から離れて「言葉」を主眼に読めば、もっと新しいものが見えてくるかもしれない。機会があれば、それぞれ詳しく論じてみたい。

真水から引き上げる手がしっかりと私を掴みまた離すのだ  笹井宏之

 

夜、JR京都線の新快速に乗って僕は家に帰ろうとしている。二月二十八日。iPhoneでニュースやツイッターをチェックしていると、車掌のアナウンスに続いて、突然、VOCALOIDそっくりの人工音声が流れ始めた。

「このためお客様におかれましては、テレワークや時差通勤といった取り組みを積極的に行っていただきますようお願い申し上げます。手洗い、アルコール消毒や咳エチケットは感染症対策の基本です。駅構内や車内における――」

虚構の声。声。僕は吊り革にも手すりにもつかまることができずに立ち尽くす。

現実とはなんだったのだろうか。……………………。


 

平岡直子「日々のクオリア」二〇一八年十二月十九日
https://sunagoya.com/tanka/?p=19650
同・二〇一八年二月九日
https://sunagoya.com/tanka/?p=18193

TOM
https://tomtanka.tumblr.com/

宇都宮敦歌集『ピクニック』(現代短歌社)
http://gendaitanka.jp/book/kashu/033/