藤原 龍一郎


「ミステリ」と「いろは歌」

 「短歌研究」が10月号、11月号と連続して、ユニークで面白い企画記事を掲載している。短歌専門誌で、まさか、こんなものが読めるとは思わなかった、と思わず膝を叩いてしまうほど、楽しく読み応えのある記事だった。

まず10月号では、「ミステリと短歌」と銘打った綾辻行人、吉川宏志の対談。目次を見て、なんでこの二人の対談?と不思議に思ったが、中身を読んでみると、二人とも学生時代に、京大推理小説研究会に所属していたということで、縁はあったということ。

 綾辻行人氏は新本格派の推理小説作家の旗頭。吉川宏志氏はいうまでもなく、第一線で活躍する歌人ということで、この二人の組み合わせというのは、面白い。しかも、内容もじゅうぶんに密度が濃く、読み応えのある対談となっている。

 これはどちらの対談者も双方のジャンルに対する知識をもち、テーマを敷衍しつつ、自分の言葉で語っているからといえる。

 

 ミステリと短歌という対比でいえば、話の流れにそった問題の立てかたも、なかなか巧くいっている。たとえば、「見立て殺人」と「本歌取り」、「後期クイーンの問題」と「短歌の正しい解釈」、「信用できない語り手」と「短歌の中の「私」の問題」等々、言われてみれば、パラレルに問題点を語れないこともない。そして、単なる思いつきではなく、自分のジャンルの問題として双方が語っているので、説得力が生まれている。

 たとえば、こういうやりとりがある。

 

綾辻「見立て殺人の材料として、みんなが知っている詩などが好んで使われるのは、それによってイメージに広がりができるからでしょう。おなじみの童謡と連続殺人というギャップが面白かったりして、ね。『霧越邸殺人事件』で(北原白秋の)「雨」や(西条八十の)「カナリヤ」を使ったのもやはり、そういう効果を狙ったところがあったように思います。すでに共有されている知識や引用を利用して、イメージをさまざまに膨らませようという。ちょっと短歌の本歌取りに似ているのかな。」

吉川「たぶんそれが私たちが短歌を作っている理由の一つなのかもしれないですね。短歌というのは、作るのと読むのが一体化しているところがあって、作者が読者にイメージを手渡して、読者がそこから独自に世界を広げていく、という面がある気がします。作者のほうはもちろん自分の感じたままに歌っているんですけれども、それが意外なかたちで受容されていく。短い詩型ですから、作者の想像もしなかった読み方が、読者の中から生まれてくる。それがすごく面白いのではないでしょうか。先ほど「カナリヤ」や「雨」が出てきましたけれども、それをミステリというまったく別の場に置くことによって、従来とはまったく違うイメージが広がっていく。綾辻さんは「カナリヤ」や「雨」の新しい読み方を創造したと言えるのではないでしょうか。」

 

 吉川宏志のこの詩歌の読みに関する指摘は鋭い。確かに綾辻行人は『霧越邸殺人事件』で白秋や西条八十の詩のあらたな読み方を創造し、横溝正史は『獄門島』で、芭蕉や其角の俳句の見立て的な解釈を提示してみせたにちがいない。

 ミステリと短歌というと、一見、縁遠いように思えるが、対談中にも言及されているように、「短歌研究」編集長として中城ふみ子や寺山修司や塚本邦雄を歌壇の中枢にクローズアップした中井英夫は、同時に日本のミステリの金字塔である『虚無への供物』の作者でもあったのである。それに気づけば、まさに、この企画を発想し、実現してみせた「短歌研究」編集部の功績はとても大きい。

 もう一箇所だけ引用しておく。

 

吉川「短歌の場合も、一人称でしょう。本当は信用できないはずなんだけれども、みんな信用しすぎるぐらい信用しちゃうんですね。一人称というものに対する感じ方が、ミステリと短歌では全然違うように思います。」

綾辻「短歌では作者と<私>が同一、というのが基本でしょう。フィクションとはおのずから受け止められ方が違うのでは。」

吉川「それでみんな苦しむみたいですね。短歌では<私>とは何か、という問いが、昔から何度も論じられているんです。実際のところはフィクションを交えながら作歌するというのは、いくらでもあると思うのですが、読者は<信用できない語り手>という意識はほとんどもたない。語り手をとにかく信じるという前提で、短歌という詩型は成り立っているところがあります。いくら現実離れした歌を作ったとしても、そのように歌うのは何らかの現実的な理由が作者にあるのであろうと読者は発想するのですね。」

綾辻「ははあ、そういう虚実のあわいでぎりぎりの試みをするのは大変だけど、面白そうですね。」

吉川「そうですね。短歌の<私>を壊そうとする試みは、何度も行われているのですが、なかなかうまくいかないところがある。そうではなくて、日常的な<私>を歌いつつ、ふっと自分の存在が揺らぐような歌のほうが、ずっと強いインパクトを与えるような気がします。」

 

 長い引用になってしまったが、このような示唆にとんだやりとりが、この対談にはいたるところにある。変にコンパクトにまとめてしまうことなく、24ページというボリュームで掲載されていることも、この対談の面白さを倍増させている。異分野のクリエイターの対談というと、どちらも挨拶の域を出ない不消化のものが多いが、この対談は近年の短歌専門誌に載ったもののなかでも出色といってよい。

 

 そして「短歌研究」11月号では、竹本健治氏の「いろは歌自選十五首」と「ヰタ・イロハアリス あるいは我いかにしていろは作りの道に踏みこみしか」が抜群の面白さである。竹本健治氏はミステリ作家。それも、中井英夫の『虚無への供物』へのオマージュである『匣の中の失楽』という異色の長編小説でデビューした、いわば、中井英夫の系譜を継ぐ鬼才である。この竹本健治氏が、「いろは歌」作りに取りつかれて、実作をするようになったかという体験記であり、同時に「いろは歌」作りの魅力を伝える啓蒙の一文でもある。

 

 まず、ツイッターに短歌をつくって発表していたところ、ふと「いろは歌」が作れないだろうかと思いついたのだそうである。竹本氏は『囲碁殺人事件』という作品もあるほど、囲碁には造詣が深いのだが、実は囲碁の世界に中山典之七段という棋士がいて、その方が、十七年間に千首の「いろは歌」をつくったというすごい人なのである。それを思い出して、とにかくつくってみたところが、三時間くらいで最初の作品がつくれてしまったとのこと。それをツイッターに流し、反響をもらううちに、「すっかり病膏肓、その面白さにズブズブとのめりこんでいった。」のだそうだ。

 こうしていまでは、いろは四十八文字のすべての文字から始まる四十八首を作り終え、それを含めて二年間で九十首の「いろは歌」を完成した。

 

 私も短歌を作り始めてかなりの年数がたつが、自分で「いろは歌」をつくろうと思ったことは一度もないし、短歌の仲間で「いろは歌」を作ったとか作っているとかいった話は聞いたことがない。しかし、中山典之七段や竹本健治氏が「いろは歌」をそんなに作っているということを知れば、それなら自分も作ってみようかと、確かに思う。

 とはいえ、「創作いろは歌」とはどんなものなのか、竹本健治氏の作品をまずは紹介してみる。

 

ミステリいろは

 暗闇ひそむ殺人鬼       くらやみひそむさつしんき

 真夜経ける頃睨めわたす    まよふけるころねめわたす

 ナイフは研がれ血に飢ゑて   ないふはとかれちにうゑて

 獲物焦りぬ威を覚ゆ      えものあせりぬゐをおほゆ

 

妖怪いろは

 のつぺらぼうに雪女      のつへらほうにゆきをんな

 鵺や化け猫カマイタチ     ぬえやはけねこかまいたち

 おとろしも居て群れ歩く    おとろしもゐてむれあるく

 酔ひ覚め忘る身ぞ伏せよ    ゑひさめわするみもふせよ

 

宮沢賢治のイメージいろは    

 ケンタウロスよ星降らせ    けんたうろすよほしふらせ

 琴座のベガも笑み送れ     ことさのへかもゑみおくれ

 天ぞ指にて螺子廻る      あめそゆひにてねちまはる

 夜話を紡ぎぬ営為なり     やわをつむきぬえいゐなり

 

 このように実にバラエティに富んでいて面白い。誌上には十五首紹介されている。実際に作品を見ると、自分でも作れそうな気がするし、作ってみたいとも思う。

竹本健治氏の文章は、明治時代のミステリ作家黒岩涙香が主宰していた新聞「萬朝報」が懸賞金付きで「いろは歌」を募集したとか、昭和二十七年には「週刊朝日」が、昭和五十一年には「週刊読売」が、それぞれ新しい「いろは歌」を公募したとか、歴史的な経緯にも筆をさいてくれており、教えられるところが多い。そして何より、この竹本氏の文章が貴重なのは、読者の「いろは歌」に対する創作意欲をおおいにかきたててくれるところである。とにかく、自分でも作りたくなる。「ゑ」や「ゐ」の使い方がキーポイントになるようだが、旧仮名で短歌を読み書きすることに慣れている歌人にとっては、そう難しくはなさそうだ。短歌専門誌で、このように創作意欲を刺激してくれる文章や実作というのは、実はあまりない。

 

「ミステリと短歌」や「いろは歌に挑戦」、このような企画が誌面を飾ることで、短歌専門誌のイメージは大きく変わる。10月号の対談と同じく、11月号の「いろは歌」の企画も、20ページと思い切ったページ数が費やされている。今までにない企画なのだから、このように編集意図がじゅうぶんに達せられるだけの分量をとって、それが読者にもきちんと伝わる努力がなされているのはうれしいことだ。

 実は私にとっては短歌専門誌を読むことは惰性になっていた。そこから新しい刺激を得るということは、すでに期待していなかった。ところが、「短歌研究」の2ヶ月連続した大胆な企画は、そんな怠惰をうちのめしてくれた。目をみひらけば、短歌の糧となるさまざまな事象が存在している。そんな真理を教えられたように思う。