死にとらわれた男

愛昇殿より出てくる喪服の人たちの連なり月の下でだるそう   小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』
 
まさか短歌を読んで「愛昇殿」の名前に出くわすとは思わなかった。

愛昇殿は愛知県でもっとも有名な葬儀屋で、どこの街に行っても道沿いに、あの真っ白な建物を見つけることができるだろう。僕自身、そこで何度か葬儀に参列したことも思い出す。

死に立ち会う人々は、必ずしも悲しみに暮れるばかりとはかぎらない。様々な感情が心に重くのしかかる。それを「だるそう」と捉える、どこか醒めた視線。
 
喪主がボタンを押す瞬間の表情が見たくて前に少し動いた
 
作者が死というものに並々ならぬ関心を寄せているのは、この一首からも明らかだ。

小坂井大輔は、名古屋駅西口に店を構える中華料理屋「平和園」の二代目店主である。去年の六月に田中槐が「月のコラム」に書いたとおり、全国各地から歌人が集まる「短歌の聖地」として親しまれている(*1)。名古屋で短歌イベントがあるときは、ここで二次会が開かれるのを楽しみにしている方も多いだろう。

同じく名古屋の歌人である加藤治郎が監修をつとめ、二〇一九年四月に小坂井の歌集『平和園に帰ろうよ』が刊行された。

おそらく本書は、コミカルでシュールなトーンの歌集と認識されていることだろう。「ミッドランドスクエア」や「大名古屋ビルヂング」など高層ビルの立ち並ぶ名古屋駅東口と比べて、西口には同じ駅前とは思えないほど下町の雰囲気が色濃く残っている。そこに生活する人々の悲喜こもごもこそが読みどころなのは間違いない。

僕もその光景を大いに懐かしみ、笑いながら読んだのだけれど、一方で気になったのが、作者が詠う「死」の数々だ。

この歌集なにがユニークと言って、作者あるいは主人公が、途中で二回ほど死んでいるのだ。「スナック棺」「飛んでくる石」というふたつの連作がそれにあたる。「虎と目が合う」も、かなりあやしい。
 
自転車のカゴを理想のかたちへと押し戻してるときに轢かれた
え わたし 最後は灰になる の とか 嫌かも すっごく それは嫌かも
死んでいるぼくのからだをゆびさして「あれが僕です」と受付で言う
 
連作「飛んでくる石」から。

一連が終盤に差しかかったあたりで、主人公は唐突に轢かれてしまう。愛知県はもう十何年も、交通死亡事故者数が全国ワーストの土地だ。

二首目の一字空けは、薄れゆく意識を表現しているだろう。僕はほんのりと、釈迢空の一字空けを連想する。

三首目は連作最後の歌だ。死んでしまった主人公。「受付」とは、いったい何のことだろうか。葬儀場の受付とは考えにくい。どう考えても葬儀関係者に「あれが僕です」と伝えたわけではないだろう。主人公は「死んでいる」のだから。

だとすれば、これはあの世へ行くための「受付」に違いない。
 
罵声 わけのわからん鉢植え わたしへと飛んでくるもの達の残像
わたしのなかの進路指導の先生が死ぬなと往復ビンタしてくる
棺のなかはちょっとしたスナックでして一曲歌っていきなって、ママは
 
二〇一八年の短歌研究新人賞候補作に選ばれた「スナック棺」でも、主人公は死ぬ。

一首目は事故に遭い、地面に倒れた場面を詠んだものだろう。「わたしへと飛んでくるもの」とはなんだろうか。

生きるか死ぬかの瀬戸際にあって、二首目「進路指導」のユーモアは強烈だ。

作者のエキセントリックな世界観は、三首目にとどめを刺す。「スナック缶」ならお菓子の缶詰を誰もが思い浮かべるけれど、「缶」ならぬ「棺」を開ければ、飲み屋のほうの「スナック」があり、ママがいるのだ。地獄というか天国というか、なんとも賑やかなものだ。
 
次のかたどうぞ。の声に「あいっ」と言う 壁に気色の悪い蛾がいる
 
連作の最後の歌。病院の待合室、だと僕は思っていた。九死に一生を得て、名古屋駅西口に戻ってきた主人公。もしかしたらギブスを巻かれていたり、あちこち包帯だらけかもしれない。そんな姿を思い浮かべて。

参考までに、「スナック棺」はウェブサイトRANGAIで全首が読めるようになっている。
http://rangai.main.jp/archives/4951

読者のみなさまは、この結末をどう読まれるだろうか。

「読経」や「鴉」は、はっきりと死を暗示している。そう思って読むと、主人公が生き延びたことにも、だんだん確証がなくなっていく。日常が詠まれいてるようで、どこか茫漠とした風景。

もしかしたら「進路指導の先生」も「スナックのママ」も、すべては走馬灯が見せたまぼろしで、主人公はそのまま命を落としたのではないだろうか。「次のかたどうぞ」とは、病院ではなく、あの世への「受付」からの呼び声だ。
 
小走りでさっき「やぁ」って通過したあれが死神だったらしいよ
おびただしい数の天狗が電線に立って読んでる遺書らしきもの
 
街には死があふれている。先に引いた「わたしへと飛んでくるもの達の残像」。その正体は、主人公の周りを飛び交う死神や天狗の影だったのかもしれない。

「死」は日常の隣にあって、気まぐれに僕たちを捕らえようとしているのだ。
 
雪原にしみゆく血潮うつりけむ雉のまなこに青く吾(あ)がをり   楠 誓英『禽眼圖』
 
つい先月、二〇二〇年一月に楠誓英の第二歌集『禽眼圖』が刊行された。この歌集はどのページを開いても、死の気配に満ちている。
 
花の色素つきたる兄の骨いだくあの日のわれが雨降る奥に
伏せられしボートのありてこんなにも傷はあるんだ冬の裏には
 
それは地震で喪ったと思われる「兄」の気配である。第一歌集『青昏抄』でも「兄」の存在は、繰り返し繰り返し詠まれていた。もう、二十五年の月日が経つというのに。

楠は一九八三年一月生まれで、僕とは同学年。阪神淡路大震災の日は、小学校六年生だったはずだ。

「身体の傷は何カ月かで癒えるのに心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す」と書いたのはポール・ヴァレリーだった。

二首目のボートの歌を読めば、作中の「われ」はなお生々しく心に傷を負っていることがわかる。わかりやすすぎるくらいかもしれない。「伏せられし」や「裏」という言葉は、いずれも「われ」の心の喩だ。
 
ぐらぐらと黒き鳥居のあらはれて生者と死者の境を訊かむ
 
鮮明な心象風景。生とは、死とは。その問いに「黒き鳥居」という形を与え、両者のあいだに境界線を引こうとする。

考えようによっては、それはきわめて理性的な行為ではないだろうか。

楠の硬質な詠いぶりは、しばしば観念的で、小坂井とはまた別の意味で醒めたところがある。あえて言えば、頭で考えたような歌だと感じることも多い。

だがそれは、作中の「われ」の心が深く傷つき、その傷が癒えていない証でもあるのだ。
 
桟橋の向かう島には陽にそよぐ葦原きみの墓標にしよう
獣肉を下げて帰らんきりぎしの夜をみひらく禽(きん)となるまで
 
頭で考えるとは、感性ではなく、悟性や理性で死を把握するということだ。「桟橋」も「きりぎし」も、「黒き鳥居」と同様に、生者と死者の境界である。

楠は死にとらわれつつも、その境界線を超えることは決してない。むしろこちら側にとどまるために、境界を見つめるのだ。そこが小坂井の死生観との決定的な違いではないだろうか。
 
咽喉(のみど)よりとび去りしつぐみただ君の変声期前の声の聞きたし
もう一度弟になりたし鉄橋をすぐるとき川のひかりは満ちて
 
こうした歌を読むと、作中の「われ」の心は、あの日のまま、少年のままで止まっているのだと感じる。

死にとらわれた男と言えば、もうひとり、吉田隼人を忘れるわけにはいかない。吉田もまた死を間近に感じ、それゆえに美しい存在として少年や少女を詠った。

「変声期前」とは、つまり「震災前」のことだ。楠は少年として、もう聞けなくなった声を思う。飛び去った鳥の声を。
 
すれ違う全ての人の遺影写真思い浮かべて暇を潰した   小坂井大輔
透明な墓標を抱へとりどりの傘を傾げて歩みゆくひと   楠 誓英
 
道行くすべての人々に、小坂井も、楠も、どうしようもなく死を見てしまう。

死を通して、他者を見つめる視線。それがどれほど恐ろしいことか、みなさまも一度、この人も、この人も、みんな死ぬのだと思いながら周囲を眺めてみてほしい。

小坂井は、自分の死すら笑い飛ばし、楠は、死を俯瞰する透徹した眼、すなわち「禽眼」を得た。

死を忘れることがなければ、死は生者とともにあり、同じ時間を流れていくだろう。その意味で、死は生きている。
 
この霊は眼鏡を発明した方の子孫らしくてちゃんと礼する   小坂井大輔
燃やしゐる書類のそばに白々とかがやく祖父の眼鏡かけてみぬ   楠 誓英
 
死を思うことは、僕たちの生とは異なる時間の流れに、思いを馳せることでもある。

これ以上書くと結論が散漫になってしまうのだが、二冊の歌集に通底するテーマとして僕は「祖先」を挙げておきたい。二人の並外れた死への観察力と想像力が、なにか「歴史」のようなものを眼差している気がするからだ。
 

 
小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』(書肆侃侃房)
http://www.kankanbou.com/books/tanka/shinei/0361

楠誓英『禽眼圖』(書肆侃侃房)
http://www.kankanbou.com/books/tanka/gendai/0386

*1
田中槐「平和園とはなんなのか」
https://sunagoya.com/jihyo/?p=1664