吉野 裕之


雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる

澤村斉美『夏鴉』(2008年)

 

『夏鴉』は、地味とも思えるが、とても強烈な印象を与えもする、そんなタイトルだ。一冊を読み終えると、確かにこのタイトルが相応しい一冊であることに納得する。

 

雲を雲と呼びて止まりし友よりも自転車一台分先にゐる

 

雲も、友も、自転車も、いきいきとしている。いきいきと輝いている。いいなあ、と思う。おそらく、若くなければつくれない一首だ。

友とふたりで、おしゃべりでもしながら、ゆっくりと自転車を走らせているのだろうか。友は、雲を雲と呼んで止まった。〈私〉は、すこし遅れて止まる。ちょうど「友よりも自転車一台分先にゐる」〈私〉。たったそれだけのこと。そう、たったそれだけの。

しかし、それだけのことは、このときだけのもの。「自転車一台分先にゐる」ことを、つまらない言い方になるが、能力や成功といった判断とは関わりなく受け取ることができる時期は、つまりことばにできる時期は、けっして長くはない。そして、雲を雲と呼べるのも。

6・7・5・8・7。すこし字あまりの、ゆったりとした韻律。下句の句またがりも心地いい。

 

山間に朝が降りてくる銀色の大きとんぼが横切りてのち

セロテープひらひらと指に泳がせて来るはずの人来るまで長し

喪主として立つ日のあらむ弟と一つの皿にいちごを分ける

不意に影もたらし長くとどまれる父は襖と思ふまでしづか

冬の陽の名残を沼に見てゐたりさいごはすつと水に吸はれる

しやがんでゐたときにリュックが温かく公園の昼 一人づつの昼

椎の葉と葉とのあひだに生む光もぎとるやうに葉をちぎりたり

手を垂れて生木のやうな体にてわれは市バスに運ばれてゆく

ただ夏が近づいてゐるだけのこと 缶コーヒーの冷を購ふ

大学にあたらしき窓ふえてをり「ガラス注意」の赤き文字見ゆ

 

不思議な一冊だと思う。〈私〉は立ち上がってくるのに、それ以外のもの/ことがなんだかとても掴みにくいのだ。「逆光の鴉のからだがくつきりと見えた日、君を夏空と呼ぶ」「からだの中の柊を見てゐるやうな君のまなざし 逢ひたいと言ふ」といった佳作も、しかし「君」の姿は見えない。

澤村斉美は、世界とそんな関係を結んでいるのだろう。「弟の寂しさとわれの寂しさと 雪と霙のやうに違へり」。それが、「われの寂しさ」なのだろうか。聡明さは、痛みを生む。