仕事終へ「また明日」といふ人のなくコトッと閉めぬ事務所のドアを

影山一男『桜雲』(2011年、不識書院)

 作者は短歌専門の小規模な出版社を経営している。他に社員はいない。通常、会社では勤務時間が終われば「それではまた明日」などと上司や周囲の同僚に挨拶をして退社するが、ここではその挨拶をする相手がいないのだ。或いはそう挨拶して一足先に退社する同僚や部下がいないのだ。作者も以前はもっと多きな出版社に勤めていて、夕方の職場には「また明日」という挨拶が飛び交っていたのであろう。そんなことを思い出しながら、心の中で誰にともなく「また明日」と言っているのかも知れない。

 個人経営の会社は、基本的に出退勤が自由である。それは気楽ではあろうが、そうしていたのでは会社が成り立たない。世間並みの勤務時間を決めて、一応それに従って勤務しているのであろう。それは厳しく自己を律する気持ちが無ければならない。相手がいなくても一応「また明日」と心の中で呟く、或いは空想の同僚がそう言いながら職場を出て行くのを想像しているのは自分に対するけじめなのであろう。

 ここでは「コトッと」というオノマトペが意外に効いていると思う。恐らくは殺風景で、商品の本の山がフロアを埋めているような事務所だろうと思う。その事務所に夕方響くドアを閉める音、それは無機質な音ではあるが、人間の存在を確認する音であり、一日一日の仕事のけじめの音でもあるのだ。平明に表現しているが、しみじみと心に沁みてくる一首である。

                        うつし世のさくら満開死をみつめさくら満開全身で咲く

      化粧せよそのたましひに化粧せよ夏の渋谷を行く君達よ

      ゴムの木も五年経てやや衰へぬ歌集百冊のど成りし間に