今年の寺山修司短歌賞を受賞した田中拓也の歌集『雲鳥(くもとり)』には、カッコつけてないカッコよさがあった。田中は1971年生まれだから、年齢は40歳そこそこ。だが、その年代らしいライフスタイルやなまなましい俗世の臭いを感じさせるところがなく、かといって現実に背を向けて詩的イメージを紡ぐことに専念している、という感じでもない。朴訥というのとも違って、歌にはナイーブな澄んだ感覚も見つかる。同歌集の後記には、30代半ばから豊かな自然に囲まれた一軒家に住むようになったこと、家庭菜園を始めてからは季節の変化を身近に感じ、そこを訪れるさまざまな生き物によって多くの「命」に囲まれているのを感じるようになった、と記されている。土くさい、というまみれ方ではない。しかし、根っこを大切にしている腰の低さがある。
蝸牛眠る木立の暗がりに時は静かに溜まりいるらし
車窓より霞ヶ浦の蓮田見え風車見え駅舎見え我が見えたり
雲間より朝の光は広がりぬ 麦の膨らむ野辺を照らして
たくひれのシロツメクサの茎を苅る朝の露に指を濡らして
樫の実の一人と一人 谷間より谷間の風が吹き上がりたり
初めから多くを言おうとしないで、一首で伝えたい一つのことをまっすぐに述べる。そのような歌の手渡し方をするのに言葉の量がちょうどいい。歌のなかに、言葉が言葉として受け渡しされるのに充分な時間がある。そんなちゃんとした時間が、そこに描かれたものたちのその時の気配や息づかいをも立ち上げるのである。写実というより叙述の力によって伝わる歌の、その伝わり方の素直さが心地よいのだ。田中のまっすぐな叙述の力は、同歌集出版間際に急遽加えられたという震災詠にもよく働いている。
「机の下に頭隠せ」と叫びおり笑う生徒を叱り飛ばして
「上履きでいいんですか」と問いかける生徒と非常階段に出る
妹を引き取りに来し卒業生より津波発生の報せ聞きたり
教員で肩を寄せ合い語り合う臨界事故のあの日のことを
七十二名の命がじんと冷えてゆく体育館の暗闇の中
茨城県の中学で教諭をしている田中が遭遇した東日本大震災。授業中だったという。一首目、二首目の、生徒のとっさの反応。三首目、避難所に「妹」を「引き取りに」来る「卒業生」、その近さにある学校と地域、そこに知らされる津波のこと。四首目、引き寄せられる臨界事故の記憶。放射能に関わる事故の、不可視な感知不能なことの恐怖感。五首目、寒く暗い避難所のなかに72名が横たわる。しんしんと冷えた夜の空気。田中の震災詠は事態を的確に伝えながら、その場の空気や人の表情にまで読み手の思いを到らせる。叙述力のなせるわざであろう。そんな脚色を避けたまっすぐな叙述が、思いがけない事態に直面した際の人間のリアルを淡々と描き出していく。人間のリアルとかけ離れていない、ということが災害を詠むにおいて一つ重要なことなのではないか。
*
4月末に出た加藤治郎の第八歌集『しんきろう』にも、東日本大震災の歌が収録されている。東京勤務で遭遇したという震災について、「あとがき」には〈高層ビルの無防備さ、通信の遮断、交通麻痺、帰宅困難、停電、食料不足、放射能汚染など首都潰滅の危機を垣間見た。あまりに脆いのだ。〉と記している。
終わりなのか始まりなのか放埒な核の鼓動が俺に聞こえる
思想なき原発あまた立ち並ぶ水底(みなそこ)にいて見上げる水面(みなも)
震災詠の章のなかの「サイレンス」から引いた。この作品が発表された「短歌往来」で月評を担当していたため、私は初出で読んでいる。書いた評を再掲してみる。
〈原発事故や停電・節電要請に見舞われた日々に、職場の同僚の鬱などが挟まれる。乾いた苦みや、しびれの感覚が独特な一連。ただ全体にどう評価したらいいのか、私にはわからなかった。例えば、引いた二首の、作者の立ち位置はどこにあるのだろうか。「放埒な核の鼓動」が聞こえる「俺」の何かスペシャルな感じ、「水底にいて」水面を見上げる人の、超越的な感じ。修辞の力が発語主体をぐーっと押し上げ、浮揚させているのだろうか。歌の言葉が地続きのものとして響いて来ず、シャワーのように降ってくる。私などは、このシビアな内容と響き方の違和になかなか馴染めないのだが、これがいい、という批評も訊いてみたいのだ。こうした歌をどう読むか、議論を誘発する作品でもある。
ただ、同じ一連の、「赤と緑のランプあちこち点灯す 未来都市めいておやすみなさい」「深夜に部屋を抜け出すことさ 廃棄物集積場に燦めくボトル」のような歌には、既視感を覚える。加藤治郎による加藤治郎的既視感なのだが、歌う内容が本質的に異なるのに、表現や文体がおんなじ、と思ってしまうと歌の中身がこの一首限りのものとして入ってこない。インパクトやカラーの強い文体の宿命なのだろうか。〉
改めて、2008年1月〜2012年1月にかけての歌をまとめたという同歌集を通して読んでみると、こうした一連の評価が私のなかでもう少し下がってくる気がする。
ジャムパンを割ればあふれる苺ジャムいきたかりけんいきたかりけん
弟というにはきみは年若くただ初夏の朝の笹百合
冬の夜は果てもなくただ加湿器の囁きのなか青年は逝く
くろぐろと革の手帳の書き込みは鋭くなりて電話を待てり
十年後って岬のようにぼんやりとねむりのなかに砂粒となる
良いな、と付箋を貼った歌は例えばこういう歌。一〜三首めは笹井宏之を悼む歌で、四首目は職場の、五首目は就寝の歌だろうか。良質な抒情性をたたえた歌に笹井その人の残像が揺らぎ、その揺らぎようが悲しみをよそがせる。自身の身を歌に据えた歌には紛れない人間が居て、そこにたちこめてくるものがある。
しかし、加藤のこうした歌から感じる確かな人間経由のものが、震災や原発の歌に見つからないことに困惑するのである。「石棺をつつむてのひらやさしくて原発作業員の行列」「地下駅のエスカレーターくろぐろと列はみゆ、みな驟雨を待てり」のような歌に「原発作業員」や「列」「みな」と詠まれていても、「やさしくて」とか「驟雨を待てり」とまとめられたそこに人間が感じられない。田中の歌とは逆に、カッコよくパッケージされた終末的世界にぽんぽんと人のフィギュアが置かれているように。災害の歌のただ中にあるいは遍在的に、人間がその声や呼吸や臭いを発して存在していないことが私にはしんどかったんやな、ということが、歌集として読み通したときにわかったことだった。
*
人間がいま直面しているものは何か。震災詠や原発をめぐる議論が大きくなっている。「歌壇」3月号に載った佐藤通雅の「震災詠から見えてくるもの」に対し、そのなかで自身の鼎談での放射能に関する発言をとらえられた吉川宏志が、「歌壇」5月号に「他者の言葉を抑圧しないために」を書いて反論。また、角川「短歌」3月号の座談会「3・11以後、歌人は何を考えてきたか」で批判された詩人の和合亮一が、同「短歌」5月号に「そして災の喩に何を浮かべるか」とする反論を特別寄稿している。
総合誌や結社誌の時評の類も、いま同じ方向を向いている。「歌壇」5月号の時評では、柳澤美晴が「試される死生観」と題して震災詠を論考。「未来」5月号の時評では、野口あや子が「三月雑感、言葉は最後まで個人的ですか」とのタイトルで、詩歌の言葉の在り方を考えている。佐藤と吉川のやりとり以外は、おおむね角川「短歌」3月号の座談会をもとにしたものであり(東日本大震災から1年を機にさまざまに組まれた特集の一つでもあった)、この時期はちょうどそれらへの反応が出るタイミングでもあろう。しかしながらこの量に加え、これらのうちのいくつかの文章に出てくる言葉、その調子の張りや強さにいささか緊張することもあった。例として引用させてもらう。
〈疑似ドキュメンタリーの手法で震災や戦争を問い直すアプローチ自体を否定はしない。だが、返す刀で自らの死生観が問われ、試されることにもう少し慎重であってもいいのではないかと自戒を込めて思う。/柳澤美晴〉
〈「言葉の人間」が個人的で脆弱な人間であればこそ、言葉の力強さ、詩歌のオフィシャル性ともいえる「誠実さ」を鍛えて行動することが大切だと私は考える。/野口あや子〉
柳澤の時評では「倫理」「死生観」、野口の時評では「誠実さ」や「行動」に、ひっかかる。表現への問いであるべきところを飛び越えて、一人ひとりの実生活のスタンスやモラルを問い正されるように感じるのである。これはむしろ人間寄りになり過ぎていないか、そういうことを思ったりもする。立場の表明とか糾弾とか、責任とか倫理を競うとか、短歌はこれからそういう世界になっていくのかと思うと心が暗くなる。抑圧せず、人間のさまざまさを顕在させていくことで人間のリアルが見えてくる、そういう視界も失いたくないものだ。