三井 修


発音をせぬKの文字 ナイフもておのがいのちを裁ちし男よ

本田一弘『磐梯』(2014年、青磁社)

 一昨日に続いてもう一首、刃物の歌である。ナイフの英語綴りはknifeである。語頭のkの音は発音しない。他にもknow,knee,knitなども語頭のkは発音しない。これらの言葉はいずれもknで始まっている。古代のイギリス人はこれらのkの音をそれなりに発音していたようだが、発音しにくい音なので、いつの間にかk音は発音から脱落していったようだ。しかし、発音は変わっても音の表記だけは残った。この辺りは日本の歴史仮名遣いにも似ている。それにしてもこの発音しない字がついているために中学生以来、英語の学習で悩まされてきた日本人は少なくないと思う。

 ナイフで自殺した男のことを知って、作者はナイフの英語綴りの語頭には発音をしないkの字が付いていたことを思い出した。英語の発展史の中で「脱落」した音である。逆に言えば、現代英語の発音では「不要」な字である。男の自殺の理由はこの作品では説明されていないが、深い事情があったのであろう。「脱落」にしろ「不要」にしろ、「発音をしないKの文字」はその男の人生の比喩のようにも思えてならない。そしてその男はまさにそのナイフを自分の命を絶つ道具として選択したのだ。自殺した男にそのことの意識があったとは思えないが、何とも皮肉なことである。

 最近、全国の20歳以上の男女を対象とした調査で、「本気で自殺を考えたことがありますか」という質問に対して、「ある」と回答しが人は25.4%であったという衝撃的なニュースが伝えられた。実に4人に1人である。この数字に愕然とせざるを得ない。社会として何らかのセーフティネットを整備する必要があるだろう。「発音をせぬKの文字」のような「脱落」や「不要」を容認するような社会が望まれる。

       何事もなかつた様にさるすべり咲き、咲き終り時は逝かむか

       たらちねの母音脱落してゆきし子音よわれの如くさぶしも

       山鳩はこゑひくく啼く三年をまだ見つからぬ死者をよぶこゑ