うみ おちて つち に ながるる かき の み の ただれて あかき こころ かなし も

会津八一『寒燈集』(1948年)

 

会津八一は、1881年8月1日に生まれ、1956年の今日11月21日に75歳で死去した。

 

短歌入門者の頃、アンソロジーで会津八一の項を開いてぎょっとした。分かち書きのひらがなが、雨だれのようにびっしりページをおおっている。経文のようなおどろおどろしさ。あわてて他の作者のページへ移った。うっかり読んだら呪いをかけられそうで、とても読めない。

 

ところがその後、筑摩書房『現代短歌全集』の幾つかの巻で『南京新唱』『山光集』『寒燈集』を見ると、分かち書きされていない。冒頭に掲げた一首は、〈うみおちてつちにながるるかきのみのただれてあかきこころかなしも〉と表記されている。歌の内容も、読んでみればしごくまっとうだ。拍子抜けした。調べてみると、分かち書きは、作者が後年『会津八一全歌集』の発行に当たり採用したものなのだった。筑摩書房の全集は初版本を底本としている。『現代の短歌』(高野公彦編)、『近代短歌の鑑賞77』(小高賢編)などのアンソロジーは、全集の表記に依っている。本欄の表記は、「会津」の字を含めアンソロジーに倣った。

 

〈うみ おちて/ つち に ながるる/ かき の み の/ ただれて あかき/ こころ かなし も〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。三句「かき の み の」の、とびとびに置かれた「の」「み」「の」が視覚的におもしろい。一首を漢字交じりで書くと〈熟み落ちて土に流るる柿の実の爛れて赤き心かなしも〉となるだろうか。柿の実が土に落ちてどろどろになっており、その爛れたような赤がかなしいことだ。晩秋の風景である。

 

さて、分かち書き採用の弁として、『会津八一全歌集』(1951年)の例言に作者はこう書く。〈従来著者が行ひ来りし如く、仮名のみにて歌を綴りながら、一字一字の間隔を均一にせば、欧亜諸国の文章よりも、遥かに読み下しにくきものとなるべきに気付きたれば、この全歌集に於ては、単語の識別に便ならしむるやうに、その間隔を加減し、活字の組み方に変革を断行したり。これをしも尚奇異、偏屈なる如く見る人あるとも、それその人々の見るに任すべし〉(『会津八一全集』第五巻収録)。最後のくだりは、この人の顔写真から受ける偏屈者という印象どおりの捨て台詞だ。ともあれ、二つの表記をならべるとこうなる。

 

うみおちてつちにながるるかきのみのただれてあかきこころかなしも

うみ おちて つち に ながるる かき の み の ただれて あかき こころ かなし も

 

どちらの表記をよしとするか、読者によって評価は分かれるだろう。私は、分かち書きに票を投じる。なぜなら、分かち書きは「単語の識別に便」であると共に、というよりそれ以上に、「おどろおどろしさの創出」に寄与するからだ。ひらがなが雨だれみたいにだらだらこぼれない会津八一なんてつまらない。

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