月光の柘榴は影を扉におとす重き木の扉(どあ)なればしずかに

永田和宏『黄金分割』(1977年)

 

クロロフォルム微かににおうわが午後を茫茫と窓にいしも見られつ

かたくなな一人に疲れゆく街のいずくにも美しく硝子撓める

驟雨たちまち街に埃のにおいたつからくも耐えて来し怒りはや

夢のごと駆けるキリンよかろがろとわれも振り捨てたきものもつを

夜の窓に撓みて水のごとき樹々 ことばやさしくわが拒まれぬ

またひとつ怒りとはならざりし悔しさの向日葵畑を行く遠まわり

紅葉(こうよう)は世界を覆い汝をおおいふとも抱けば火は匂うかな

 

『黄金分割』は、著者30歳の年に上梓された、永田和宏の2冊目の歌集。若さゆえの繊細な生のありようが、直接的に描かれていく作品たち。無防備という語は適切でないかもしれないが、そんなことばが浮かんでくる。あるいは次のような作品。構図の確かさ、美しさが、読者にまっすぐに届く、そんな作品たち。

 

夕闇の安楽椅子に座りいて頭より他界へ入りゆく母よ

スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学

キリンの死にしニュースもありて休日の朝の肺腑に雨やわらかし

 

短歌という詩型が、若い精神と肉体を親しく受け止めている。そんな言い方ができるだろうか。若い精神と肉体の、その可能性が健やかに具体化されている。

 

月光の柘榴は影を扉におとす重き木の扉(どあ)なればしずかに

 

「月光の柘榴」。「月光」と「柘榴」を「の」で結んだだけのフレーズだが、ここには、まるで柘榴が月光のすべての力を蓄えているような、そんな豊かさがある。「の」の後のかすかな切れが、正しく詩を立ち上げていく。

「重き木の扉(どあ)なればしずかに」。ここに、本来因果関係はない。重い木の扉であってもなくても、「しずかに」ということもあれば、ないこともある。しかし永田は、「3-4・3-4」のリズムで、やわらかに断定する。やわらかだけど、説得力をもって。断定は、「重き木の扉(どあ)」の存在感を動かないものにする。一首の主題は、柘榴の影から重い木の扉に入れ替わる。そして、最後に置かれた「しずかに」。ここで再び、主題は柘榴の影になる。

若い精神と肉体の可能性。それはときに、荒々しいかたちをとる。しかし永田は、理の力によってかたちを与えていく。こうした理の力を、短歌という詩型が受け止めてくれているのがうれしい。