一ノ関忠人


秋たけし獄舎はかなし夜ごと夜ごと/鈴虫の音の/細ぼそり行く

金子文子『金子文子歌集』(1976年)

 

関東大震災は、被災だけでなく社会に大混乱を引きおこした。

その一つが流言蜚語。震災を利用して朝鮮人が各地に放火、井戸に毒物を投げ込むという流言が乱れ飛び、それを真に受けた市民が自警団を組織、朝鮮人狩りをはじめた。芥川龍之介が自警団に加わり、折口信夫があやうく自警団に問詰されそうになっている。時の政府と軍部の策謀があったという。

流言を利用して、保護検束の名目のもとに社会主義運動や独立運動をくわだてる朝鮮人たちを一挙に逮捕する。大杉栄、伊藤野枝夫妻はこの時憲兵隊に虐殺される。朴烈と同棲していた金子文子も9月3日に保護検束された。

そして、そのまま引きつづき治安警察法違反被告として、市ヶ谷刑務所に起訴収容。やがて大逆罪にフレームアップ、死刑の宣告を受ける。翌日、恩赦で無期刑に減刑されるものの金子文子は、その特赦状を受け取るなり、引き裂いたという。

どこまで本気だったかわからないが、みずから死刑の宣告を受けることを待ち望むような不用意な発言を金子文子はしている。

「坊ちゃん一匹やっつければ好い」「天皇は病人ですから」「宣伝価値が違」う――金子文子の発言である。坊ちゃんは当時の皇太子、後の昭和天皇であり、天皇は病弱だった大正天皇。つまり皇太子謀殺の計画があったかのように。

その後、朴烈は千葉、文子は栃木の刑務所に移された。そして1926(大正15)年7月23日、栃木刑務所において縊死。

刑務所内で金子は手記とともに短歌を作った。啄木歌集の差入れを願い、啄木の短歌を手本に200首ばかりの短歌を残した。手本が啄木だから、金子文子の遺した短歌も三行書きになっている。

 

自(し)が指をみつめてありぬ小半時/鉄格子外に/冬の雨降る

朝な朝な爪立ちて見る獄庭の/銀杏の緑/いや増さり行く

山椒の若芽摘み取り香を嗅げば/つと胸走る/淡きかなしみ

指に絡む名もなき小草つと引けば/かすかに泣きぬ/『われ生きたし』と

よろめきつ又よろめきつ庭に立てば/秋空高し/獄の昼すぎ

 

獄中でふと目にしたり、感じたりしたことを啄木風の短歌の形にまとめている。これが短歌を作りはじめたばかりの二十歳をわずかに越した女性の作である。勿論拙いけれど、才を感ずる。二首目「いや増さり行く」、三首目「つと胸走る」五首目「よろめきつ」の繰り返し、そして今日揚げた一首の「夜ごと」のリフレインと「細ぼそり行く」、獄中のはかなさが伝わってくる。なお生きて生きて作る多くの短歌を読んでみたかった。

『金子文子歌集』(黒色戦線社)の略歴によれば、「みじめな生活環境に生長」とあり、さらに父方の祖母に迎えられて朝鮮へ赴き、そこでまた七年の「地獄の生活」を経て日本に帰される。それでも正則英語学校や研数学館などで寸暇を惜しんで学ぶような向学心、また能力もあったのだ。それはこれらの短歌にあきらかであろう。

 

これ見よと言わんばかりに有名な/女にならんと/思ひしことあり

うつむきて殿の下より他人(ひと)を見ぬ/世の有様を/倒に見たくて

真白なる朝鮮服を身につけて/醜き心を/みつむる淋しさ

手足まで不自由なりとも/死ぬという、只意志あらば/死は自由なり

 

いかにも不屈の金子文子というところだ。短期間のうちに自分の表現として短歌を手中にしている。金子文子については、瀬戸内寂聴に『余白の春』がある。