青木麦生『阿佐ヶ谷ドクメンタ』(2010)
電子書籍として発表された歌集『阿佐ヶ谷ドクメンタ』(短歌・企画:青木麦生、撮影:馬込浩一郎、企画協力:佐々木あらら)より。
便宜上「/」で区切ってみたが、歌集では、1首がモノクロームの写真4枚(4ページ)で構成されている(できれば、どうにかして実物を見てください)。
まず、1ページ目は、左手に白いマグカップを持つ男(おそらく青木自身)の写真。そのマグカップに、「肛門が」という文字が黒々と浮かんでいる。2ページ目の写真では、パソコンのデスクトップに「一つしかない人間に」という文字。3ページ目では、コンクリートの地面に落ちた皺くちゃの紙に「もう用はない」。4ページ目では、民家のブロック塀にでかでかと「出ていきたまえ」の文字が並んでいる。
一見すると、風景写真の上に後から文字を合成しているように見えるが、実はそうではない。文字の形をしたシールを、カップやブロック塀に直接貼り付けているのだ。
『阿佐ヶ谷ドクメンタ』は、阿佐ヶ谷の街のあちこちに短歌シールを貼って制作した、風変わりな歌集である。収録歌数はわずか6首だが、不思議な味わいの短歌とハイセンスなデザインの相乗効果で、読み応えのある作品に仕上がっている。
度量の狭い人を罵る言葉に「けつの穴の小さい奴め」というのがある。「肛門が一つしかない」という表現は、そのバリエーションだろう。しかし、「穴が小さい」ならいざ知らず(?)、「一つしかない」となると、誰もが当てはまってしまうことになる。もちろん語り手はそれを知りながら、自分を含めた全人類に向かって「出ていきたまえ」と、高らかに宣告するのだ。
いきなり「肛門」という単語から始まってぎょっとする歌だが、奇妙にねじれた下の句が、一首全体の雰囲気をむしろ知的でユーモラスなものにしている。
短歌を貼り付ける場所が、室内のマグカップ→パソコン→屋外の地面→ブロック塀と、徐々に外へ開かれていくところも、内容とさりげなくリンクしていて面白い。
青木麦生は1978年生まれ。2007年から、自作の短歌を街に掲示するパフォーマンスをゲリラ的に敢行してきた。昨年11月には「松戸アートラインプロジェクト2011」に参加。「松戸歌壇」と題し、松戸のあちこちに短歌を貼りまくった。私は残念ながら足を運ぶことができなかったのだが、期間中は
隣人がうずまきだったしかたなく一緒に住んだ接吻もした
という歌が三角公園のベンチに貼ってあったり、
おはようとゴマのひと粒ひと粒に挨拶をする律儀なあなた
という歌が市民劇場前にあったりしたと聞き、松戸在住の皆さんを心底羨んだ。住み慣れた街を歩いているとき、いきなり未知の言葉に出くわして度肝を抜かれる。そんな短歌との出会い方が、もっともっとあっていい。
ちなみに、文字のシールは結構剥がれやすく、街路樹に貼り付けておいた
かさぶたのぬり絵を三十五種類の赤鉛筆で一晩中塗る
は、数日後に行ってみると「かさ」の部分が取れて「ぶたのぬり絵」になっていたという。