せまりたるこの決戦の様相に一億のみ民直にいむかふ

斎藤茂吉『萬軍』(1988年)

 

*原作の漢字は正字。「直」に「ただ」のルビ。

 

これから一年間、一首の歌について書くことになった。短歌はことばで出来ている。ことばにそって作品を読んでいこう。わかりやすい文章をめざしたい。

 

さて上の歌は、「新春(昭和二十年)」と題する一連十首の中にある。四句の「み民」は「御民」とも書く。天皇のものである人民という意味だ。万葉集<御民われ生けるしるしあり天地の栄ゆる時にあへらく思へば>のように使われる。茂吉の歌は、いよいよ迫ってきたこの決戦のありさまに、天皇のものであるわれわれ一億の民は向かう、という。さあ、がんばろう。

 

迫ってくるものを「決戦」の一語で済まさず「決戦の様相」とひと手間かけた表現にするところが上手い。和語「ありさま」ではなく漢語「様相」を使い、「ケッセンノヨーソー」と固い響きを作る。「ケッセンのアリサマ」では締まらない。戦時下日本への応援歌として、上々の仕上がりだ。この歌が作られてほぼ7カ月後、ポツダム宣言を受諾して日本は敗戦国となった。

 

歌が作られたのは今から68年前だが、人類の歴史から考えれば68年前はつい昨日だ。茂吉に限らずつい昨日の歌人たちはこうした歌の制作に励み、日本人はこうした歌からいわば元気をもらっていた。戦意高揚に奉仕する定型短詩。出来るならくりかえしたくない史実だ。だがついい昨日がこうだった以上、すぐ明日がこうならないとは誰もいえない。というより、なっても何の不思議もない。戦後生まれの一市民の個人的な体験をいわせてもらえば、昨年十二月の北朝鮮のミサイル発射をめぐるラジオニュースで、日本政府がミサイルの「破壊装置命令」を出したと聞いたとき、私はわくわくした。そして自分に驚いた。戦争はまっぴらごめんと思っている私がわくわく? でも心おどるのだ、理屈抜きで。「ハカイソチメーレー」、この爽快にして高らかな響きよ。たぶん太平洋戦争開始日12月8日の日本人のわくわく感は、私がこのとき味わったものの百万倍ほどあっただろう。

 

三橋敏雄<あやまちはくりかへします秋の暮>が浮かぶ。明日の短歌がどうなるかは誰にもわからないが、つい昨日のこういう新春詠を前にすると、短歌ってこわい詩形だなあとつくづく思うのである。

 

『萬軍』は「ばんぐん」と読む。作者の自選戦争歌集だ。上の歌は紅書房刊のものに拠ったが、同じ集名で他の版もあり、その辺の入り組んだ事情は秋葉四郎著『茂吉 幻の歌集『萬軍』茂吉の自選戦争歌』(2012年 岩波書店)に詳しい。

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