10月5日。ここ奈良県西吉野の山間部では、彼岸花が今ごろまだ花盛り。アキアカネを見かけるようになったのも、随分遅かった。秋の訪れが遅れているのかと思えば、朝晩は吐く息が白く、かといって昼の日向はじっとしていても汗が出る。いつの間にかすっかり落葉していた欅に、この頃になって新芽がふき出した。この寒暖の差や気象の変動の大きさに身体がついていけない。なぜだか不安になる。この不安は年々大きくなってきている。どこから来て大きくなる不安なのか。
物陰のたますだれの花を見返りぬ彼岸の入りのつよき日ざしに
晴れた日はむやみに暑く秋風の音きくときはいつも曇り日
いま吹きし風ひと吹きに夕まぐれ気温一気に下がりたりけり
秋草のいまだみじかくいちめんに山帽子の実のいろをちりばむ
暑き日はきのふとなりて風寒しきのふを飛びゐし蜆蝶なく
8月下旬に出た花山多佳子の第九歌集『木立ダリア』から引いた。地味だがとてもいい歌集で、繰り返し読んでいる。同歌集は、2007年1月〜12月の「歌壇」の30首連載と、同年の他誌に掲載した作品とを集録。「あとがき」には連載について、〈季節と気象を主調音にしている。かつての季節感が失われていくような気温のずれや、異常気象が近年は際立ってきた。この年はどんな冬だったか、春だったか、そんなことを記憶にとどめたいという思いがある〉と記される。上に引いた歌は今から5年前の秋、ということだろうか。
一首目は、彼岸の入りのまだまだ日差しの強さが残る頃。「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、お彼岸なのにまだまだ暑いよなあ、というような感慨がふっと「物陰の」たますだれの花を見つけさせた。ヒガンバナ科の小さな、幼児の手のような形の白い花。「見返りぬ」に、心の動きがよく出ている。あ、と過ぎてすぐにふり返って見つめ直したのだ。強く射す日差しの下で、その暑さゆえにまなざしは「物陰の」涼しげな花をとらえ、また「見返して」心をうるませる。そこに人の心のおもむきと小さな花の佇まいが見えてくる。
二首目、三首目は、気象の動きをまさに動きとしてとらえていて、その変動のさまがまざまざと現れている。文体の息づかいが、詠まれた天候の動きや変化の在りように寄り添っているためだろう、感覚的な表現ではないのに読むうちに体感できてしまうのだ。調子によって立ち上げられる季節の動き。四、五首目は、植物や虫という具体が、そこに漂い移ろう季節の気配を空間ごとくきやかに立ち上げているのが、味わいが深い。四首目の「いちめんに山帽子の実のいろをちりばむ」の平仮名の多用が、逆に漢字表記された植物(樹の名の、ちょっとユニークな風体を思わせる感じがよく生きている)、その「実」というものの存在をぐっと色濃く立体的に描き出す。五首目は、「きのふ」の繰り返しの、その語順の妙味、語の運ばれ方の行きつ戻りつする感じ…とが、「蜆蝶」の存在感とよく響き合う。暑さ寒さが、「きのふ」というある限られた時間の帯のなかに独特の起伏をもって織り込まれることで、不思議な体感性を帯びてくる。いつも居そうでそうでもない「蜆蝶」が、その不思議な感じを巧みに媒介するのである。
花山の『木立ダリア』を読んでいると、気象や自然の現象とはなんとダイナミックで繊細で動態的なものか、と改めて思う。そして実に漠然となまなましく、我々のその日その日の生の在りように関り合っていることか、とも思う。そうと意識することもなく。
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わが駅の線路の間(あひ)にすすき群まざまざと勝つ泡立草に
雀かと思へば目白ぱらぱらとしだれざくらの秋の枝(え)に散る
先頭にてバス停の列ながむれば列を乱せる初老の男
晴れと晴れの間に雨の一日(ひとひ)あり見えざる富士を仰ぎて戻る
照りかげりする秋の日の文机にいつぽんの虹あらはれては消ゆ
同じく『木立ダリア』から秋の頃の歌を、歌集に並んでいる順に五首引いた。なんの変哲もない日常のなかに、天候や季節がふくよかな起伏をもたらしている。駅やバス停で、ぼんやりと来るべくして来る乗り物を待っていた、机に向かってあれこれを考えて居た…そんな茫漠とした時間に、すすきや泡立草や、目白、現れては消えた虹が、その時間の手ざわりと、そこに居た自分の生の感触を確かなものとして残してくれる。あの年のあの秋の、二度とはない、なんでもない時間。
こうしてみると、なんだかおかしい、と近年の気象に私が感じる不安は、自分の生身のそのおおもとに、漠然とした狂いの感覚を覚えさせられるせいかもしれない、と思う。そうと気付かず我々は自然や気象に多大なる関わりをもって生存し、その関わりによって生の刻々の感触を得ているのだ。気象の狂いへの不安とはつまり、我々の生の感触がやがて覚束ないものになっていく予感とつながるところにあるのではないか。
花山がこれらの作歌にあたって、春夏秋冬を記憶にとどめたいと考えたそこには、〈かつての季節感が失われていくような気温のずれや、異常気象が近年は際立ってきた〉という実感があった。それに対し、私のように不安や危機感に似たものを覚えたかどうかは定かではない。しかし、この「季節感」という言葉をしっかりと見つめておきたいのである。
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「季節感」「旬」という言葉はいかにも感覚的なもののような響きだが、実は自然と人間の摂理に関わる、とても生態的なところに発する言葉なのかもしれない、と思う。
『生態と民俗 〜人と動植物の相渉譜』(野本寛一/講談社/ 2008年)には、西吉野の隣の、より山深い集落である大塔の「旬の思想」がいくつか採集されている。〈竹は旧暦八月の末闇〉、〈ヒラグワ(ヘラ鍬)の台に使う樫は、寒に伐る。しかも、月夜ざかりは避けて、闇夜めぐりの日に伐る。樫の木のミボー(陰の方)は避け、「アテ」(陽の出る方)を利用する〉、〈屋根材としての杉皮は、「秋皮」がよいとされ、杉皮葺きも、ソーギ葺き(板葺き)もともに秋の土用の闇夜めぐりに伐ったものがよい〉など、自然の恵みを住まいや民具の素材として使うにあたっては、その樹木ごとの「旬」を見極める必要があったのだ。拙宅は築100年を越える茅葺屋根の家だが、茅の屋根や杉皮で作られた軒は今も現役である。自然の素材の息の長さは、季節や気象と植物との関わり合いの諸相のなかの、最も素材としての力に満ちる相が生かされるところからなっていて、それを理屈でなく経験的に行ってきた人間も、地続きのところにいた。
だがしかし、もうこの「旧暦八月の末闇」「秋の土用の闇夜」がぴんと来ない。旧暦の入ったカレンダーを見ても、どんな感じのお天気のことを言うのやら。確実に地続きではなくなっているのだ。「季節感」は変わる。「旬」は失せる。人間の側の開発や暮らし方の問題だけではなく、自然との関わりの在り方が人間の「季節感」を変えていく。これだけ気象が変わってくればなおのこと。「季節感」のとめようのない変化は、これからの短歌をどう変えていくのだろう。記号のようにでも日本の四季は歌に残るのか。それとも、まったくその普遍性を失って歌われなくなるのか(俳句の「季語」なんかもどうなっていくのだろう…気になる)。
歌に季節感を取り入れる、季節感を醸し出す、という方法ではなく、季節や気象そのものを歌い表現する、ということには案外な力量が必要とされる。しかしそうやって獲得される「季節感」には、人の生に通う自然の内実があるはずだ。空気や感覚レベルの表層にとどまらない、人間にとっての「季節感」とはどういうものか。そう問うことは、人が失ってしまったもの、なお残されているもの、その回復と保持はどうあるべきか、そんな問いへとつながるものでもあるような気がする。