断絶のさなかに

 6月3日。オウム真理教による地下鉄サリン事件の特別手配犯、菊地直子が、身柄を拘束された。同手配犯の残る一人にも追跡の手が伸びている。同事件から17年が経つ。なぜ、あの場所だったのだろう、と時々考える。教団のサティアンと呼ばれた建物が最も多く建てられた、山梨県上九一色村。富士山の裾野の、その美しい山容をあおぐひろやかな牧草地帯。朝に昼に晩に、春夏秋冬に、晴れの日雨の日に、その折々にあたらしくなるであろう風景、いくたびも出会うであろう自然の表情の豊かさ。出家信者たちはどんなまなざしを注ぎながら、そこに居たのだろうか。

 実際には、無機質な物体のごとくてらてらした建物が並んだサティアン群、そこから出る無数の配管やパイプが風景に馴染むことはなく、そればかりか、山をいただくあたりの景色全体をキッチュなものに変えてしまっていたように思う。〈すべてを捨てて 礼拝するぞ 全霊込めて 帰依培うぞ 天へ向かうには 神に至るには グルに帰依するしか方法はない 観念を捨断し 真理だけ行い 蜘蛛の糸たどって 天の道を歩く〉。この教団の「救済ストーリー」と題する歌の一番の歌詞だ(1995年刊・毎日新聞社会部『冥(くら)い祈り/麻原彰晃と使徒たち』より引用)。この言葉ひとつひとつの見えやすさ、そのまんまさ、詞としてのチャチさに、あらためて驚嘆する。事件当時盛んに耳にした「修行するぞ修行するぞ」とか、「しょーこーしょーこーあさはらしょーこー」といった教団独特のフレーズも含めて、この集団における言葉の見え方のあられもなさは、何を語っているのだろうか。

 見え見えのそのまんまの言葉の羅列。これらの言葉は、もはや「物」に過ぎない。言葉を物化して特殊な価値観の流通に奉仕させるとき、人は真の意味での言葉を失うのではないか。布教者が言葉ではなく毒ガスという物質をもって他者に向かったのは、この集団にもはや他者へ通う力をもった言葉が残されていなかったからではないのか。人間や土地や歴史と切り離されたものとして言葉を使う、ということ自体に、人間の存在の孤絶化があるような気がしてくる。

 

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  折しも届いた「かばん」6月号にこんな思いを重ねてみたくなるような文章を見つけ、ながく立ち止まった。山田航が小特集「新かばん三兄弟〜僕らの町から〜」で綴っている、地元の札幌についての文章「ニュータウン・グラフィティ」である。一部を引用してみる。

 〈僕が育った街もまた札幌市郊外のニュータウンでした。これは地元新聞に寄稿したエッセイにも書いたことがあるのですが、小学生のときに実家の最寄り駅が改称したのです。もともとは「釜谷臼(かまやうす)」というアイヌ語地名に由来したものだったのですが、安っぽいニュータウンの名前を冠したものに変わったわけです。もともと駅名だけに辛うじて残っていた地名だったので、そのアイヌ語地名はもうこの世に存在しません。/(一行あき)/僕は「釜谷臼」という駅名が大好きだったので、改称したときはとてつもなく悲しかったのです。大人の世界との断絶を感じるようになったのは、そのことがきっかけかもしれません。〉

 大好きだった駅名の改称が、「大人の世界との断絶を感じる」までに一人の少年を打ちのめした、という。少年は、「釜谷臼」という地名に寄せる心でもって世界につながっていたのだった。地名への思いとは、アイヌという土地の過去への思いを含み、その名を大切にしてきた大人や他者への思いを含むものであったろうか。それが断ち切られたときの少年の「とてつもない悲しさ」は、地名という、土地の履歴を抱いた言葉が切り離し難く有しているものの大きさ、ふくよかさを逆説的に教えてくれる。

 この小特集は、伊波真人、山田航、法橋ひらく、の「かばん」の若手三人が立ち上げた「新かばん三兄弟交換日記」というブログに端を発するという。日記が進むなかで「郊外出身」という三人の共通点が浮上し、どこも同じ様な風景、と言われる日本の郊外を、それぞれの郊外をテーマとしたエッセイや歌を通して見直そうとしている。こういうテーマの揺すり出され方自体が、とても興味深い。

 

  白い家つらなり町はひろがって宛先のない葉書のようだ

  マンホールへだてて水の音がする 町はどこへと続くのだろう

                                  以上二首、伊波真人(さいたま)

  駅前のバスプールより見えていた塾数軒のまばらな光

  倉庫街にプレハブ建てのラーメン屋一軒ともりはじめる日暮れ

                                  以上二首、山田航(札幌)

  取り壊しはじめた途端建っている自然治癒力みたいなもんか

  鉄塔の影おだやかに倒れゆきここから誰も喋らなくなる

                                以上二首、法橋ひらく(千里ニュータウン)

 

 それぞれの「郊外」、その描かれようにはつかみどころのなさ、佇まいのなさ、フェイク感、不思議な片隅感やぽつんとした感じがあって、そこに自分の存在が塗り込められていることへの屈託が表現に翳りをつくっている。これが自分の原風景だと認めることの淋しさ、或いは、よそよそしいと感じるもののもとに居る、ということの淋しさは単純なものではないはずだ。

 山田が少年の頃、好きな駅名が失われた際に感じた「大人の世界との断絶」感。この「大人の世界」という言い方が、大きく社会を指していることは間違いない。社会との断絶を感じながら生きていく、その生き辛さは恐らく、かけがえがないと思えるものが、大人たちの経済や市場の論理によってどかどかと平気で壊されていく、そういう時代に生まれ落ちた者たちが多く抱えさせられたものの一つではないか。オウム真理教という宗教を産み出し、若者を続々と入信させた社会も、そんな断絶と無縁ではなかったように思う。

 

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 2004年に出版された『ファスト風土化する日本』(洋泉社)で三浦展は、日本の地方は80年代以降「総郊外化」したと言う。道路整備や産業発展に伴い、地方に企業や流通の拠点、巨大ショッピングセンター、ファミリーレストラン、ディスカウントショップなどが林立。たちまちどこも景観、質感の似通った空間になっていく。これをファーストフードにかけた造語で「ファスト風土化」と名づけ、〈それは、直接的には地方農村部の郊外化を意味する。と同時に、中心市街地の没落をさす。都市部でも農村部でも、地域固有の歴史、伝統、価値観、生活様式を持ったコミュニティが崩壊し、代わって、ちょうどファストフードのように全国一律の均質な生活環境が拡大した。それこそがファスト風土なのである〉とする。造語や全体の論理の枠組みがうまいこといき過ぎで、地方と都市との対立的な視点が気にはなるが、頷けるところも少なくない。土地固有の歴史や記憶から切り離されていく私たちは、いま断絶のさなかを生きている、ということだろうか。

 

  わたしは別におしゃれではなく写メールで地元を撮ったりして暮らしてる

  内側と外側を行ったり来たりしながら帰る駅前の道を家まで

  アスファルトの感じがよくて撮ってみる もう一度 つま先を入れてみる

                                  永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

 

 5月20日に出たばかりの永井祐の歌集より引いた。永井は東京生まれだから、「郊外」の括りには入らないのかもしれない。そのせいかどうか、先にあげた「郊外」の三人の歌よりはずっと屈託がない。「地元」にある自分への目線がナチュラルだ。いつもの「駅前の道」に「内側と外側」を見出して出入りする。毎度お馴染みの「アスファルト」に、その日その場だけの「感じ」を見つけて撮っておく。「日本の中でたのしく暮らす」(この歌集名における「日本」の重量感がなんだか面白い)には、身のまわりの当たり前の、お馴染みの、なんてことなく見えるもののなかに、意味のある細部や差異を見出してみるのもいいよ、と言っているようだ。永井の歌では、総じて平たい言葉が、たらんたらんとしたペースで運ばれることで伸びしろを持とうとする。この激しくもなく弱々しくもなく、急ぐでもなく粘りが過ぎるでもない息づかいが、不思議にすがすがしい。日常性の立ち上がり方に安心する。

 この国の言葉は、どんどん土地や歴史から切り離されていく。どうしようもなく物へと近づいていく言葉を、こんな時代を生きる人間と切断させないための若い人たちの思考や表現への取り組みを、心強く思う。