万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり

明仁天皇 歌会始の儀(2013年)

*「万座毛」に「まんざもう」のルビ、「彼方」に「あがた」、「恩納」に「おんな」のルビ。

 

題詠「立」の一首だ。

ふだん私は無記名方式の歌会(作者名なしの詠草を批評し合い、会の最後に作者を発表)に参加しているのだが、詠草プリント上でこの歌に出会ったとしたらどう読むか考えてみよう。

 

さわやかな歌だ。かつて沖縄の万座毛を訪ねた<わたし>が、当時のことに思いをはせつつ、いま再び万座毛の地を歩いてゆくと、向こうの方に恩納岳がくっきり立っているのが見える、という。あるいは「昔をしのび」は、万座毛を訪ねた経験のない<わたし>が、いまそこを訪ねて土地にまつわる古事に思いをはせている、ということかもしれない。歌のことばは「昔」を特定していないので、どちらとも読める。

 

「万座毛」「恩納岳」の地名がいい。漢字の字面、「まんざもう」「おんなだけ」の音、ともに魅力がある。ただ、一首に固有名詞を二つ入れることには賛否両論あるかもしれない。注目するのは「彼方」に振られたルビだ。「あがた」の響き。実作者として使ってみたくなることばだが、辞書には「あがた」の読みは出ていない。古歌に用例があるのだろうか。

 

音数は67687と三十四音で、かなりの字余りだ。初句と四句は固有名詞を入れたため音が増えるのは止むをえない。三句は「行きゆけば」などにすれば容易に五音となる。だが作者はそうしない。字余りを恐れず「巡り行けば」と韻律をゆったり響かせた。力量を感じる。

 

さて、ここで作者名が明かされたとする。「あがた」は古歌に用例があるらしい、とまず私は思うだろう。語彙には専門家のチェックが入っているはずだ。次いで、天皇に詠まれた沖縄の人達はどんな感想を持つのか、と思うだろう。宮内庁がこの歌にゴーサインを出すということは、喜ぶという判断なのか、それとも――と思いは歌のことばを離れていくのでここでは立ち入らない。

 

短歌を作り始めとき、私は自分が読み書きする短歌と歌会始は無関係だと思っていた。しかし、やがてそうとも言っていられないことがわかってきた。

歌人として他分野の人々と接する機会の多い諸氏(佐佐木幸綱、栗木京子、穂村弘)の、最近のことばを紹介する。

 

「短歌研究」2012年12月号 「2012年歌壇展望座談会」より

以下引用

佐佐木 林真理子さんとの対談で、俳句は芭蕉以来スポンサーの文学だという話が出て、今でも歌人は食えないけど俳人は食える、そんな話をしていたら、でも短歌は皇室という大スポンサーがいるでしょうって(笑)。

栗木  すごい誤解。

佐佐木 そう見えるんだよ(笑)。

穂村  大昔からクライアントが天皇で、コピーライターが人麻呂や額田王で、合ってますね。

佐佐木 そう外側から見られているんだね。我々は、短歌業界内部のことにかかりきりで、外向けの発言や論争をしない。金持ちでもないのに喧嘩せずで来ているな。

引用ここまで

 

なお、宮内庁ホームページの「歌会始」のコーナーには、一首の英訳とローマ字表記による歌が掲載されている。

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