柳宣宏『施無畏』(砂子屋書房:2009年)
(☜3月20日(月)「憎むということ (7)」より続く)
◆ 憎むということ (8)
身近な人に憎まれる歌をもう一首紹介したい。今回は生みの親に憎まれる歌だ。
記憶の衰えのためであろう、母は食事を終えたときにはもう「もっと食べたい」と言い、介護をする息子をキッと睨みつける。ことが飮食に関わることであるから、母の持つ憎しみも相当なものか。そう思うだけで、心が苦しくなる。しかし、一首はたんたんと母の目にぎゅっと込められた憎しみの力を描写する。
「あたしにはひどい息子があつたんだ」母さん、妻にむかつて言ふな
こちらの一首でも、息子にとっては受け止めるには辛い母の行動が描かれているが、どこか母をその振る舞いごと包むような余裕と温かさを感じさせる。
幼子のたくらむごとき表情を母はするなりまだまだ死なぬ饅頭の白きを食ひてニッと笑む死にさうもない母に寄り添ふ
それは、「まだまだ死なぬ」「死にさうもない」と言った軽口のようなユーモアにも感じられる。
力がこめられた「われを憎しむ目」に、おそらくは私自身の目が映っている。それはきっとやさしさに満ちたもので、どんな憎しみであったとしても無に還してしまう。
だから掲出歌は、憎しみの力を描写することで、愛の力をしんじつ描き出した歌だと思うのである。
(☞次回、3月24日(金)「憎むということ (9)」へと続く)