前田康子


月面に咲くかも知れずと思ふほど月光に蕎麦の花が照りゐる

山下太吉『冬の日溜まり』(2009)

 

作者は鹿児島で教員をしながら歌を詠んでいる。ゆったりとした時間の流れと豊かな四季の情景が歌のあいだを流れている。この一首、月の光に照らされた夜の蕎麦畑を見たのだろう。白い蕎麦の花は昼間見ただけでも風に揺れて風情がある。夜は静寂の中に照らし出されて幻想的に見えるにちがいない。それはまるで月面に咲いているように見えたのだ。月に照らされているのではなく、今立っているその場所が月面に変わるという表現がダイナミックで異世界に読者を連れて行ってくれる。

 

窓開くれば蓮華が向かうより部屋に歩み来るやう田中の我が家

 

こんな歌も好きだ。窓のすぐそばにまで蓮華畑が一面に広がって、どこを見渡しても花が咲いているのだろうか。部屋の中にまで蓮華が歩いてきそうという表現が楽しい。家の周りにも家の中にも春の蓮華があふれてきそうな喜びがある。

 

塩水に浸せば掘りて来し浅蜊噴きてテーブルのパンを濡らしぬ

勢へる南京の葉先は群れなして絶壁の畑に海を窺ふ

 

一首目は採って来た浅蜊の様子。水を噴く様子はよく見るが、勢いよく水が飛んで近くにあったパンを濡らしているところがおもしろい。二首目も自然のダイナミックな様子が詠まれている。どんどんと這って伸びて行く南京の葉。その畑は海のそばにあったのだが絶壁の向こうにまで伸びていき海を見ているのだ。畑がそんなところにあるというのも面白いし、葉の動きもよく伝わってくる。

 

牛飼ひの家の子の家庭訪問は牛舎を母子と見て終はりたり

過疎の地の街中にある廃屋の中の柱は人立つに見ゆ

 

一首目は生徒の家に家庭訪問に行っている様子。とりたてて真剣に話すこともなかったのだろう。その家の牛舎の様子を母子とゆっくり見て終わった。「牛飼ひの」という表現にも懐かしさがある。二首目は過疎化がすすむ町の様子を詠んでいる。廃屋が徐徐に増えていっているのだろうか。その薄暗い家の中に目をやると柱が人の影のようみ見えて来るという。もう一度住む人が戻ってきて欲しいという気持ちからだろうか。それとも朽ちてゆく廃屋の寂しさからだろうか。少しどきっとするような一首だ。

 

日の暮れの前に一瞬花のやうな明るきときあり谷間の村に

 

夕刻には一気に暗くなる谷間の村。しかし日の暮れる前に花のような明るい一瞬があるという。光と陰の濃さがあり、一日の中で敬虔な気持ちになる一瞬がこの場所にある気がする。