大松 達知


基督とモーツァルトの対談にそなえるごとく椅子ならびいる

大滝和子『滝とビーナス』(2007)

 

 とてもつもなくおかしなことを考える作者である。

 ナンセンスすれすれの冒険であり、思い込みの瞬間芸でもある。しかし、なんだか説得されて、書かれているシーンが想像できてしまう。

 そこには融通無碍なんていう言葉では表せないような不可思議な時間と空間が渦巻いている。

 

 椅子が並んでいる。100人収容ほどの小規模なホールでの公開対談のイメージがある。(密室の対談であれば、わざわざ椅子が「並びいる」とは言わないだろう。会議室の椅子はもともと対談できるように向かい合いで設営されている。)

 作者の発想の順序・過程はわからないが、喩えらるれている順序からすると、椅子が並べられている様子を見て、キリストとモーツァルトを想起したことになる。

 キリストもモーツァルトも歌集の中に繰り返して現れるモチーフ。作者の中で親しみがあるのだろう。それが読者にも伝わってくる。

 たいていの場合、比喩の部分に仕掛けはないし、そこは突っ込みどころではない。この歌の場合も、あっさりと読み過ごさせる仕組みでありながら、そこに大きな謎がある。

 その二人がどんな話をするかと言う前に、頭が混乱させられていまう感覚がおもしろい。