久々湊盈子『風羅集』(2012)
取れかかっているボタンのことを「着るたびに気づき脱ぐたび忘れ」てしまう経験は、誰しも身に覚えがあるものだろう。少なくとも、ずぼらが服を着て歩いているような私にとっては、ほとんど日常茶飯事と言っても良い。
けれども、この歌の場合は、それが「喪服のボタン」である、というところにドキッとさせられる。喪服に袖を通すときはいつだって急いでいるし、ひとたび脱いでしまえば「次に着るとき」のことは考えたくない。「今にも取れそうなボタン」は、人の死に向き合うときの、危ういこころを象徴しているようでもある。
空車(むなぐるま)となりて戻りし霊柩車まひるひそりと給油しており
別の一連に収められている歌だが、こちらもやはり死の儀式の周辺を詠んでおり、印象深い。ひとつ仕事を終えた霊柩車が、次の仕事のために給油している。ガソリンスタンドでその場面を目撃したとき、語り手はふと、人の生のはかなさを感じたのである。「むなぐるま」という古語の響きが、「空しい」という語を連想させる。さりげないが巧みな歌だ。
『風羅集』は、久々湊盈子の第8歌集。しみじみする歌を引用したが、歌集全体の空気はそれほど暗くない。
昨日の敵は今日も敵にて慇懃に「ごきげんよう」と言いて別れ来
はばかりて世に靡きたるブタクサもこのごろとんと矮化のきざし
音たてて国が変わるということのまさかに大き仙人掌の花
いずれの歌も、微量の毒を忍ばせながら、どこかにからっとした味わいがある。
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