3月9日(日)
加古陽さんの第一歌集『夜明けのニュースデスク』の批評会へ行く。
この歌集は現在の第一歌集にめずらしく職場詠と時事詠の多い歌集である。私の所属する短歌結社「まひる野」では昨年と今年の2年にわたって時事詠についての年間特集を組んでいる。私も今年の1月号に近々の時事詠について書いたのだが、若い世代の歌集にまとまった時事詠が見つけにくく引用に困ったのだった。著者は60代であり年齢的には中堅の世代に当たるが、第一歌集である。この歌集が今語られることは意義のあることだと楽しみにしていた。
パネリストは栗木京子・小島ゆかり・小沼純一(詩人、音楽・文化批評家)・寺井龍哉。
特に印象に残った発言に
・「歌の中に現場がある。現場の歌というのではない」
・「大局を把握する力と一瞬に目を留める力の両方がある」
・「フィクションをどのように取り入れていくか。〈私〉の世界から離れた別の世界を言葉によってつくることも可能ではないか」
・「とはいえ、〈私〉というものは自分自身で把握できるものではなく、自分自身であってそのものではない」
などがあった。
前2つは表現者としての資質と能力、あとの2つは表現の方法の自覚と選択についてであろう。時事詠の難しさは、このあたりが特に問われるところにありそうだ。
細胞に溶けてゆくまでやわらかく素肌をうがつ雨のトレモロ 加古陽『夜明けのニュースデスク』
事前に集められた「好きな一首」に私が選んだ歌である。
新聞記者である著者が、95パーセントが戦死したという太平洋戦争激戦地を取材した一連にあり、現実の悲惨さとそれと対極にある澄んだポエジーの重奏が胸に迫る一首である。一方で戦後80年を経て対象との距離があるから成立する歌だとも思った。
3月16日(日)
第25回現代短歌新人賞の授賞式のためさいたま市へ。
あいにくの雨模様だったが花粉症の身にはかえってありがたかった。
今年の授賞は睦月都さんの第一歌集『Dance with the invisibles』。
「the invisibles」は「視覚では感知できないもの、見えざるもの、透明なもの」の意味。この歌集名は、
春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち 睦月都『Dance with the invisibles』
手を振りて駅に別れれば明日にはまた透明の女に戻るわれらか
を含む巻頭の一連タイトルからきている。
ゲイに比べてもレズビアンが話題になることは少ない。ネットで検索をすると同性愛者の割合は男性1.3%、女性0.3%と出てくるが、より少数派だから語られないのだろうか。ふと、本当にこんなに差があるものだろうかと思う。
いずれにせよ、自ら「見えていない透明な存在」なのだと歌う歌に納得をするのだった。
誰もがそれぞれの懊悩を抱え悲しみを抱えているが、一方で他者のそれには気づきにくいものである。たとえば、女子の試験の点数が引かれ不合格にさせられた事件が明らかになったとき当の女の哀しみや憤りは当然だが、同時に「点を足してやるから脱落するな、逃げることは許さない」と男子に強制する空気、そこに追い詰められた人だっていたはずだ。それは見えづらい。理解もされにくい。
著者は目に見えない「invisibles」な存在を短歌によって描きだそうというのである。「名付けることは可視化すること」と語ったスピーチがとてもよかった。
記念座談会は25回を記念して「大西民子を読み返す」。
賞の選考委員である栗木京子・高橋順子(詩人)・米川千嘉子がそれぞれ十首選を持ち寄っての鼎談だった。
いわゆる表歌といおうか、よく知られた歌を多く引いてきたのが高橋さん、意外なところから引いてきたのが米川さん、その中間が栗木さんという感じで選歌自体も面白かった。その中でもこれらの歌は選が重なっていた。
完きは一つとてなき阿羅漢のわらわらと起ちあがる夜無きや 『不文の掟』
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る『無数の耳』
妻を得てユトレヒトに今は住むといふユトレヒトにも雨降るらむか『印度の果実』
印象に残ったのが民子が大正13年生まれであり、その世代は数歳上の「結婚相手」の男性を戦争で失っており、「男性一人に女性はトラックいっぱい」と言われた世代だったという話だった。
『続・尾崎左永子歌集』の解説の中に左永子の『星座空間』が出た当時の座談会が再録されている。春日井建と外塚喬と山本かね子の鼎談だが、その中でかね子が同様のことを話している。
――私の年まで男の人は戦争に行っていたはずなんです。(中略)同年代の女性をみても、結婚の相手が他の年代の方々とは四十万人も少なく、学生時代の一クラス七、八人は独身を通して親を背負って生きているわけですね。そうすると、どうしても運命として戦争に捲き込まれた人々のことを、語り部として、生涯語り、伝えていかなければならない、という使命のようなものが私にはかなりあります。――
山本かね子は大正15年生まれである。民子(大正13年生)とも左永子(昭和2年生)とも2歳差だが、終戦時に大人だったか子どもだったかの自覚により民子と近い感覚なのだろう。
民子の歌はドラマチックで、そこが魅力でもあり逆に食傷もしてしまう。私には民子の歌は身振りがやや過剰に感じられるのだが、一方でその身振りがこの時代、世代を通しての共通の思いを「可視化」しているのだとも言える。それは詠まれなければ忘れられたかもしれない思いであり、また語られなければ引き継がれない思いであろう。
3月22日(土)
「かりん」所属の丸地卓也第一歌集『フイルム』批評会へ。
この歌集はまとまった時事詠を見つけることができる貴重な若手の歌集で、批評会の案内を(半年前に)貰った時から楽しみにしていた。
パネリストは藤島秀憲・小島なお・濱松哲朗・川島結佳子(司会兼)
「揺らぎ」「制御可能な範囲」「メタ化した(外側からの)視線」「崩壊のイメージ」「〈男らしさ〉への複雑な思い」など、一冊から立ち現れる作者の姿に焦点があてられ、終始噛みあった議論がとても面白かった。
角のあるめがねの枠を勧めたり長男らしいと母は言いつつ 丸地卓也『フイルム』
アメリカンコーヒーのようなうんちくを垂れる男が一番モテる
鞄、ペン黒きもの身にまといおり男らしさをまだ信じいる
万歳はたぶんするだろう戦地にもたぶんいくだろう長男だから
特に興味深かったのはこれらの歌のなかの「男性性」についての話題だった。特に四首目「万歳は」の歌は、その危うさを含めて会場発言においても賛否が寄せられた。
私もこの歌に印をつけている。
この歌は確かに「万歳」もするし「戦地にも行く」し、「長男」という立場を受け入れていると直接には書かれている。しかし、作者像としてはむしろ逆で、「長男だから」という時代錯誤であり無意味な強制力に「その時が来たら自分を殺せ」と言われている優しくて真面目な(歌にしている時点でそのままではないのだが)姿が見えてくると思うのだ。旧時代の感覚をきっぱりと切り捨てることのできない作者像、それは現代のある種の若者の苦しさが可視化されているのだと思う。
3月29日(土)
NHK全国短歌大会のため渋谷へ。前日の予想最高気温は26℃、当日は13℃、寒の戻りも甚だしい。雨が降っていたこともあって気温以上に寒く感じた。
おそらく全国で一番大きな短歌大会だろう。2万首の応募があり、入選は3千首、その中から10人の選者の特選の20首が表彰される。15首の連作の賞もあり、盛大だった。
会場には、歌集歌書を制作する版元がブースを出していて、選者の歌集も買えた。今は手に入れるだけならネットショップでも歌集は買えるが、買う前に直接手に取ってみることはなかなかないので貴重な機会となっている。
聞いたところによるとよく売れたらしい。
主催はNHKとNHK学園で、表彰式に先立って特別講座やNHK学園の短歌講座の相談会も行われていた。版元の出店の効果もあってちょっとしたお祭りのようでもあった。何年か前から予選会の選者をしているが、(今回は休んだが)結社の編集会と重なっているため大会に参加するのは2度目、こんな風に賑やかとは知らなかった。来年もまた見に行きたい。