召さるる日あるひは近しひと夜おそく焚くべきは焚けり思ふべきは思へり

大西巨人『日本人論争 大西巨人回想』(2014年)

 

大西巨人が短歌好きであることは承知していたが、まとまった量の自作短歌があることは、この夏出版された『日本人論争 大西巨人回想』(左右社)に収録された長男赤人が質問者となって父巨人が答えるインタヴューではじめて知った。

大西晩年に書斎から私家版歌集が発見される。四百字詰め原稿用紙二つ折り25枚に百十首の短歌が、万年筆で清書されていた。この手書き歌集は「春雪集 昭和十六年」(67首)、「行雲集 自昭和十七年至昭和十九年」(33首)、「紫花集 自昭和二十年」(10首)の三部に分かれ、戦後間もない時期に作られたものらしい。それ以外にも「日本短歌」や「日本歌人」に掲載されたものも『日本人論争』には収録されていて、「大西巨人短歌集」がここにほぼまとまったということだ。さらにこれらの短歌と作歌当時の様子を語ったインタヴューが同時掲載になっていて、大西ファンには嬉しい資料である。

これらを読むと大西巨人の作歌は、昭和15年から戦後間もなくまでに限られているようだ。それ以降は小説に創作の中心が移ってゆく。五歳のときにすでに後醍醐天皇の和歌に反応する巨人だが、実際に、そして本格的な短歌創作は、「日本短歌」(1940年5月)への投稿かららしい。そして翌年(1941年)には「日本歌人」に入会している。「日本歌人」は前川佐美雄が主宰する結社誌。私家版歌集の第三部には前川佐美雄の一首がエピグラフに使われている。戦後の「オレンジ」にも巨人作が掲載されているようなので、前川佐美雄の短歌への愛着と信頼は長く続いていることが分かる。

 

ここに生きし穴居の民もわれわれも悲しきいのちはおなじことなり

いのちありて仰ぐ夜空や深ぶかと星青みつつ果てしもあらず

文字に倦みし眼の捉へたる夜の蜘蛛を殺して心ややたかぶりぬ

さり気なくわが値を言ひてほほゑめるをんな悲しやこの夜の市

なにを願ひ何を求めて生きこしと顧みるや秋を柿落葉深く

ある宵は骨肉の情ににがく負けて秘めたる花を冬風に放ちぬ

 

「いのち」の語が多いのは、作者が青年期であることと戦争という背景があるからだろう。女性を歌い、家族との軋轢、不安や孤独、真摯に短歌表現に取り組んでいることが分かるだろう。これは「春雪集」に収録されている歌であり、今日の一首も同じ部類にある。

大西に召集令状が届くのは1941(昭和16)年12月12日(または13日)、その前に「点呼」があった。正式には簡閲点呼、予備役や凱一補充兵(徴兵検査に合格したが、入営していない者)が集められて「敬礼服装姿勢態度及健康状態等」の査閲点検。その点呼があった頃にこの一首は詠まれている。点呼によって実際に召集があることを強く感じたのであろう。その日が来た時のために身辺整理をしているということである。夜遅く何を焚いたのだろう。そして何を思ったのだろう。焚くのは恋文、私信のたぐい、あるいはマルクス関係の禁書であり、思うのはこの国わが身の行く末であろうか。そして近い将来に予定される軍隊内務班における生活もその内に含まれていようか。

『神聖喜劇』の東堂太郎は、勿論そのままではないが大西巨人の体験が大きくかかわっていることは大西自身が述べていることだが、東堂同様、変わった兵隊であったことは、どうやら間違いない。どう変わっていたのか。それは『神聖喜劇』をお読みくだされば、了解されるはずですが、兵隊になった大西巨人の考えの一端が、東堂を藉りて述べられている箇所がある。インタヴューにも引用される箇所である。

 

一つの奇怪な想念が別に私にあったのを、私は自白しよう。それはまた前記の二断面【「世界は真剣に生きるに値しない」とする一種の虚無主義(ニヒリズム)及び「この現実この戦争を阻止する何事をも私が実際的に為し能わず現に為していない以上」は実戦に加わって「私は、この戦争に死すべきである」とする内部衝迫】と撞着するに似る思想であった。もし私が、ある時間にみずから信じたごとく、人生において何事か卓越して意義のある仕事を為すべき人間であるならば、いかに戦火の洗礼を浴びようとも必ず死なないであろう。もし私が、そのような人間でないならば、戦野にいのちを落とすことは大いにあり得るであろう。そして後者のような私の「生」を継続することは私自身にとって全然無意味なのであるから、いずれにせよ戦場を、「死」を恐れる必要は私にはない。――「生」に対するこの言わば「傲慢な思い上がり」は、戦後の死ななかった私に、人生の手きびしい返報を齎しつつあるかにもみえる。あるいは、死ななかったことそれ自体が、そういう私にたいする「生」の皮肉な報復であったのかもしれない。

 

長い引用になったが、『神聖喜劇』第一部「絶海の章」第一「大前田文七」の後半、もうこの項が終わる寸前(光文社文庫版第一巻35P)に、この思いは語られている。教育召集を受けて対馬へ渡り、入隊直後身体検査を受ける。その際、検査を担当した軍医中尉は、東堂の先輩であった。軍医中尉は「明らかに好意的に『後輩』の私を即日帰郷(そくじつきごう)処分にしようと」してくれたのだが、東堂はそれを拒否した。その理由が、この箇所である。

変わった考え方であることは分かるだろう。「思ふべきは思へり」の中心には、このような思考、「奇怪な想念」があったと言っていいだろう。

文庫本五冊、原稿用紙にして四千七百枚という『神聖喜劇』、ぜひ若者に読んでほしい戦争文学の傑作の一つである。のみならず大西巨人の諸著作、とりわけ推理小説の味わいを持つ小説、たとえば『三位一体の神話』『地獄変相奏鳴曲』など、とっつきにくい文体に見えつつ、なじんでいくとこれが癖になるような面白さである。読書子を騙る人ならば必ず読んでいただきたい諸冊である。