短歌研究の「短歌年鑑」と角川「短歌年鑑」が、今年一年の短歌を振り返っている。角川の年鑑は、〈原発問題と、金井美恵子氏による歌壇批判というトピックは、今回、部立ての論考として掲載したが、それら以外の論考記事でも少なからず触れられていて、二〇一二年を象徴するもの。/編集後記〉という趣きからかなかなかに濃い論考が揃い、そのうちいくつかは、短歌はもっと他ジャンルを視野に入れるべきではないか、孤立せず開かれるべきではないか、といった提言につながっているのが印象的だ。個人的には、他ジャンルからの短歌批判は今に始まったことではなく、他ジャンルを視野に入れたとしても、短歌は短歌であるしかない。逆にそんな短歌という詩型の特質を突き詰める、という方向への反応があってもいいように思う。ローカルで何が悪い、特殊で上等、と私は勝手に思いを強くする。
歌壇内のトピックとしては、斉藤斎藤の論考「てにをはの読解が第一」(「歌壇」2012年10月号/特集・歌の「読み」を考える)が多く言及されている。同論は「迎える読みの是非」というテーマのもと、馬場めぐみや永井祐らの完全口語体の短歌を読みながら、こうした一首を読む時には〈助詞・助動詞や副詞や接続詞を読むのが先で、その手順をすっ飛ばして名詞をつまみ食いし、勝手な連想を広げてはならない〉とし、詠み手に対しては〈文語の助詞・助動詞と同じことを、現代語の助詞・助動詞で言おうとすると、音数がかなり増える。ということは、口語だけで短歌をつくる場合、一首に助辞の占める割合が増え、名詞が減る。口語短歌の詠み手は、名詞に頼らず一首を成り立たせるコツを、つかまないといけない〉と言う。例えば、永井祐などはそのあたりずばぬけて〈口語の助詞の捌きが巧〉く、その歌のメカニズムからは〈自立語よりも付属語によって、世界を分節している〉と指摘。そして、〈いまもむかしも、膠着語である日本語の肝は、てにをはである。近代以降の文語だけでなく、和歌や口語短歌もふくめ、日本語という視野に立って、助辞中心の短歌の再構築をすることが必要ではないか〉と、論を結んでいく。
ここには、昨今の完全な口語体の短歌をどう読むか、という課題に対する一つの明解な回答があるように見えるのだが、何かが抜け落ちていないだろうか。つまり、韻律や調べやそれに関わる特有の助動詞といった短歌的特質、それらの口語短歌におけるあきらかな減退については、考えなくてよいのか。短歌研究の年鑑の座談会で、斉藤の同論に肯定的な意見を述べる島田修三、穂村弘に対し、小島ゆかりは〈リズムのことに全然触れていないけど助辞というのはリズムの問題と大きく関わることですよね〉と疑問を呈し、栗木京子も〈定型に合っていない、非常に字余りが多いというのはやはり疵ではないかなと思う〉と述べている。賛成だ。
歯ブラシで排水溝をひたすらにこするときの目でなにもかもを見る 馬場めぐみ
明るいなかに立っている男性女性 こっちの電車のがすこしはやい 永井 祐
斉藤が同論で取り上げているのは、例えばこういう歌。馬場のこの一首に斉藤は、下句の八音の字余りと、「なにもかもを」の「を」に〈ひりひりする必死さ〉を読み取っている。永井の歌の字余りや「電車のが」の「のが」のような捌きも、同様な読み方で読める、ということだろうか。読む、とはそういう言葉の組み立てを精緻に表意的に読み解いていく、というようなことでよいのか。短歌の読みには表意の他に、この詩型自体があらかじめ抱えている韻律の情調性、そこへの言葉の誂われ方を見ていく、というところを含むべきではないだろうか。それも字余りの感じや、「なにかもかもを」の「を」に充分に見ているのだ、ということであれば、短歌的韻律への認識がどこかで断絶している気がする。短歌の韻律自体が、言葉の状況に応じて大きく変わってしまったのだ、ということなのだろうか。
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移動するこごしき音は飛行機のやや後方の空よりつたふ 佐藤佐太郎『帰潮』
爪黒くよごれて眠るをさな子に蒲団をかけて昼の部屋を出づ 宮柊二『小紺珠』
玉城徹の『近代短歌の様式』に集録された論考「近代の濾過/あたらしい歌論のために」は、戦後を代表する歌人のこうした作品を一語一語鑑賞するところから始まる。これらの作品には「かも」「かな」「も」「けり」といった詠嘆を表す語や、「をり」「たり」「ぬ」「つ」など歌のなかでは格別意味にかかわる働きをしない語 —玉城はこれを「冗語」と言い、これにより釈迢空が「おちつき」とか「ふぜい」とも言う「しをり」が生まれてくるとする― が切り落とされていることに着目。〈…動詞の現在形が、うたを組立てる根幹になっている。そのために、作品の中にきびきびした運動のイメージをとり入れることができたが、また、それだけ「うた」らしい「ふぜい」の方は犠牲にしている〉とする。近代短歌の歴史は、冗語による「しをり」の力、すなわち短歌をふるさとへ呼び戻そうとする魅惑と、新しい内容をもつ「近代詩」になろうとする欲求との間を往復しながら、どうやら冗語を切り落とす方向へ定まってきた、と玉城は言う。その理由は、近代短歌に「内面的時間の統一」という特質があったためで、つまり「内面的時間の統一」が果たされた歌とは、〈一首の短歌の各部分が、一瞬間に集中した感情(または感動)の表現に奉仕する〉歌、ということになる。
袖ひぢてむ掬(むす)びし水のこほれるを春立つ今日の風や解くらむ 紀貫之『古今和歌集』
例えばこの歌の「時間的な多元性」は、近代の短歌とはまったく違った美学の上に成り立っている、とする。一首のうちに夏〜冬〜春の三つの季節が詠み込まれているが、それは一首でなんらかのまとまった感情を表そうとしていない、内部的な一瞬間に感情を集注しようとしていないからであって、短歌の原則そのものが異なっている、ということに注意しなければならない。
ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫ひそめし日 北原白秋『桐の花』
ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕殺ししその日おもほゆ 斎藤茂吉『赤光』
比べて、上記の二首は二つの時間的要素が一つの瞬間のなかに溶け込み、そこに集注している。近代人に働きかける力がここにある。しかし、ここが弛緩と解体の始まりでもあり、こうした手法が洗練されていくと同時に、歌の底にはひややかなものが流れていくようになる。「冗語」の解消を課題としてつきつめていくのなら、短歌的韻律はどうなるか。恐らく両立は困難であろう、として、玉城はこの論をこう締めくくる。
〈短歌の「しをり」とも、近代短歌の統一の原理とも、格闘せず、その結果だけを計算したような「請求書」をもって、短歌の韻律を保存しながら、任意のイメージをならべてみせるのは、文芸上の折衷派であるということ。そのような自称イマジズムの折衷派は、永続的な価値をもたぬであろうということです。〉
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玉城の文章には独特の含蓄があって、私ごときにどれほど読み取れ要約できたのか、心もとない。ただ結びの一節などは、何度読んでも耳が痛い。安易ないいとこ取りは、自らの価値をおとしめることになるのではないか。そう読める。短歌の「歴史」に乗っかっていながら、任意的に「現代」を装ってみせるのはどうかと思う。そう読める。例えば、現在の口語の歌を読む、というその視野に入れるべきものは、現代語の「てにをは」だけでいいのか。韻律や調べ、時間の感覚、歌の語感と声調の問題など、問いはより広く長い時間軸をもったものとして、さまざまに設定されていくべきであろう。これは斉藤にのみ言うのではなく、私も含めた歌壇全体へ言う。
一つの目立つトピックをたちまち既成事実化して、それとの距離や関わりでもって以後の短歌を捉えようとする。歌壇にそういう傾向がなきにしもあらず(日本全体の傾向でもあろうが)。そういう短歌の進化のさせ方は、日本の携帯電話のごときガラパゴス化につながらないか、心配になる。そもそもがそうなりやすい特性をもっているのだ。だが、いまそれを汎用性や互換性をもたせる方向にもっていこうとすることは、決して〈永続的な価値〉にはつながらない。逆に、いかにオーソドックスをオーソドックスとして力強く在らしめ続けていくか、ではないか。いかにも保守な考えだろうか。
『近代短歌の様式』は昭和49年(1974年)発刊。その巻頭に収められた評論「近代の濾過」は、昭和35年(1960年)の「律」創刊号に発表されたものである。歌壇では前衛短歌運動が盛り上がりつつあるなか、「律」はそうした若手歌人の結集の場でもあった。この論考がそんな状況下で発表されたものであることを、重要に思う。玉城の〈遠まわりのようではあるが、近代短歌の作品を正当に鑑賞し、味わうことによって、そのことがおのずから現代の創作にも影響してくるのを待つ以外に方法はなさそうである/序〉という視界の持ち方を、大切に思う。前提をもうけず、その時代の声に耳を澄ませながら、こつこつと歌を読み鑑賞していく。そうするうちに見出した良き歌が、また新しい良き歌の糧となっていく。
一年間のコラムも今回が最後になる。いろいろ至らず…。ありがとう。