魚村 晋太郎


くたびれた軍手が燃えるうつくしさ人は眠りぬ我も眠らむ

奥田亡羊『亡羊』(2007年)

軍手には、右手と左手の区別がない。使っているうちに、手のひらや指の内側の部分が汚れ、手になじんできて、右左のごとき表情がそこにあらわれる。一首に出会うまで忘れていたことだが、軍手の燃えるさまはたしかに美しい。太い番手の綿糸にじわじわと火がまわり、織られた綿糸がその形状をとどめたまま赤くかがやきながら灰になる。

軍手はむろん主人公のものだ。一日の作業を終えて、くたびれた軍手を火にくべる。廃材などを集めて燃やす屋外の焚き火の場面を思い浮かべた。或いは、屋内の囲炉裏か暖炉かも知れない。眠っているのは、目の前の友人か、遠く離れたパートナーか、いずれにしても下句の、人、には、自分以外の人人、に近いニュアンスもふくまれている。

眠らむ、というのは、この一夜のことだけを指しているのではない。追い立てられるように打ち込んできた日日に終止符を打ち、火のなかで美しく灰になる軍手のように、安らいで眠りにつく人人のように、いま自分も眠りにつくのだ、というしずかな決意と、無為へのあこがれがしびれるように響いてくる。

歌集の題名が自分の名、というのは山崎方代さながらだが、作者はこの歌集の時期、職を辞し、離婚し、隠遁に近い生活をしていたという。一首からは、無為へのあこがれと同時に、自己愛の情調も多分に感じられる。それがそれほど嫌みに感じられないのは、作者の自己愛が、仮借のない自己否定の果てに、たどりついた愛着であるからだろう。