前田康子


待つことはある日なくなる 雀がつまめそうに散らばっている

花山周子『風とマルス』(2014)

 

ぽつんぽつんと呟くように作られた一首。作者は何を待っていたのだろう。相聞的に読むならば、誰かが振り向いてくれることをかすかな希望をもって待ち続けていたのか。ある日そんな気持ちにも唐突に終わりが来た。ふと遠くに目をやると小さな雀が指でつまめるようにつぶつぶと散らばって遊んでいる。一つの想いの終わりの寂しさが伝わってくる。待つことは、大変なことだと思う。しかし待つことが自分を支えていたところもあるだろう。物のように喩えられた雀はどこか支えを失った作者の精神状態のようにも思える。「なくなる」「散らばっている」と終止形の繰り返しや、字足らずな所にもぶっきらぼうな感じが出ていて寂しさが増している。

 

雨ざらしのベニヤの板が翌日を起き上がるごと乾きたりけり

アルミホイルで鱗をつくり丁寧に仕上げたり鯉 真夏の記憶

安全ピンに留められている地図一枚の太平洋の広さが(たる)

 

物の見方がとても面白い。作者は画家でもあり、瞬時に即物的に物を捉えることができているように思う。一首目はベニヤ板の変化を面白く詠んでいる。雨を吸ったベニヤ板が「起き上がる」ように翌日には乾いたということだが、「翌日を」の「を」や結句の「たりけり」の置き方がおもしろい。少し反ったように板がしなって、ぺらぺらとしたイメージのあるベニヤ板が動的な感じで表されている。二首目は鯉のオブジェのような物を製作した場面を思い出している。上の句の細かな素材の出し方がや手作業の様子がいい。銀色の涼やかな感じと「真夏の記憶」が美しく呼応している。また三首目は、下句がおもしろく、地図の上での太平洋の広さがよく伝わってくる。安全ピンでとめられているというのもどういう設定なのかはわからないがちょっといい加減な感じがいい。

 

入れ替わり立ち替わり()る白き蛾を監視カメラが夜通し映す

くり貫かれたように赤かりチューリップ本日(ほんじつ)人みなわれに背けり

 

こういう歌も印象的だった。一首目は何か現代社会の無意味な部分というものがちらちらと見える。この一首自体が映像的でもあり、上の句の動詞の重なった感じがおもしろい。また二首目ではチューリップの赤色のどぎつい感じがよく出ている。「くり貫かれたように」と唐突に始まる比喩に迫力がある。その赤色の強さのように撥ねつけられる自分というものが下句にはある。こういう素材を、かわいらしさや、春の陽気なイメージから切り離して自分の現実世界へうまくひきつける技術が凄いと思う。

 

コンパスのつまみのように一言(いちごん)が総括したる明るさにいる

 

コンパスのつまみはそこを小さくまわすだけでいろいろな円が描ける。「総括」というかたい言葉があるが、この比喩はなるほどと思う。複数の比喩からなり構造は複雑な歌だが、直観のようなものが一つ貫かれていてストレートに伝わってくるものがある。