今月は、〈ほんもの〉ということについて少し考えてみたいと思う。「うた新聞」2015年1月号に掲載された吉川宏志の「本物について」という一文がきっかけである。
まもなくひがくれます ナビの案内を無視して空が青を維持する
道ばたで死を待ちながら本物の風に初めて会う扇風機
岡野大嗣『サイレンと犀』(書肆侃侃房)
これらの作品について、吉川宏志は貴重な指摘をしている。まず、吉川は掲出作品のなかに〈ほんもののない世界〉を感じとる。例えば、「一首目は車のカーナビを詠む。かつてなら人工の情報のほうがズレていると感じていたはずだが、この歌では逆に、空のほうが『無視して』いると捉えられる」と。また、二首目は「軽いユーモアととってもいいのだが」と前置きしつつ、「自分が死ぬときにしか『本物』に会えない、という思想をここから読んでもいいだろう」とする。「生きている間に出会うのは、みな『本物』ではない、よくできたイミテーションなの」だと。
確かに、現代は〈本物〉にあらざる空間に満ちており、そこでは〈何がホンモノであったのか〉を問うことすら忘れてしまう。二首目の「扇風機」は擬人化されているから、そのまま現代社会の寓意と考えてよいだろう。廃棄された扇風機が、死ぬときに初めてホンモノの風に出会えたことは、扇風機にとって幸福であったのか。自らの送り出す風こそが本物であると信じて死んでゆく幸せと、初めてホンモノの風の匂いを知った驚きといずれであったろう。死の瞬間に真実を知らされるとは、ある意味では残酷であるのかも知れない。ホンモノの存在を知らされて、しかし生きなおす時間はすでに奪われているのだから 。
カーナビもまた様々なデータを重層的に組み合わせた擬似空間であり、複数の地図データ上に再生された仮想現実である。そこには明らかにホンモノの空はない。しかし、わたしたちは渋滞情報などをこの計測データから〈与えられた現実〉として受けとめる。そこからは本当の渋滞は見えてこない。そんな生活文化が、いつしか快適・便利な空間として日常を埋め尽くしている。吉川は、これら〈ほんもののない世界〉を描くことにやや既視感を覚えつつ、しかし「ほんの少し外側に目を向ければ、〈リアルな死〉はおびただしく存在している。それが震災以後の世界であろう」と指摘する。そして、「本物がない、と嘆くだけでなく、一歩外に出ることも大切なのではないか」と提案する。
そう、擬似空間の一歩外に出れば〈リアルな死〉は確実に存在している。ホンモノは姿を消したわけではなく、紛れもなくそこにあるのだ。それを見ようとする想像力をわたしたちはいつから失ってしまったのだろう。
攫はれて海の人なる死者たちが揺らすなり揺らすなりかなしき夜よ
米川千嘉子『あやはべる』(短歌研究社)
2011年3月11日、東日本を襲った大震災は、巨大津波と原発事故という史上最悪の複合災害であった。翌年の警察庁の発表(2012年3月11日)によれば死者は15,786人、その半数近くが70歳以上(45.23%)であった。死因のほとんどは津波に呑まれた水死(90.64%)であり、この時点で14,308体が確認されている。その後、2014年3月11日の統計でも、なお2,633人の行方不明者がいるという(死者は15,882人)。こうした統計上の数値は、ひとりひとりの死を見えづらくする。しかし、その一人一人のいのちを奪った暴力の大きさという点では記憶されてよい。
震災報道でメディアは死者の映像を報じなかった。それは、報道倫理からすれば当然の選択であったろう。巨大津波の映像は、圧倒的な自然の力をわたしたちに見せつけたし、その猛威の前に人間はひとたまりもなかった。映像化されなくても、わたしたちの想像力はその幾ばくかを補うことができる。そして、映像にすらなり得ない行方不明者たちがまだ2,633人もいる。
米川千嘉子の目は、この津波の映像の向こう側をみている。海に呑まれた死者たちの目をみている。震災後の余震を揺らしているのは、あの冷たい海に漂う行方不明者たちなのではないか、と思ったのだ。声にならない死者たちの声にしんと耳を澄まそうとしている。そこには、まだ確認されることのない二千数百の〈リアルな死〉が漂っている。
*
2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロ事件は、まだわたしたちの記憶に新しい。あれから十四年も経つのに、世界貿易センタービルに突入した航空機と炎上崩壊するツインタワーの映像の鮮明さが、わたしたちの脳裏に焼きついてしまったのだ。まるで、フィクションの映像を現実化したようなテレビ画像は、瞬時に全世界を駆けめぐった。同じ映像ばかりを何度も何度も繰りかえし放映し、「飛行機がぶつかりました。ビルが燃えています。崩れました」としか言わないレポーターに、メディアが機能不全に陥っていると直感したジャーナリストたちは、即座にテレビを消してインターネットに切り替えたという。
あれはバーチャルな空間ではなく、現実に起きたホンモノの映像である。しかし、その映像の衝撃力にばかり目を奪われてしまうと、背後にある本当のものが見えてこない。映像とはときに何かを隠蔽する装置として機能することがある。そこには映されなかった世界の向こう側に何をみるか。このテロによる死者は1,700人と報じられている。炎上するビル内で、死までの数分間を家族と通話できた被害者もいた。その数分後に、大音響とともに通話は途絶えたという。そうした一人一人の〈リアルな死〉は、だれによって記憶されるのか。わたしたちは、死者や家族の口惜しみを共有こそできないが、想像力によってそのいくらかは埋めることができる。
あるいは、爆死したテロリスト、モハメド・アタの死はそこにあるか。「将来はエジプトに戻って伝統的な価値を尊重した都市計画をしたい」と語った33歳の若き建築家の死は、〈リアルな死〉として記憶されないか。彼のなかの欧米への憎悪はどのようにして育まれ、そして歪んでしまったのか。加害や被害という枠をとり除けば、そこにもひとりの死は確実に存在していたはずだ。
東日本大震災や同時多発テロなどの大災害や事件にばかり話が傾いたが、もちろん〈リアルな死〉はわたしたちの日常にもある。卑近な例で恐縮だが、わたしの父は東日本大震災の前日、3月10日に息をひきとった。84歳の誕生日を迎えて六日後の死だった。病院から携帯電話に知らせが入り、すぐさま職場をでたわたしは、看護士のはからいで死の間ぎわの父と話すことができた。「今そっちに行くから、待ってろよ」というわたしに、電話口から(はぁ)とかすかに弱い息がもれた。父に届いた、と思った。姉にも病院から通報が入っており、彼女はすでに父のもとに向かう車中にあった。わたしは姉に「今なら父の最期の声をきける」と伝えたが、父の後妻の悪意によって姉の電話は阻止された。翌日の午後、わたしたちがこの後妻と菩提寺で葬儀の打ち合わせをしていたとき、寺全体が激しく長い揺れに襲われた。東日本大震災である。
最後まで文学を理解しようとしなかった父は、しかし病魔に蝕まれた体軀に残された力のすべてを振りしぼって、精いっぱい生きようとしていた。そして、84年の歳月の荷を下ろすように静かに息をひきとった。それは、わたしにとっての〈リアルな死〉であった。
*
そうした死は無数にあるだろう。日常のなかにも〈リアルな死〉はいくらも満ちているはずだ。死ではなく、冒頭の吉川の一文にいう〈ほんもののない世界〉もまたたくさんあるにちがいない。バーチャルな空間でなくとも、磯の香りのする食べものや、温泉の匂いのする入浴剤なら、最初から偽物であることを前提に生活のなかに入り込んでいる。〈ほんもの〉ではないことを承知のうえで、わたしたちはそれを楽しんでいる。
しかし、切断されたあともそこに脚の存在を知覚する〈幻肢〉のような場合、〈ほんもの〉は存在するのか。物理的には喪失しているはずの「脚」が、感覚のなかで生き生きと知覚される。わたしには、この感覚は〈ほんもの〉なのだと思える。そして知覚されている「脚」もまた〈ほんもの〉なのだと思いたい。脳内の神経回路のなかでは、それは〈ほんもの〉として生きているのだ。
むかし、生前の小野興二郎氏に二回だけお会いしたことがある。一度目は、まだお元気だったころの小野さんで、阿佐ヶ谷の「ゆきの」のカウンターで酒を呑みながら、朗々とした艶のある唄声を聞かせてくださった。二度目は、肝生検のショックで視覚に障害を残された小野氏で、やはりカウンターでご一緒したのだが、そのとき小野さんは「ぼくはね、ここに真っ赤に熟れた、美味しそうなトマトがあるとするでしょ。艶々としたみごとなトマトが 。それがぼくには、とても精巧に創られた紙細工のトマトにしか見えないんですよ」と語られたことがある。小野さんはご自身の脳内に知覚する「紙細工のトマト」は〈ほんもの〉ではなく、それはきっと熟れた美味しそうなトマトなのだと想像されている。つまり、眼前の「紙細工のトマト」は小野氏の脳内では否定されている。そのとき、小野さんの視覚がとらえた「紙細工のトマト」は〈ほんもの〉であるか。わたしは否であると思う。そうすると、先の「幻肢」とのあいだに矛盾が生じる。いっぽうでは、知覚として存在する「脚」を〈ほんもの〉であると思っているわたしが、他方では、知覚として存在する「紙細工のトマト」を〈ほんもの〉ではないと判定している。
カーナビの案内を無視した青空は〈ほんもの〉の空であった。いったい〈ほんもの〉とは何であるのか。もう少し考えてみないといけない気がする。
青空を一目見てから死にたしと思ふひそかなるわが願ひごと
小野興二郎『歳月空間』(不識書院)