昔はもつと寒かつたのだアルバムに残る写真はみな着膨れて

           小林信也『合成風速』(2007 年)

 

「アルバム」という形そのものが、もしかしたらレトロなものになりつつあるのかもしれない。

小学生だったころ、ある友達のお父さんが、運動会のときは必ず立派なカメラを持って現れ、熱心に撮影していたのを思い出す。なぜそれを憶えているかというと、ほかの親たちは写真など撮らず、ただ見物したり応援したりしていたからだ。それが今や、幼稚園や小学校の運動会と言えば、申し合わせたように皆ビデオカメラを構えるようになった。もちろん動画から写真をプリントアウトすることもできるが、おおかたの家庭では分厚くて場所を取るアルバムなど作らず、小さな記録メディアに保存しておくのだろう。

そのことを思うと、「着膨れて」いる家族の写真が一層いとおしく感じられる。冬は本当に「もつと寒かつた」から、暖房のある部屋から廊下に出ると冷えびえとしており、そこに置いてある段ボール箱の林檎や蜜柑は、いつまでも傷むことがなかった。

最初に読んだときは、「着膨れて」が強く印象づけられ、「昔はヒートテックのような薄手のものはなかったものねえ」と思ったが、読むほどに「アルバム」の厚みや、家族全員で玄関先に集まって記念撮影したころの「写真」の非日常性がじわじわと思い出され、しんみりする。よい歌というものは、こういうさりげない場面によって、時代を切り取るのだなと思う。