三井 修


包丁で刺したる男「恨むならヒッタイトを恨め」と呟けり

松木秀『親切な郷愁』(平成25年、いりの舎)

 世界で初めて鉄器を本格的に使った民族はヒッタイト人だと言われている。紀元前25世紀頃にアナトリア半島(現在のトルコ共和国のアジア部分)に居を定めた彼らは、それまでの青銅器に比較してはるかに鋭利で強靭な鉄器を駆使し、周辺諸国を征服して強大な帝国を樹立した。古代エジプトと戦ったことでも知られている。因みに、ヒッタイトの鉄器文明の逸品は現在アンカラのアナトリア文明博物館で見ることができる。それ以来、人類の文明は鉄を中心に発達したきたと言っても過言ではないだろう。特に近代に入ってからは産業製品の大半が鉄を使うようになり、つい最近まで鉄は「産業の米」とまで言われていた。引用の作品はこのことを踏まえている。現在の包丁はセラミックのものもあるが、基本的には鋼(0.3~2%の炭素を含む鉄合金)である。ステンレス製のものもあるが、それも鉄に12%以上のクロムを添加した合金なので、鉄と言っていいであろう。

 包丁で人を刺した男は、悪いのは自分ではない。鉄器を使い始めたヒッタイト人が悪いのだと言っている。彼らが鉄というものを使い出したおかげで、人類はそれまでの青銅器文化から鉄文化に発展し、その結果、自分は鉄製の鋭利な包丁を容易に入手できることになってしまったことが、この犯罪の原因なのだと言っている。もちろん、4千年以上前のアナトリア半島のヒッタイト人と、現代のここ日本での犯罪とは何の因果関係もない。それを強引に結び付けてしまうのは、極端な論理の飛躍である。いや、飛躍ですらない。倫理の断絶かも知れない。この作中の男もそれが説得力を全く持たないことを知っている。だからこそ叫ぶのではなく呟いたのだ。その「論理」は社会に訴えるものではなく、自分の犯罪を正当化するための勝手な言い訳に過ぎない。

 作者は特定の事件を想定してこの作品を作ったのではないのではないと思う。現代社会にはこの種の強引な論理の飛躍(または断絶)で責任を逃れ、自己を正当化する傾向があまりにも多すぎる。そしてその傾向は、我々一人一人の内部にも全くないとは言い切れない。そんなことを思わせる一首である。

       ダイエットする前のサンプルとして太った人は必要である

       桜には飽きないけれど日本人が桜に与える意味には飽きて

       「担当者不在ゆえわかりません」と答えるための担当はいる