藤原 龍一郎


短歌結社の存在価値

 去る四月七日に、「水甕」の創刊100年の記念式典が開催された。場所は京王プラザホテル。結社からの出席者に短歌関係の来賓を加えた祝宴は三百人を超えて、圧巻であり、創刊100年という歴史の重さを感じさせてくれるものであった。創刊号の刊行は大正3年4月、西暦でいえば1914年で、第一次世界大戦勃発の年である。、ネットの年表で検索してみると、この年この月に、宝塚少女歌劇の第一回公園があったそうである。

 

 短歌結社ではすでに明治31年(1898年)創刊の「心の花」が100年を迎えている。100年といえば、当然のことながら、創刊時の同人、会員は誰も残っていないわけであり、現在、その結社誌をつくっている人、そして誌上に短歌を発表している人たちは、創刊以後、四代から五代くらい後の世代の人になっているだろうと思われる。ともかくも、それだけの時間の流れの中で、短歌という詩形を中心にして、志が継続されているということは、貴重であり、また凄いことであると言うしかない。

 

 私は以前に「短歌結社というものは、相撲部屋に似ている」と揶揄的に例えたことがある。自分の意志というより、おせっかいな知人や先輩につれられて、何もわからないままに入門させられてしまい、いざ、そこの指導法が、自分には合わないと気づいても、やめることはなかなかできない。無理にやめるとたくさんの不義理を残してしまうことになる。他の結社に移っても、生え抜きではないので、不都合やら、理不尽やらがまとわりついてきて、結局は短歌をやめてしまうことになりかねない。もちろん、現在は結社に所属せずに、短歌をつくり続けている人もたくさんいるわけだが、それはそれで、かなりのエネルギーを必要とする。やはり、作品発表の媒体としての短歌結社制度は、賛否はあっても、長く継続して短歌をつくっていくには、とても便利なシステムであることにいやおうなく気づかざるをえない。

 

 たとえば「水甕」のように創刊100年を迎える快挙がなしとげられた要因は、常に現状に満足せず、次の世代の才能ある者たちを発掘し、中枢に抜擢して、その結社の文学理念にもとずく、教育をほどこしてきたからなのだと思う。もちろん、短歌の趨勢には不易もあれば流行もある。その時々の時代の輝きを表現できる才能は、それにふさわしい環境から出現する。そのような新生を拒まずに、時代の変化に即応した新人を意識的に歌壇に押し出していくことこそが、結社継続の要諦なのだと思う。端的にいえば、新人を生み出せない結社にはもはや存在価値はないということにもなるのである。

 

 「うた新聞」(いりの舎刊)5月号が「短歌結社について」という特集を組んでいる。篠弘(まひる野)、武田弘之(コスモス)、木村雅子(潮音)、阿木津英(八雁)の四氏が、会員数減少、高齢化減少等の短歌結社の本質的な問題に触れ、加藤治郎(未来)、松村正直(塔)、松川洋子(花子と太郎)、中地俊夫(短歌人)、雁部貞夫(新アララギ)の五氏が、結社ではいかに若手・新人を育てているかを論じている。それぞれの結社で、多少の差異はあるにしても、結社の運営、結社誌の編集にたずさわっている方たちからの率直な意見が展開されている点は、学ぶべきところの多い好特集になっている。

 以下、私が興味をひかれた何氏かの意見を引用してみる。

 

「有力歌人が同調者を募って独立し、あらたな会員を結集することが必要なのではなかろうか。無所属の人たちも新しい集団ならば入会しやすい。(中略)みずからも学ぶ契機を捉えながら、新しい誌面に自作を発表し、かつ有力歌人は新人を捜し、新人を育成する使命をもたなければならない。」(篠弘)

 

 篠弘氏の論は、数人の指導的立場の歌人が、目を届かせて指導するのは数百人から、せいぜい千人までが限界という前提で書かれている。或る規模を超えたら集団として分裂して、新たな集団を創造せよというのはとても過激に思えるが、「短歌という詩形を次の世代にも継続し続けるために」との大義を思えば、これは有効であり、必然的な方法であると思える。ただ、それができるほど、現在の短歌結社の会員数が増えているかというと、心細くもなる。この方法論を考えてみると、「未来」が加藤治郎、大辻隆弘、笹公人、黒瀬珂瀾といった若手の有力歌人の選歌欄を独立させたことは、同一結社内でそれを実現していることになるのではないか。確かにこの個性的な有力歌人の選歌欄から、現実に新たな才能も登場している。どこの結社でもできるというわけではないだろうが、結社再生と新人育成の一つの効果的な方法論ではある。

 

 その「未来」の加藤治郎氏は新人の育成について次のように述べている。

 

「若手を育てる。短歌結社は組織としてそういう意識をもつた方がよい。しかし、若手は厳しく結社の年長者を見ている。見ているのは短歌への姿勢であり、言動である。もちろん、短歌や歌論をじっと見ているのだ。結社の年長者はまずもってよい作品、批評、歌論を示すことだ。それなくして若手を育てるといっても空疎である。」(加藤治郎)

 

 この発言には、耳の痛いベテランが多いかもしれない。すぐれた指導者からしか、すぐれた新人は生み出されない。きわめて、真っ当な真理である。そして、こういう前提のもとに、加藤氏自身が若手の頃に体験した育成の方法を具体的に語っている。

 それは入会後間もない頃に、相良宏の特集号を出すので「相良宏の一首鑑賞」という原稿依頼を受けたこと。この時点では、相良宏という歌人にもその作品にもまったく知識がなかったという。ところが、原稿依頼と同時に、相良宏の歌集のコピーが同封されていたのだそうだ。以下、少し重なる部分もあるが、もう一度、加藤氏の文章を引用する。

 

 「編集部の教育的配慮は行き届いていた。一首評の依頼とともに、相良宏の歌集のコピーが送られてきたのである。有り難いことであった。まずは読みなさいと。そして何か書きなさいと。相良宏への関心は高まる。その上で、相良宏特集号を読むことになる。先輩歌人の文章を読むと、自分の浅はかさがよく分かった。」(加藤治郎)

 

 一首鑑賞を依頼する時、その歌人の歌集のコピーを同封するというのは、編集部サイドから見れば、手間のかかることではあるが、そういうかたちで依頼を受けた側にとっては、確かに有り難く、また、その期待に応えようと奮起せずにはいられないことだろう。この方法は、今後も踏襲することができる。要は掛け声だけの「若手育成」では効果がなく、結社誌を編集する側にも、このような緻密な心配りと、現実的な具体策が必要だということである。

 

 もう一つ、松村正直氏の文章の結末の部分を引用してみる。

 

 「今は昔のように強い師弟関係によって結社に入ってくる人は少ないし、結社に入らなくてもネットや同人誌を使っていくらでも短歌を続けていくことができる。何も結社になど入る必要はないのである。そうした中にあって、結社の持つ利点は何かと考えた時、それは世代を超えた人間同士が顔を合わせる魅力であることに気がつく。さらに言えば、短歌史という未知の時間につながる意識が生まれる点にあるのだと思う。その楽しささえ伝われば、若手も新人も自ずと育っていく。何も心配することはない。」(松村正直)

 

 この文章を読みながら、私自身がすでに四十年近く、「短歌人」という結社の中で、短歌をつくり続けている理由を言い当てられた気がした。まさに、多くの先輩や年齢の近い仲間たちと、顔を合わせることの魅力をおぼえ、それがやがては、短歌史という未知の時間に、今、この現在、つながっているという意識をいつのまにか醸成していたことを教えられた。そういう成長がなければ、どこかで短歌との縁も切れていただろう。そして、やはり、後続する新鮮な才能の持ち主たちには、この意識をもつ手助けをしなければならないとも実感する。

 

 自己表現の方法としての短歌をつくり、読み、そこからさらなる一歩を踏み出すための機関として、短歌結社というのはとてもすぐれたアイデアである。内部での刺激によって活性化し、外部からの新たな血をめぐらせることに意識的であるならば、短歌結社は100年どころか、この先、1000年も存在し続ける価値があるはずである。