大田美和『飛ぶ練習』(2003年)
作者名と前後の脈絡を抜きにして読んだとしたら、どんなシュチュエーションが思い浮かぶだろう。学生時代の合宿風景、または寮生活の場面などか。連作の前後を読むと、好きなヒトは生まれたばかりの息子、好きだったヒトは夫、であるらしいことがわかる。ヒト、の表記には、深刻になり過ぎないユーモアと同時に、家族の命を動物的な生理でとらえようという意欲も感じられる。
夜の場面ではなく、朝、それもたぶん休日の朝、主人公だけが早く起きた。連作で読むとさらに明らかだが、春の雪、という言葉には、はかなさと同時に明るい印象があるので、この一首を読んだだけでも、朝の感じは伝わってくる。息子は生まれたばかりなので、眠っていても仕方ないが、夫に対しては、いつまで寝てるんだ、という軽い批判の気持ちもある。
恋人同士が夫婦になり、新しい家族が生まれると、二人の関係もだんだん変わってくる。互いが、家庭の外で仕事を持っている場合は尚更だろう。それはよくわかるし、好きだったヒト、というのは、嫌い、とは違って、様様な現実を引き受けた上での愛情表現とも言える。よく考えてみると、好きだったヒトと暮らせるのは、好きなヒトと暮らすよりもずっと幸福ではないか、とも思う。
それよりも、子供に対して、好き、という言葉を使うことに微かな違和感と新鮮さを感じた。前回の永田淳の一首を見てもわかるように、作者独特の感覚というより世代的な感覚なのかも知れない。好き、は、嫌い、と対になった言葉だ。親の子への愛情は、なんとなく、好き嫌いを越えた絶対的なもののように感じていたが、いまの社会で子育てをする人たちの、素直で真剣な感覚なのだろう。