水鳥の頸のかたちの親指が吊革にあり首都冬に入る

山崎春蘭『外大短歌』3号(2012)
 
今年は暖冬になると聞いていた気がするのだが、なんだかエルニーニョ現象が終わってしまったとかで、えらく寒い冬になるそうだ。短い秋はあっという間に終わろうとしている。
 
いま私はこれを満員電車の中で書いていて、吊革につかまる人の親指をちらちらと見比べている。こうして改めて見ると、吊革の持ち方はいろいろだ。私は、人差し指から小指までを輪の中に通して握り、親指は輪の外に出して添えるスタイルだが、輪の中に手首ごと突っ込んでいる人もいれば、人差し指から薬指までの第二関節までを軽くひっかけている人、輪の上の付け根部分をぎゅっと握りしめている人もいる。どのスタイルをとるにせよ、親指は常に手前にあり、そして、幾分所在なさそうにしている。
 
この歌の「親指」は自分のものか、人のものだろうか。たとえ自分の指だとしても、自分とは切り離された存在として、遠く眺めている感じがする。身体の一部を何かに見立てること自体はよくあることだが、ここでは「水鳥の頸のかたち」という見たてが大変美しく、キマっている。「水鳥」と「冬」の取り合わせは、きーんとした冬の寒さを連想させるし、飛び立てないまま吊り革に首をもたげている「水鳥」の姿に、清潔な哀しみのようなものを感じ取ることができる。
親指のクローズアップから、いきなり「首都冬に入る」と大きな視点に転換するところもダイナミックだ。
 
東京外国語大学の『外大短歌』の3号が発行された。私が同大学に通っていた頃には短歌会は存在せず、「遅れてきたOG」のような立場で時々歌会に参加させてもらっている。メンバーは、専攻語科も異なり(ロシア語、アラビア語、ペルシャ語にヒンディー語など)、短歌の作風もばらばらだが、言葉に対する真摯な興味という点では皆共通している。手前味噌だけれど、良いセンスの人が揃っていると思うのだ。

 

3号から、それぞれ1首ずつ紹介する。
 
  サンフランシスコの大きな妹に笑われているようなしずけさ    山崎春蘭
  コロンブスの潰しし卵の割れ目よりどろり白身の染み行く世界    高畠亮輔
  船乗りはまくろき鯨曳く夜もかろき哀しみもてあましたり   本馬南朋
  長電話切らないように少しずつ服脱いでいくことを覚えた    黒井いづみ
  凍てついた弦を弾けばつらつらとうどんの谷に落ちて行く音    幸瑞
  未明、こさめと雨とのなかばあたり、蛾のさはさはと消えゆくいづこ    藤松健介
  マグカップ落ちてゆくのを見てる人、それは僕で、すでにさびしい顔をしている    千種創一

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