伝えないこと

  少し落ち着いたようなので、書こうと思う。この9月下旬に出た、内山晶太の第一歌集『窓、その他』について。この歌集は、発行後たちまち歌人たちがツイッター上で同歌集の一首選・一首評をやりとりし始め、ネット上ではそんな「内山晶太祭り」と呼ばれる状況がしばらく続いたのだった。今だかつてない現象に感心したり驚いたりしながら、一方でその現象がおさまるのを待っている自分もいた。これは歌に対するどういう思いからなのか。考えながら、同歌集を自分なりに読んでみたい。

 

  たんぽぽはまぶたの裏に咲きながら坐れり列車のなかの日溜まり

  春の雨こすれるように降りつづくほのあかるさへ息をかけたり

  四階の窓のむこうに老人の気配の綿毛ひかりつつ浮く

  駐車場に夜はながれてあらがえるくさむらの暗き光沢は群る

  背中まるめて歩くひとりはだれだろうひかりのなかの蟹のほとりを

 

 内山晶太は1977年生まれ。歌歴20年を迎えるという今年、〈近作を中心におよそ10年間の作品357首をまとめて/あとがき〉第一歌集とした。編年体ではない構成、作者情報や他者を排除した歌群からは、一首一首とのじっくりとした対話が要請される。その一首一首にもまた独特の抽象化があり、何が言いたいのか(いや、むしろ何も言おうとしていないのだろうが)、歌として見れば実にそっけない。だが、このそっけなさが私にはとても魅力的だった。

 一読、この歌集のタイトルとなった「窓」、或いは、上に引いた五首のような「光」とそのバリエーションを詠んだ歌がまず印象に残る。一首目の「列車のなかの日溜まり」。その感受のされ方が「まぶたの裏に」咲く「たんぽぽ」によって色彩感や温度感ゆたかに描き出されながら、どこか遠景的に受けとられているのが心に残る。二首目、下句の「ほのあかるさへ息をかけたり」がとてもいい。「ほのあかるさ」というごく微妙な光の提示が効いていて、人の吐く「息」がそこにうっすらと見えてくるのである。三首目の「ひかりつつ浮く」のは「綿毛」なのだが、その「綿毛」は「老人の気配」の綿毛なのだ、という。初句からゆっくりと運ばれてきた言葉が徐々に「綿毛」にピンを合わせていきながら、ピンが合ったときの「綿毛」はすでにふわんと老いの気配をまとってしまっているのに驚く。「綿毛」の風情の、言葉による現像のされ方。「ひかりつつ」の、「光」と言うにはあまりに鄙びた、しかしながら「ひかり」と言うしかないあかるさの摑み方。五首目の「ひかり」も独特だ。下句の語順が独特さをつくり出している。一般的には、川か沢か海の「ほとり」に「蟹」がいて、それが居る、ということがそこにくきやかな「ひかり」に似たものをみとめさせる、という脈略になりそうなところを、ひかりのなかに居る蟹のほとりを背中をまるめて歩くのはだれだろう、と言うことによって、あらかじめ光のなかにいる「蟹」にほのかな聖性が、その眩しいような「蟹」の「ほとりを」歩く人間の方に寄る辺なさやほの暗さが感じられて、しんと淋しい。四首目の「くさむらの暗き光沢」の「光沢」には、夜の雑草の息づかいが見えてきそうだ。

 どの歌の「光」も、内山個人が感受し、感知し、〜のようだと思った、さまざまな感情をかきたてられた「光」であって、その一つ一つの差異が大切に言葉にされている。歌の言葉がその個別さを均してしまったり大したものじゃなくしたりしないよう、その描き出しようにたいへんな力が注がれているために、歌としては一見そっけなくなる。だが、なんとかして他者にこの「光」を伝えようとすることによって、逆に歌の「光」が損なわれる、失われる、そういうことなのではないか。伝えない、ということが内山の歌の言葉を支えている。そんな気がするのである。

 

                 *

 

 もう一つ、内山の歌の言葉は全体にうす暗く、まるでずっとながいこと手暗がりのなかにあったかのような感じがする。それが歌という詩型に置かれていくと、なんともいえないあたたかみを感じさせるものになっていくのが不思議だ。歌の言葉とは、なんなのだろう。

 

  かまきりのいなくなりたる植え込みのかさかさと冬の葉は疲れたり

  テーブルの脚のくらがりひそかなる沼ありてひたす日々の足裏を

  軒下にたたずみながら見上げおり雨というこのささやかな檻

 

 「植え込み」「テーブルの脚」「軒下」といった、いわばそのものの内でも見向きのされない日陰の部分、存在が、それゆえの限界を歌の言葉で許容されていく。「かさかさと冬の葉は疲れたり」と言われてにわかに、なんの樹かなんて気にされたことのない「植え込み」がほのぼのと現れ、音たてて風にそよぐ。そこにあたたかみがあるのだ。「テーブルの脚」にひたす「日々の足裏」、「軒下」に見上げる「雨というささやかな檻」。たかが知れている、それが限界だね、というものに言葉が働きかけてそよがせ、さざめかせる。それが読み手に淋しくてあたたかい、いち方向の感情にはまとめられないような残り方をする。暗がりのなかのものやそっけないものへの心の残り方にも似て、どう受け取っていいのか、読み手の感情と連れ立ってさざめくことで、ながく後を引くのだ。

 

  えごの木にしたたるばかり花みちてみたされぬ我が眸(まみ)は明るむ

  壊れそう でも壊れないいちまいの光のようなものを私に

 

 歌集の終盤、「いちまいの光のようなもの」と題された章には、この二首が並ぶ。一首目の「えごの木」の溢れんばかりの花の下に「みたされぬ我が眸」、二首目の「いちまいの光のようなもの」を希求する「私」。いずれも暗がりのなかにある。この暗がりが、暗がりとしてぽんと提示されているのがとてもいい。「いちまいの光のようなもの」とは何なのか。伝えようとしないことによってそこに籠っているものがそのまま、暗がりのなかの「私」とともに手渡される。作者の限界に働きかけていた歌の言葉はその時、読み手の「私」の限界にも働きかけてくる。感情を整わせないまでに。

 

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 第一歌集を出すまでに20年かかった、という内山晶太の歌の時間を思っていたら、とある人の言葉が思い出された。画業にも携わる歌人の花山周子が、第一歌集『屋上の人屋上の鳥』で賞を受賞した時のスピーチだったろうか。不確かな記憶で書くので違ってたらごめんなさい…、なのだが、一枚の絵を何十日もかけて仕上げていく時間はまた、いかに自分に耐えられるかを問われ続ける時間でもある、といった趣旨の話だったと思う。絵も歌も、ほんものの表現の底には、脂汗が噴き出るような自分とののっぴきならない対話の時間が堆積しているのだ、と受け取って私には忘れ難い。内山が意識的にそれだけの時間を自らにかけたのか、それはわからないが、歌一首一首には、自分に耐えてきた汗の痕が感じられる。同歌集にはしばしば言い回しのぎこちなさや語彙の少なさ、表現が逆に振れるときの反俗性など気になるところもいくつかあって、手放しで素晴らしいとは言わないが、ほんものだ、と思ってなぜか嬉しかったことは言っておきたいのである。

 内山にはそれだけ大きな待望があったのも確かであろう。冒頭に触れた「内山晶太祭り」は、その祝祭だったのかもしれない。実際にツイッターは歌一首単位を引き合うには恰好のサイズをもっており、その一首一首が拡散していく速度と広さは、歌集のようなマイナーな媒体からは想像もつかないものだ。多分、私は内山の歌集の風情とネット上の賑わいの在り方とにギャップを感じ、うまく受け止められなかった、ということなのだろう。

 そもそも私には、言葉の表現者、創作者が、なぜツイッターをしたいのか、その動機がよく理解できていないところがある。作品以外のどんな言葉をそんなに多数の人に伝えたいのか、知って欲しいのか。詩歌や文章の作者が日々刻々とどんなことをして暮らしているのか、それを知り関わりたいと思う心性は作品に求めるものとはまったく別ものだろう。そこをわかっていて言葉をうまく使い分ける、ということなのかもしれず、これからはそれをする者としない者とでは大きなひらきが出来てくるのも確かだと思う。もう声も態度もでかくなければ、存在自体が危うくなってきている。

 ただ現時点で私は、安易に伝えようとしない、すぐに聞いて聞いて、と人に言わない、言葉をそう簡単に自己表現に使わない、そういう人々に心を寄せている。「暗がり」のなかにいる人々、「そっけない」人々の方を勝手にあれこれ思い、気にかけるのである。