加藤 英彦


他界へぬける風    ~時間の川について

  ある朝、死がひとりを連れ去ったあとも、陽ざしはあい変わらず街に溢れているし、バス停には若者たちがいつものように群れている。駅前の花舗はもう開店の準備に忙しいし、まるで何ごともなかったかのように電車は時刻どおりにホームに滑り込んでくる。この街からひっそり一人が消えたのだ。思えば、いまも世界のどこかで一秒ごとにだれかが消えているのに、わたしたちはみな生きることに忙しい。そんな現世からふっと離れて、ひとつの生を焉えて人はどのような時間を渉ってゆくのだろう。もし、死後の世界にも時間の川があるのなら、それはもっと大きく緩慢な流れにちがいない。日高堯子の第八歌集『振りむく人』(砂子屋書房)を読みながら、ふいにそんな思いにとらわれた。

 

   玄関のドアすこしあき雨の夜を老いたる鶴がはいつてきたり

   ふくらめる百合の蕾をしろじろと夜の草生にゆらしてゆきし

   またきてね またきてねと消えぎえの発光虫となりし母かも

   今宵、月にシルバーベッドの影が見え老いたる鶴がひとりづつ臥す

 

  幻想的な作品である。一首目のあとに〈父かともみつめてをれば尾羽ふるひ黒い濁りをしたたらせたり〉があることから、この鶴は雨の夜に戻ってきた老い父と知れる。「発光虫」となった高齢な母も、消え入りそうなひかりを放ちながら「老いたる鶴」になんども再訪を呼びかける。病棟に並んだシルバーベッドは、さながらそんな鶴たちの臥処であるらしい。二〇〇九年、作者の父は病みながらもまだ存命であり、母は惚けて意識はひかりの彼方にあるものの、現在もご健在である。つまり、この四首はすべて日高のなかの空想の産物である。

 

   きしきしといのちの透ける音がするある日の父は水仙より弱し

   けれど夏、紺澄む空に鳴く鳥の死にゆくものをはげましてゐる

   一日一日濃く厚くなる死の葉影 わたしはここで待たねばならぬ

   いざ父よ 野蒜をつみに 蕗つみに 春の野山は夢のつづきぞ

   緩慢な死を死にゆける父のもと帰りきたれり菜の花の夕

 

  作者の父は点滴も治療も拒否して、ひとり肉体の衰弱に身をまかせたという。水仙よりもはかない命の灯をゆらしながら、「一日一日濃く厚くなる死の葉影」を父も見つめていたにちがいない。そう、死後の時間ではない。彼岸をのぞむ岸辺にながれる時間ですら、すでに日常にうごいている時間とは異質である。ゆっくりと人生の坂をくだるように、いのちは死の川面へと着水するのだろうか。時間とは、何かが変化する過程であるならば、日ごとに濃さをます死の葉影を見つめながら、ただ「ここで待たねばならぬ」作者の体内にながれる時間と、徐々にいのちの透明度を増してゆく父を浸している時間もまた異なっているだろう。まるで、生の岸辺からあちら側へとわたる支度でもするように、父の吐く息ははかない。そこには、物理的な時間の〈共時性〉などは存在せず、あるのはただ個別の生の時間の川だけである。

 

   ()の中に少女の自分がゐるらしきふしぎな顔の今日の母なり

   黄かぼちやに包丁の刃を刺したままほうほう母はどこへいつたやら

   海境に真夏の雲の湧くあたり母の海馬をさがしにきたり

   ひだまりのたんぽぽのやうに人に笑む母の九十歳(くじふ)のあたらしき顔

   映写機をまはすごとくにチカチカと母の古びし脳の木漏れ陽

 

  脳の一片に童女が棲んでいる母の「ふしぎな顔」や、「ひだまりのたんぽぽのやうに」ほほえむ母の「あたらしき顔」は、いずれも新鮮で美しい。それらが美しいのは、すでに母がわたしたちとは別の時間の川を渉り始めているからである。「黄かぼちやに包丁の刃を刺したまま」行方しれずになった母も、また空間の自在に身をまかせて何かの境を跨いだのだ。その母のなかに〈かぼちやに包丁を刺した母〉はすでにいない。記憶の川を遡って童女となった母ももう消えているだろう。それは、わたしたちにはどうしても越えることのできない夢幻の川である。

  海境(うなさか)の向こうは(はは)の国であり、そこは往けば再びもどっては来られない黄泉である。失われた母の海馬がその沖のどこかを漂っているのではないか。日高堯子もまた、ここで川をひとつ跨いだように思える。作者の日常にながれる時間とは、おそらく老父母の介護に忙殺される日々であったろう。それでも、彼女の意識はその時間の川を跨いで、このとき母の海馬の海へと漕ぎ出しているように感じられる。

 

   身体より無数の蝶がとびたてる寒き覚醒が今日のはじまり

   泣く  われを見るな、見るなぴっしりと月光(つき)もふすまもとざして眠る

   座りこめば鳥より暗き身体にてわたしに呼べる風などはない

   こんなにも深くささつてゐたのかとすぎゆきのなかの棘ひとつ捨つ

   影絵のやうに老父母うごく晩秋の日ざししづけしわれも入りゆく

 

  夢の中から無数の蝶がとびたち、ふいに現実の覚醒がおとずれる。それは翔びたつ羽をもたない〈私〉の「寒き覚醒」である。泣くときはひとりで泣くのだ。襖をとざして誰も入れず、夫からも子供からも遠くはなれて、わたしは〈私〉の闇にひとり嗚咽すればよい。

  鳥よりも暗い身体  鳥のふくらんだ胸の暗い洞は、たましいの傷口なのかも知れない。それよりも大きく暗い洞を抱いて〈私〉はうずくまる。風も吹かない、吹きもしない。そのとき、〈私〉はひとつの空虚そのものである。これほどまでに人間の根源的な寂しさを歌った作品があったろうか。

  そして、幻燈の影絵ような老父母のなかに〈私〉もまた入ってゆくのだ。それはどこか、母の海馬をさがしに行ったあの記憶の沖を思わせる。わたしには、日高がここでも時間の川をこえて父母と同化しようとしているように思われる。

 

   桐の花空につめたき五月八日これの地上に父をはりたり

   父の顔まだあたたかしいくたびも頬すりよせて最後の甘え

   足袋 脚絆 手甲を着せ ああ死者の父の孤独が胸にせまりぬ

   桐の花 山藤 水木 ほととぎす五月は他界の口みゆる(とき)

 

  桐の花を愛した父は、五月の空へと旅立った。あたりまえのことだが、人はみなひとりの死を死ぬのだ。足袋、脚絆、手甲……「こんな古めかしい装束で行くのか」と詞書きにはある。旅立たせたくない〈私〉が、なぜ父に旅の支度をさせなければならないのか、しかもこんな古めかしい装束で、と日高は思ったろう。いくたびも頬をすりよせて、本当にこれが最後なのだ。「一日一日濃く厚くなる死の葉影」がすべてを覆いつくしたとき、父のいのちは蒼穹へと発った。

  以来、日高にとって五月は他界への口をひらいた季節である。今までの人生にはなかった新しい季節の意味を、自らが旅立つ日まで抱きつづけることになる。

 

   ももいろの春のゆげたつ草の道 犬もとほくへ旅をするなり

 

  歌集後半にある一首である。誰しも幾つもの旅をかさねて、最後はみな戻らぬ旅へと発つのだろう。わたしは、やや感傷的になり過ぎているかもしれない。それでも、「犬もとほくへ旅をするなり」には、そんな感傷的にさせる何かがある。人が旅立つとき、この世のすべては宥されるのではないか。

  日高の父は生前、俳句に親しんでいたという。しかし、死後にみつけた父の手帳から辞世の歌が二首発見された。上掲の「桐の花空につめたき五月八日……」の作品には、「五月八日、父死す」と詞書きがあり、次の一首が添えられている。

 

   睡眠の深きが中に落ちてゐるわが魂を見たる心地す  辞世

 

  眠りの奥底に魂がひとひら落ちている、あれは私である……と父は歌うのだ。見ているのは、死後の〈私〉だろう。幽体離脱のようでもあるが、あれは現実のゆめの光景だったのではないか。そこに落ちていたのは、すべての役割を了えて眠りに就いたたましいの姿である。

  本書は、砂子屋書房から出された「現代三十六歌仙」の一冊である。