動かねばおのづからなる濃き影の落ちてをるなり池の鮒の影

若山牧水『黒松』(1938・改造社)

若山牧水というと旅と酒のイメージが先立つが、晩年(といっても、44歳で亡くなってしまったのだが)、動けなくなってからの歌も、しみじみとした静謐をたたえて味わい深い。この歌は「池の鮒」と題した5首の内の1首。昭和3年、最晩年の作である。

 

牧水は昭和3年10月7日、沼津の自宅で永眠した。『黒松』は没後に刊行された歌集である。「創作」の牧水没後50年記念号によれば、「牧水生前にある程度編集しかけてあったのを没後若山喜志子、大悟法利雄の二人で編集し、全集にも『黒松』として載せてあったものを歿後十年記念として新たに単行本としたもの」という。巻末は「最後の歌」の2首、〈酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を〉〈芹の葉の茂みがうへに登りゐてこれの小蟹はものたべてをり〉である。

 

鮒が池の底に影を落としている。小題は「池の鮒」であるが、鮒を見ているのではなく、影を見ている。影の動きを追っている。作者の目は、魚というモノを見ているのではなく、動きというコトを歌おうとしているのである。

 

牧水の旅や酒は、好きだという以上の何ものかだ。このように、何かを前にしたとき、個々の物ではなく動きに主眼を置く傾向と通底している。この歌の次の歌は〈静やかに動かす鰭の動きにも光うごけり真昼日の池に〉。鰭の動きは、生命の動きに等しい。

 

歌の結句が8音で「影」の語が繰り返される点に注目したい。『海の声』以来の、牧水特有の調べを味わうことができる。