景観と人

ゆく春の山に明(あかる)う雨かぜのみだるるを見てさびしむひとよ

                    若山牧水『独り歌へる』明治43年

 

 若山牧水が二十六歳の年に出版した第二歌集『独り歌へる』の一首。やわらかな言葉の運びのなかに、景色の表情に共振する人の心のおもむきがきめ細やかに描かれていて印象深い。「ひと」は当時恋愛中だった恋人であろうか。春も過ぎようとする山の、その明るさに「雨かぜ」がみだれるのを見て、「さびしむひとよ」とうたっている。「明う雨かぜのみだるるを」がうまい。「ひと」はその時「さびしいわ…」と言葉に出したわけではなく、あくまでそういう風情だよ、と見てとったのだろう。一首から感じるいわく言い難い陰翳は、作者が「雨かぜのみだるる」を見ている「ひと」の心に「さびしさ」を感じ取った。そこらあたりから来ているように思われる。

 

…日本人には、個別のうちに普遍を感じとる感覚がもともとあったのだという。個別に執着することによって、そこから普遍が見えてくるという感覚である。例えば、朝の露にはかなきいのちを感じ取るとか、秋の夕べに人の世の哀れを感じとることなど、個別のものから全体を感じとっているのだという。また、助詞の「てにをは」や俳句の切れ字「や」や「かな」なども、個別のものを述べながら、それらの言葉を使うことによって、背景全体を浮かびあがらせる性格をもっているという。

             樋口忠彦『日本の景観』ちくま学芸文庫より引用

 

 牧水の一首の「ゆく春の山に…」の景色は、牧水と「ひと」だけが見た巡り合わせのような景色である。それを二人ながら「さびしむ」心が、なぜ時代も風景もまるで異なる現代の私たちにひたひたと伝わるのか。樋口の著作のこんなところに傍線を引いていきながら、なんとなくその理由がわかってくる。小さな国土でありながら、四季の巡りや地形の起伏の豊かさに恵まれたわが国の民は、自分たちのまわりの個別な景観に執着することで全体を感じとり、共感する感受性を養ってきたのかもしれない。短歌においては、「助詞」ひとつの効かせ方が、詠まれた事物にぐっと奥行きをつくっていくこともよく言われている。そんなことを思いながら、あの震災から一年…という日にもう一度読み直してみた作品がある。

 

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  避難所にのぼれるみちに咲く梅を人らことばの無く悲しめり

              柏崎驍二「海境」/「短歌研究」2011年9月号

 

 昨年の短歌研究賞を受賞した柏崎驍二の、受賞後第一回作品「海境」五十首から引いた。柏崎は岩手在住の歌人であり、作品はあの震災の現場から詠み出されている。一連の、人の心を静かに揺さぶる歌にしばしば立ち止まり、また例えば、この一首の深々とした悲しみの前にながく佇んでしまう。「避難所」へとのぼる道に咲く梅を人々は言葉なく悲しんだ、と歌意を散文にひらいてみても、この一首の良さは伝わらない。うたの言葉一つひとつについていくことで、逆に言葉を越えた場所へ導かれていく、そういうふうに言葉が置かれている。

 あの震災、津波を生き残った「人ら」が身を寄せ合う「避難所」。帰る場所がそこである、という状況や、遺族として、或いはなお家族の生死すらわからない、という状況にあるかもしれない「人ら」が、恐らく高台に設けられている「避難所」への「のぼれるみち」をゆく。そこに「咲く梅」。冬の寒さの厳しい土地に暮らしていると、本当に春が待ち遠しい。梅の花はまだ寒の残る時期にぽつぽつと小さく灯るように花をひらき、もうすぐ春だからもう少しの辛抱だから、と声をかけてくれる。あんなことがあってこんなになってしまったこの地にも、なんでもないように。

 この歌では、「のぼれるみち」や「人らことばの無く」といった平仮名書きやが、「道」や「言葉」の字義をよりひろやかな方へひらいている。さらに「咲く梅を」の「を」、「ことばの無く」の「の」が、人の悲しみの湧く場所の奥の深さを表していよう。「避難所」への道の「梅」の花という個別を述べながら、また、一人ひとりが個別の悲しみを抱えることを包含しながら、ここには人間があの災害によってもたらされた大きな、人間全体の悲しみが立ちすくむ。

 

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  瓦礫積む角をいくたび曲がりしや葬儀へむかふみちに日当たる

  くらぐらと倒壊したる墓群はとぶ蝶もなし杉山のなか

  いくたびの痛みを負ひてよこたはる陸が背鰭を海波にさらす

  海荒るる日と凪の日の感情をおのづからもち海境(うなさか)に住む

              柏崎驍二「海境」/「短歌研究」2011年9月号

 

 同じ柏崎の「海境」からさらに四首引く。これらの歌からは人が景観をいかに大切にし、その景色をなす自然と一体的な感覚をもって暮らしているのか、改めて認識させられる。一、二首めの、行けども行けども「瓦礫積む角」ばかりの町を弔いにゆく道、無残に倒壊した「墓群」をたたえる「杉山」。その眺めが人の心にもたらすものの、何か傷みを負っているかのような感触。三首目では、作者がひとたびならぬ津波の被害にあってきた陸に、「痛み」を感じている。四首目は、海の起伏に寄り添ってきた人々のその営みの在りようがうたわれる。

 先に引いた『日本の景観』で樋口は、日本人の自然観の基本に、〈個物や個々の出来事に注目し、それに共感し一体化していく〉独特の感受性があるとも記している。つまり、目の前の〈物や事にも心がある〉と認め、その物や事が身に訴えてくるものを大切にし自分を一体化させていこうとする感性である。であるならば、目の前の自分と共にある景色、景観が大きく損なわれたり傷つけられたりすることは、まさに自分の身が傷めつけられるのと同じことであり、被災地の悲しみの一つは、「地」の悲しみに悲しむものなのではないだろうか。

とりもなおさずその悲しみは、私たち日本人全体の悲しみでもあるということに身をもって気づくことができているのか。効率や経済の論理でもって均され整えられた人為的景観から、問いが向かってくる。

 

  かなしめる桜(さくら)の声(こゑ)のきこゆなり咲き満てる大樹(おほき)真昼(まひる)風なし

                    若山牧水『独り歌へる』明治43年

  霞たち赤き芽をはるミズノキの見ずと誰も言ふわが友のこと

              柏崎驍二「海境」/「短歌研究」2011年9月号

 

 牧水の時代から随分遠い、遥かなところまで来てしまったようだが、地はひと続きなのだ。「かなしめる桜」や「わが友」を眺められるところに。