光森裕樹


波とほく寄する耳鳴り 八月の雲が厚みを増してゆくとき

目黒哲朗『CANNABIS』(不識書院:2000年)


(☜5月24日(水)「月と空 (9月)」より続く)

 

◆ 月と空 (8月)

 

八月の入道雲がむくむくと膨れてゆくとき、耳鳴りはどこか遠い海の波が寄せてくる音のような気がする――
 

青年期の澄みとおった感性にあふれる「くしやみ」という連作から引いた。
 

川風に揺るるワンピースのそばでこんなに遠くきみを思へり
夏の水ひかるガラスの器には昨夜(きぞ)の祭の金魚うかべり

 

耳鳴りにもいろいろな要因があり、もちろん深刻なものもあるのであろうが、青年期と結びつくときには、自身と世界とが擦れ合ったり共鳴しあったりすることの現れであるような感じがある。
 

例えば、小島なおに次のような一首があった。
 

シーラカンスの標本がある物理室いつも小さく耳鳴りがする  小島なお『乱反射』

 

太古から形を変えていないとされるシーラカンスが持つ悠久の時間感覚と、日々過ぎ去ってゆく青年期の時間感覚の擦れが耳鳴りを生んでいるのではないだろうか。
 

掲出歌では雲が膨れて迫ってくる予感と、海を身近に感じることが、自らが夏そのものに飲み込まれるような印象を与える。「波」と「雲」という非常に大きな物事の捉え方も、それらの広大さを強調しているのではないだろうか。
 
 

(☞次回、5月29日(月)「月と空 (7月)」へと続く)