江戸 雪


「好きだつた」と聞きし小説を夜半に読むひとつまなざしをわが内に置き

横山未来子『水をひらく手』(2003年)

同じ夢をみたい。
大切におもうひと、愛するひとができたら、そうかんがえるようになる。
もちろんひとはまったく重なり合うことはできないし、感性や表現はそれぞれだけれど、
せめて同じ方向をみていたい。

会話のなかで、そのひとが愛読していた本の名を耳にした。
読んだ本の名を話す相手は、おもえばわりと限られている。気を許し、自分を理解してくれるとおもうひとにだけ、こっそり教えたくなるのだ。
それは、自分の思想やかくしておきたい内面を語ることにすこし似ている。

小説の名をどんなふうにきいたのかはべつとして、そのひとをわかりたくてその小説を読む。
自分が読みながら、そのひとが読んでいた姿、場所、そして「まなざし」を想像している。
あのひとは、どんなシーンが好きだったのだろう…。
ときに共感し、ときに驚きながら小説を読んでいる姿は純粋そのもの。

やがて、そのひとの「まなざし」が自分のなかに存在している。