眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)

佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』(2006年)

 

『眼鏡屋は夕ぐれのため』という歌集を手にとってひらくと、「眼鏡屋は夕ぐれのため」という最初の章タイトルがあらわれ、「眼鏡屋は夕ぐれのため……」と巻頭歌が始まる。

〈眼鏡屋は/夕ぐれのため/千枚の/レンズをみがく/(わたしはここだ)〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。物語のはじまりを告げる歌だ。

 

むかしむかし、あるところに、ひとりの眼鏡屋がおりました。眼鏡屋は、くる日もくる日も、店の奥の小さな机の前に腰かけて、レンズをみがきます。鼻に小さな眼鏡をのせ、せなかをまるめて、日がなせっせとみがきます。レンズの数はきっかり千枚。朝に四百枚、昼すぎに四百枚、おやつのあとに――おや、そろそろ夕ぐれが近づいてきました。耳をすましてみてください。

 

(わたしはここだ)

(わたしはここだ)

 

ほら、聞こえるでしょう。夕ぐれは、ゆたかなバリトンでつぶやきながら、空のむこうからゆっくりやってきます。つぶやきが店のまえに到達し、ぴたりとドアの前で立ちどまるまでに、眼鏡屋は千枚のレンズをみがきあげねばなりません。

 

いえ、いそがなくても、だいじょうぶ。いつものペースを守っていれば、じゅうぶん間に合います。そうやってみがきあげた千枚のレンズと共に、夕ぐれをむかえるとき、眼鏡屋は一日のなかでいちばんしあわせな気持ちになるのです。レンズみがきのすばらしさ。このすばらしさは、みなさんもごぞんじのように、昔からいろいろな人が味わってきました。

 

水欲りてみなみの魚座音たてずあらはるる夜のレンズをみがく  小中英之『わがからんどりえ』 *「魚座」に「うをざ」のルビ

若き日のあこがれなりきスピノザは生活の糧にレンズ磨きし  安立スハル『安立スハル全集』*「生活」に「くらし」のルビ

 

安立スハルさんのように、眼鏡屋もまたスピノザにあこがれた口のようです。本人は恥ずかしがっていいませんが、眼鏡屋のことをスピノザの末裔だねえなどといってくれるお客さんもおられるようです。ああ、こんなお話をしているうちに、いよいよ夕ぐれが近づいてきました。

 

(わたしはここだ)

(わたしはここだ)

(わたしはここだ)

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