澤村 斉美


真木(まき)ふかき谿よりいづる山水(やまみづ)の常あたらしき生命(いのち)あらしめ

今井邦子『紫草』(1931)

今井邦子の師である島木赤彦は、大正15(1926)年3月27日に亡くなった。臨終までの10日間のアララギ同人の動きと赤彦の臨終の様子は斎藤茂吉が「島木赤彦臨終記」に書いている。それによると、今から85年前の3月24日の午前中、邦子は茂吉に、「どうしても一度、島木先生にお目にかかりたい」と涙を流している様子で電話をかけている。茂吉はすでに信州・下諏訪に病床の赤彦を見舞い、24日の早朝に東京に戻ってきたところだった。茂吉は邦子の願いをひとまずおしとどめ、その夜、アララギ発行所に主だった同人を集め、赤彦の病状について、胃がんであること、すでに重篤であることなどを報告する。その場で、邦子を含む赤彦門下の3女流と岡麓が、翌日信濃に発つことが決まり、邦子は25日昼過ぎ、新宿を発つ。結果的に、27日の赤彦の臨終に立ち会うことができた。

掲出歌は赤彦の亡くなる前年、大正14(1925)年9月に詠まれたものだ。これより14年前に、邦子は同郷の赤彦の弟子となり、アララギに入会した。それまで「くろ髪をなでゝ育てむいとし子の母てふわが身おそろしくなりぬ」など、母としての思いが濃い歌や、自意識の強い歌が多かった邦子が、赤彦の教えに従い、写実的な歌風へと歌を大きく変えていくのである。

真木(杉、檜などの常緑樹のこと)の群生する深い森林に谷があり、山水が流れている。清新で力強く流れ落ちる水の勢いを、常にあたらしき命がある、と感受している。「しめ」は、使役の助動詞「しむ」の連用形だろうか、命令形だろうか。命令形の方が良いように私は思う。「そこには新しき生命あれよ」と祈願する重厚な調べになり、山水の命を言祝ぐ表現になるからだ。後世の読者としては、「師匠の亡くなる前にこの歌が詠めてよかったですね。間に合いましたね」と邦子を慰めたくなる1首である。