福井まゆみ『弾かない楽器』(2014年、本阿弥書店)
チェンバロとはハープシコードとも呼ばれ、鍵盤楽器の一種である。形はグランドピアノに似ているが、音の出し方が全く違うらしい。西欧でルネッサンス音楽やバロック音楽で広く使用されたが、18世紀後半からピアノの興隆と共に音楽演奏の場から徐々に姿を消していった。現在の日本の普通の家にはまずないであろう。ましてや、ピアノとチェンバロの両方がある家とはどんな家かと思う。実は作者は音楽大学でピアノ演奏を専攻したが、事情があってプロの演奏家にはならなかったようだ。「あとがき」に「わが家には四十一年前に購入したグランドピアノと、二十九年前に特注したフレンチスタイルのチェンバロがあります。どちらも今ではほとんど弾かない楽器ですが、思い入れがある楽器なので、タイトルとしました。」とある。「特注」というのが凄いと思う。
プロの演奏家にならなかった理由は明らかではないが、かつてはそれを目指したのだと思う。夢は諦めたのかも知れないが、忘れはしていない。弾かないまま置かれているピアノとチェンバロの圧倒的な存在感がそのことを示している。室内を除湿するのは楽器の機能を維持するためだろうが、弾かないまでも楽器の機能を維持するということは、作者の気持ちを表していると思う。
多くの人は小さい時にいろんな夢を抱く。あるところまではその夢の実現のために努めるのであるが、どこかで断念する。そして、現実との折り合いをつけて、いつしかかつての夢とは無関係の人生を送るようになり、実生活の繁忙さに埋もれていく。夢がそのまま人生になる人はほんの少数なのだ。この作者はその夢を今も忘れてはいない。「誰も弾かぬ」、「捨てる」といった表現はどこか淋しさを伴うが、同時に美しくもある。楽器と短歌を深く愛して止まない作者なのだ。
爪が割れピアノを弾けねば黒き粉(こ)を味醂に溶かして飲めと渡さる
チェロを売る歌は悲しい私(わたくし)は弾かない楽器を今も持ちをり
グランドピアノの羽の部分がひつかかり窓から出せない採寸すれば