伝ナムジュン・パイク(1960年代)
ナムジュン・パイク(1932-2006年)は、ビデオ・アートの開拓者として世界的に知られる韓国出身の美術家だ。冒頭に掲げたパイクの名の前に「伝」とあるのは、この一首が孫引きによることを示す。パイクよりやや若い1938年生まれの画家谷川晃一は、自身と同年である春日井建の歌集『水の蔵』の解説に、こう書く。〈六〇年代の初め、東京に暮らしていた音楽のダダイスト、ナムジュン・パイクは渡米するにあたって「カカカカカ キキキキキキキ ククククク ケケケケケケケ コココココ」という一首を詠んで去っていった。〉
パイクの歌は、仲間内の会話の中で成されたものだろうか、それとも何かの雑誌に文字となったのか。残念ながら、私の調べた範囲ではわからなかった。ご存知の方がいたら、ご教示を乞う次第だ。
〈カカカカカ/ キキキキキキキ/ ククククク/ ケケケケケケケ/ コココココ〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。歌集の解説でこの歌に出会ったとき、同じことを考える人はやはりいるんだな、と私は思った。およそ短歌の初心者というものは、「さあ、作ってごらん。短歌のきまりはただ一つ、五七五七七という形式だけ」といわれる。いわれれば、「じゃ、〈あああああいいいいいいいいうううううえええええええおおおおおおお〉でもいいわけね」と思う。よほどの正直者か、よほどの捻くれ者は、そう思う。私は正直者なのでそう思った。ダダイストのパイクはたぶん捻くれ者の方だろう。思うだけでなく、口に出すか、文字で表した。六〇年代という時代もあったかもしれない。
谷川晃一は、上の一節につづけてこう書く。〈確かにこの歌は実験的で、如何にも反芸術的で面白い。だがその面白さは一回性でしかない。この歌をくり返し詠む意味はない。私はダダにも多くの可能性を感じはするが、その表現のインパクトが一回性でしかない点に限界を感じてならなかったのである。〉
ダダイズムはいわば「思いつき」の芸術らしい。ダダ式に思いつきを進めてゆけば、「五七五七七という形式だけ」の短歌は、〈あああああああああああああああああああああああああああああああ〉でもいいことになる。さらに進めば、一音ぶんの空白「 」を、三十一回くりかえす〈 〉
でもいいことになる。ジョン・ケージが1952年に発表した楽曲『4分33秒』(4分33秒間の沈黙。演奏家はその間、演奏をしない)の短歌版だ。こうした「思いつき」は、とうにいろいろな作者が考えていることだろう。
面白さが一回性でしかない歌を、くり返し詠む意味はないという谷川の意見は、まっとうなものだ。ところが、この「一回性だけの面白さ」は、なかなかしぶといようである。
パパパパパタタタタタタタカカカカカラララララララわはははは 山口広穂
「NHK介護百人一首」の2012年の百首に入選した歌だ。結句「わはははは」の五音は、初心者作品によく見られる字足らずだろう。作り慣れた作者だったら「わはははははは」としたかもしれない。いずれにせよ、「カキクケコ」ならぬ「パタカラ」の展開方式は、パイク作品に準じる。だが、「本歌」がほぼ無名である以上、入選歌作者の「思いつき」が、いま現在の短歌として評価されたことになる。古びたアイディアとは思われなかった。興味ぶかい現象である。
なお、この入選作には次のような注がついている。
施設で口腔体操をしている利用者の方々が、パタカラという言葉の言いづらさに噛んでしまったりして、利用者同士で笑いながら楽しみながらパタカラ体操をしている様子。
*パタカラ体操とは…舌、唇やその周りの筋肉(口輪筋、表情筋など)の衰えを防止、改善を目的とした体操。 (「NHK介護百人一首」ホームページ)